宮野起(みやの おき)
日本大学芸術学部映画科卒業、2000年渡米。ロサンゼルスでアメリカン・シネマテークなどの日本映画上映会にスタッフとして参加する傍ら、日本特撮映画の海外での再評価に尽力。UCLA MIAS(Moving Image Archive Studies)在学中に黒澤明監督の『羅生門』の復元コーディネーターをつとめ、卒業後は米国のオーディオメカニックス社に勤務。『羅生門』の復元に関する論文「映画『羅生門』のデジタル復元」(映画テレビ技術 第678号)は、映画テレビ技術協会の第39回(2009年度)「小倉・佐伯賞」を受賞した。
* 宮野さんにいただいた資料は映画保存資料室で閲覧していただけます。興味をお持ちの方は別途お問合せの上、ご相談ください。
メルマガFPS VOL.16(2006.09.30)より
授業は来週からですが、3日間のラボでのオリエンテーションが今日からスタートしました。午前中は現像、プリント関係の施設を見学し、本でしか見たことのなかったオックスベリーのオプチカルプリンターを見て暫く震えがとまりませんでした。午後からは元テクニカラーのラボだった建物にあるUCLAの動的映像アーカイブの施設を見てまわりました。ナイトレートの炎焼実験に始まり、保存庫、缶入れ作業、発送前のチェック過程まで一連の工程を簡単に見てまわり、最後はテレシネブースで他メディアへの変換についての説明がありました。
驚いたのはIBMの協力で新しい機械が導入されており、それを使うとデジベータに起こされたイメージが任意の時間単位でファイルに変換され、クリックするとそれがメディアプレーヤーやクィックタイマーといった主要な画像再生ソフトのフォーマットに自動変換されて簡単にメールで送れるシステムが完成されていたことです。残念ながら、2Kや4Kレベルでコピューターに取り込めるようなスキャナーはまだないそうです。
見学の後ディスカッションに移りましたが、焦点はいかに人間関係が映画保存にとって大切かということでした。資金援助であれ、プリントの貸借であれ、最後は人と人との繋がりに左右されるという話に何度も大きくうなずくばかりでした。
後2日間ラボでの説明は続きますが、何が起こるか楽しみです。 明日はフィルムをいじらせてくれるそうです。大学の時以来なので、何だかドキドキします。
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今、ラボから戻りました。
今日はムビオラ、スプライサー、リワインダーの実習が主な内容でしたが、午前中にフィルムとビデオテープのフォーマットについての説明がありました。使用されなくなったフォーマットや過渡期に開発された再生機が必要なビデオテープの取扱いには困難がつきまとういう話が印象的でした。ここでもテレビ局技術者との人脈や個人的な繋がりが不可能を可能にしたケースの紹介が数多くありました。
例えば初期の2インチテープの再生機を探していた折り、地元のテレビ局である「KTLA5」から機械を提供してくれるという話があり、巨大な機械を置くスペースがなかったために、テレビ局にそのまま置かせて欲しいと駄目元でお願いしたところ、すんなりと受け入れてもらえたとか。しかも、担当の技術者が勤務時間外に再生機を操作してくれることになったという驚くべき話や(この関係は機械が壊れて使えなくなるまで十数年続き、なんとその後は、この再生機がなくて困っていたCBSが機械の提供と引き換えに協力を提案し、今でもその関係が続いているそうです)、どうしても再生することができなかった1950年代後半のフレッド・アステアの貴重なカラービデオが、引退したエンジニアが自宅のガレージに温存していた実験的な過渡期のビデオ再生機で漸く再生できたという話など、非常に興味深いものでした。
メルマガFPS VOL.18(2006.11.30)より
今回は動的映像アーキビスト協会(The Association of Moving Image Archivists, AMIA)アラスカ会議の報告をしたいと思います。
まずは規模の大きさに驚きました。参加者全員が熱心に語り合い、しかもその多くが国際的に重要なアーキビストなので、人脈をつくるには絶好の場所でした。日本からの参加者はたった3人(内2名がFPS正会員)。議論は多岐にわたりましたが、初日は6時間「THE REEL THING」に参加して、映画修復の実例とレクチャーを楽しんだり退屈したりしながら観賞しました。
ワーナーからはキャグニーなど人気の古典作品に関する修復レポート。修復の技術よりも精緻な記録と計画表のほうが興味深かったです。結局、修復も映画製作と同じで、計画と段取りでクオリティーが殆ど決まるのだなと感じました。またこの修復では音声の再生に関しても最先端の技術が導入されていて、そのレベルはかなりのものでした。
この修復を担当した人物とレクチャーのあと話す機会がありました。大変気さくな人で、映画の話をしているうちにお互い模型が好きということで意気投合し、いつでもラボを見学に来てくださいということになりました。毎回書きますが、どんなプロジェクトも個人のつながりからスタートするんだなと肌で感じました。
ワーナーの次はディズニーのプロジェクトの発表で、作品は50年代の日本を記録したアマガール(海女)というアカデミー賞受賞作でした。テクニカラーシネスコで撮影された作品のデジタル修復は大変興味深いものでした。
メルマガFPS VOL.19(2006.12.30)より
AMIAの報告の途中ですが、記憶の新しいうちに別の話題を。
実は今日パラマウントのフィルムアーカイブを見学してきました。アーカイブ専用の建物は90年代初めに建設され、それとは別にニューメキシコの辺りフットボール場規模の巨大な地下保管庫があるそうです。ハリウッドとは別に保存施設を持ち有事の際に備えるのはメジャーのアーカイブでは常識のようで、以前インターンをしていたワーナーやソニーでも同様の設備があると聞きました。
さて、保管庫内部はコンピューター制御のベルトコンベヤーが動き回り、さながら郵便局か宅配便の仕分け場のようです。ディレクターの説明を聞きながら窓口を見ていると、フィルム缶やビデオテープがひっきりなしに出たり入ったりしていました。すべてのインベントリーが終わるまでにはまだまだ時間が必要ですが、データはコンピューター管理され、映画のタイトルを入れれば何が何処にあるのかすぐにわかるようになっています。
今回は『トップガン』(1986)を例にしてデータ検索を見せてくれました。サウンドトラック、マスターネガ、インターネガ、インターポジ、デジタルマスター、2インチビデオ、デジタルベータ、VHS等々何ページにも渡り、収蔵品が表示されました。これと似たシステムはワーナーのアーカイブでもプロップなどの収蔵品を分類するときに使いました。
AMIA(アラスカ会議)でもカタロギングについてのプレゼンテーションがいくつかありましたが、デジタル時代だからこそしっかりしたカタロギング作業が大切だという点をカタロガー、デジタルエンジニアともに強調していました。結局デジタル修復といってもデジタル職人が映画を修正するというのは仕事のごく一部であり、どの部分をいかにどうやってするかという段取りが最も大切になるわけです。その一連の作業を管理するために重要なのがカタロギングの作業であるというのが彼らの意見でしたが、説明を聞きながら私も大きくうなずいていました。
その大切さを今日もパラマウントのデータベースを見て感じました。パラマウントのカタロギング作業は80年代終わりに始まったものの、当分終わりそうになさそうです。項目だけでも100万という膨大な数で、しかも各項目がさらに細分化されているわけですからまさに天文学的なスケールです。それでも2階の収蔵庫へ行くと、高頻度順にHDTV対応のテープが整然と並んでいました。フィルムは隣の倉庫に並べられ、倉庫内部は当然ながら空調で温度管理がなされています。しかし竣工直後は雨漏りなど色々なトラブルが続いたそうです。
数時間のツアーの後修復されたワーナーの(しかし今はパラマウントに著作権が移った)ケーリー・グラント、イングリッド・バーグマン主演『無分別 Indiscreet』(1958)の修復版が上映されました。デジタル修復したインターポジからのものだそうですが、修復前の状態が詳しくわからず残念でした。しかしテクニカラーの鮮やかな画面は大変美しいものでした。
デジタル修復といえば先週UCLAでデジタル修復の専門家が終結して4Kと70ミリ、35ミリの比較上映会がありました。35ミリ、70ミリを交えて撮影された同じサンプル映像を用い、4K映像化したものの、デジタルプロジェクターでの映写、4Kをプリントした70ミリの映写、そしてデジタル処理なしのプリント映写と続いたのですが、デジタルプロジェクターの威力には恐れ入れました。最もきれいな映像が4Kをデジタル映写機で映写したものでした。
今日パラマウントでも話がありましたが、デジタル映写機を備えた映画館はスクリーン数にすると全米で1,000を超えるそうです。一気に普及するのはいつになるのか今皆が位置に着いて待っているような状態で、走り出すのは恐らく1年以内ではないかというのがパラマウント・フィルムアーカイブの人の意見でした。新しくMIASのディレクターになったクリス・ホラックも、プログラムやUCLAアーカイブのデジタル化の遅れを大変危惧している様子です。技術がこれだけ進み、普及が確実になってくると、今度はフィルムの確保すら難しくなるのも時間の問題でしょうから、後数年で対応が遅れると大変なことになるだろうという焦りをこちらの空気からは常に感じます。
AMAIのことはまた改めて。
メルマガFPS VOL.20(2007.1.31)より
ここで私が在籍しているUCLA MIAS(動的映像アーカイブ学コース)のプログラムについて、具体的な説明をします。
クラスメートは11人(男4・女7)で、留学生は私1人です。ただし、UCLA全体では数千人規模の留学生がいて、学部によっては25人の定員のうち日本人が6〜7人ということもあるそうです。
11人のうち映画業界での実務経験者が5人。学部での専攻は殆どが映画、情報処理、歴史のいずれかですが、英文学という人もいます。いずれにせよ皆、映画(殊にハリウッドの古典)を愛する人たちです。年齢は20代前半から40代までと幅広いですが、アメリカは日本とは年齢意識がまったく違うので、それぞれ対等にかつ心地よく和気藹々としています。
今期の必修科目は《映像アーカイビングの歴史と哲学》、《アメリカ映画史》、そして《映画資料の調査研究》の3つでした。全部を紹介するのは不可能ですが、リーダーとシラバスをお送りするので概要は把握していただけると思います。
まずは《映像アーカイビングの歴史と哲学》について。担当はこの学部を設立したスティーヴン・リッチー氏でした。この授業の目的は何かについての方法論や解き方を教えるものでなく、例えば無声映画のFPS=映写速度の問題に象徴されるような答えの出ないテーマを扱い、映像保存というものを様々な角度から捉えるための準備コースのようなものでした。
AMIAアラスカ会議で発表された『アフリカの女王』の修復で、ドイツの技術者が原因不明の緑色のちらつきに悩まされ、それを除去したと発言しました。ところが会場にいたアメリカのアーキビストの証言で緑の物体が、実はグリーンスクリーンの合成をした際にできた「ヌケ残り」であることが判明。ドイツの技術者は美意識の観点から残すべきでないと主張、アメリカのアーキビストは史実の観点からそのまま残すことを主張し、一時会場は騒然となりました。
同様の観点から、問題にされるのがテクニカラーで撮影された作品のデジタル修復です。3枚のネガを組み合わせて色彩を再現するテクニカラーは、画像が淡くなり、良くも悪くもそれが特徴なのですが、デジタルで一コマ一コマばっちり合わせてしまうとくっきりした映像になってしまいます。しかし、オリジナリティの観点からするとこれもまた深刻な問題です。
アーキビストのモラルについて議論したときには、不完全な形状(ビデオやパンアンドスキャンされたテレビ用16ミリプリント、映画の断片など)の映像を見せるべきかどうかがテーマとなりました。他に印象的だったテーマといえば、AMIAやFIAFなどの運営と目的についてです。AMIAに関しては最近民間から抜擢されたマネージャーのことが論題に上がり、実際に活動をしている多数の会員がボランティアで組織を動かしているのに対し、このマネージャーを含めた上層部が高額の収入を得、しかも選挙の際にもかなり怪しい仕組みを導入しているということまで話題が進みました。映画保存の「政治」について、深く考えさせられるテーマでした。
同じ日にはアーカイブ・コレクションの開示、非開示を版権まで考えた場合どうすべきか、アクセス(公開)を考えた場合、アーキビストの聖域は有害か有用かなどについても討論しました。
このようにこの授業を通じて生徒は映像保存を広範に考え、結果的にそれぞれが進むべき方向性をより明確に把握できるようになったはずです。個人的には自分の意見を各回で一番堂々と言えたクラスだったので、本当に楽しかったです。
次回は《アメリカ映画史》について書きます。
メルマガFPS VOL.21(2007.2.28)より
《アメリカ映画史》の授業は今期からMIASの新ディレクターに就任したクリス・ホラック氏の受け持ちでした。
クリス先生は長らくジョージ・イーストマン・ハウスで映画保存に携わりながらAMIAの活動にも精力的に取り組み、その機関誌の編集長を(無償で)務めていました。博識でフレンドリー、頼りになる存在であることが誰の目にも明らかなので、私も含めて生徒からは大変信頼されています。
さて授業ですが、一般的な歴史の授業とは全く異なるものでした。前提として映画史の常識を生徒が理解しているということになっているので、基本を知らないと参加できない授業です。もちろん受講者はそういう知識を十二分に持ち合わせている面々なので、話が脱線して変なところで盛り上がることも度々でした。この授業もディスカッション形式で生徒は15人。受講者はMIASと映画評論の1、2年生が混在していました。
狙いは歴史から何を学ぶかという点にあります。たとえばフィルムノワールが取り上げられたときにはジャンルということに関して、他の回ではハリウッドのスター・システムについて話し合い、『赤ちゃん教育』(ハワード・ホークス監督、1938年)をみんなで見たり、他にもプロダクション・コード、アバンギャルド、ブラック・シネマなど、各回様々な観点から「アメリカ映画の考察のされ方」を考察しました。フィルムアーキビストにとっての客観的姿勢、広角的視点を持つことの大切さを教わったことは貴重な経験でした。
個人的な話になりますが、私は特撮の大ファンで、それがきっかけで映画というものに興味を持ったのですが、マニアックな分野だけに日本の大学では陰で馬鹿にされるようなこともしばしばでした。しかしこの分野に絞ってきたお陰で無意識の内に普遍的なことを学んでいたのです。
例えば日本映画界におけるスタジオ・システムや配給網、海外でのテレビ放映、輸出、版権など。今この知識がどれほど役に立っていることか。例えばゴジラの海外版やテレビ放映版を通じて映像のオリジナリティや版権問題について専門的に話すことができるし、日本文化の解釈のされ方や日本の映画産業の仕組みについても教授やクラスメートに説明できます。こちらの特撮ファンとも交流を深め、ゴジラのDVDがリリースされたときにはパッケージに名前が載りました。そんなことで、今回の映画史の授業では今までしてきたことにお墨付きをもらえたような気がしました。
このクラスでは授業前に読む難解な書物に悩まされましたが、読み応えがあり、基本的なテーマについて考えさせられるようなものも多かったです。特にRichard Dyerの“Stars”やDavid Bordwellの“The Classic Hollywood Cinema”などはお薦めです。
次回は《映画資料の調査研究》についてお話しします。
メルマガFPS VOL.22(2007.3.30)より
第4回では《映像アーカイビングの歴史と哲学》、前回の第5回では 《アメリカ映画史》について紹介しましたが、今回は《映画資料の調査研究》の説明をします。
この科目は博物館、図書館、その他あらゆる情 報源をいかに効果的使うかを学ぶ科目です。数週間に1回、映画関連のリサーチをする課題が出て、授業では生徒が調査方法、情報源、そして 得られた情報について発表します。
はじめの3週間は映画史を扱うLAの主だった図書館を巡り、各館の特別収蔵品や利用方法について学びました。LAは映画の都だけあり、資料の宝庫です。全米トップレベルの映画学科を抱えるUCLAの図書館も膨大な収蔵量を抱え、ウィリアム・ワイラーなど映画人から寄贈されたスペシャル・コレクションも多数あります。収蔵品はもちろん英語で書かれたものだけにとどまらず、日本の「キネマ旬報」も全巻揃っています。収蔵品の情報は図書館のウェッブサイト・カタログから検索できます。試してみてください。
図書館はアーカイブの窓口にもなっており、UCLAの生徒であれば、たいていのコレクションにアクセスできます。図書館の一角が映像ブースになっているのでビデオやフィルムの視聴が可能です。アーカイブのコレクション検索は以下のリンクから可能です。フィルムは映写機でもムビオラでも見れます。
http://cinema.library.ucla.edu/cgi-bin/Pwebrecon.cgi?DB=local&PAGE=First
LAの図書館を語る上で忘れてはならないのがアカデミーの図書館です。ここへのスペシャル・ツアーは図書館の休館日にアレンジされ、普段は予約しないと見られないスペシャル・コレクションの一部を特別に公開してくれました。コレクションの中には『トラ・トラ・トラ!』(1970)のために黒澤明が描いた絵コンテ、マレーネ・ディートリッヒがドイツからMGMスタジオへ来たときの契約書、パラマウントのデザイナーであるエディス・ヘッドのスケッチなど貴重な史料がいっぱいでした。
他にも、ポスター、台本とコレクションは膨大です。もちろん映画関連の一般書籍も大抵のものは収蔵されており、こちらは自由に閲覧することが可能です。映画関係者の資料は人物ごとに封筒に分けられ、その中に新聞の切抜きやマイクロフィルム化された雑誌のコピーなどが保管されています。人物名をライブラリアンに伝えれば封筒を出してきてくれます。
学部生当時、MGMスタジオの美術監督セドリック・ギボンズについて卒論を書いていたのですが、当然日本に資料などなく、まだインターネットも普及していない頃だったので、情報収集はLAまで来るより他ありませんでした。ところがどこへ行っても資料がなく、あきらめかけていたころに、アカデミーの図書館を訪れ、封筒に入った膨大な資料に驚かされたのでした。しかしこの直後に帰国したときに、母校で手伝った尊敬するゴジラの監督・本多猪四郎の資料整理で監督の遺品があまりにも粗末に扱われている事実に驚き、アメリカとの格差に唖然としました。映画保存に興味を持った原点が、そもそもこの経験だったのです。
この図書館の収蔵品はネット上で検索できます。
http://www.oscars.org/library/index.html
必修科目について、以上ざっと説明しました。
メルマガFPS VOL.23(2007.4.30)より
今日はCinetechのオプチカル・ラボを見学してきたので、その報告です。
Cinetechはソニーやワーナーなどを顧客に持つ映画修復の大手で、従業員は70人あまり。4階建てのビルの2階分をCinetechが占めています。現像機は白黒用1台、カラーポジ用2台、カラーネガ用が1台の合計5台です。プリンターも5台ありますが4台はウエットゲート式(*)のものでした。オプチカル・プリンターは3台ありましたが、そのうちの1台はヘッドがたくさんある大きなものでした。
その他タイミング・チェック専用のプリントを作る機械がありましたが、コンピューター制御された送り出しリールの間にミッチェル・カメラの載ったようなものでした。各シーンごとに頭のコマだけ集めたプリントを作るための装置です。
Cinetechでは劣化の進行したフィルムでも2%の縮みまでなら問題なく対応できます。最近は修復、復元の予算が映画会社内で減少し、DVD化に伴うトランスファー(メディア変換)の仕事が増えているということです。来週はデジタル部門の見学に行くのでまた報告します。
*ウエットゲート方式
フィルム表面の浅い傷や擦れを目立たせずに焼き付けるため、フィルムを液体に浸す方式。通常はオプチカル・プリンターでおこなう。FPSが復元した『モダン怪談100,000,000円』もウエット方式によってよみがえった。しかし、近年では使用する溶剤に制限があり、ラボでの使用も減少。画像をスキャンして傷消しソフトを使用するケースが増えている。
メルマガFPS VOL.24(2007.5.31), VOL.25(2007.6.30)より
UCLAに在籍しつつ、ソニーピクチャーズでインターンをされている宮野起さん。そんな起さん(以下MO)に、FPSからの素朴な疑問をぶつけてみました。
(FPS)
どこの国のデジタル・ラボも同じようなソフトを使っているようですが、熟練の技術者の技量が問われる従来の復元とは違い、デジタル復元の場合はどこに発注しても結果は同じなのでしょうか?
(MO)
最新の「ダヴィンチ」やデジタルビジョンの「AGR4」「ASC3」などを使用すると、画像ダメージは自動的に除去できます。しかし、ひとつの復元には手作業や人の目で判断する複雑かつ繊細な作業も含まれます。従ってフィルムアーカイブ(フィルムアーキビスト)と現像所(技術者)のコミュニケーションの度合いがきわめて重要になってきます。そうなると、やはりお互いが顔を見知っている間柄であるほうが復元の精度は上がるでしょう。欧米のフィルムアーキビストたちは会社間の垣根を越えた付き合いが日常的にあり、業界間での転職も頻繁です。
(FPS)
同じソフトで同じ作業をするのに中国やインドなど価格設定の安いラボに発注が集中しないのは、そのためですか?
(MO)
理由はほかにもあります。映画会社たるもの原版の外部流出を極端に恐れるもので、ただでさえ海賊版の溢れるインドや中国へ原版を送ることには抵抗があるのです。現に、海賊版のほとんどはラボで働く人間の手を介して流出しているとしか考えられません。
過去にインドの企業が人件費の安さを武器にハリウッドに進出しましたが、品質を確保できず撤退しました。また、ハリウッドには大小さまざまな現像所やポストプロダクションの会社があり、競争により価格も安くなっています。
デジタル復元の「解釈」も映画会社によってずいぶん違います。プロジェクトにもよるので一概には断定できませんが、私のいるソニーはネガから徹底的に写真工学的に修復し、最良のフィルム素材を作ってからデジタル工程に移ります。原則としてデジタル作業は販売用DVDの元素材を作るために行い、リリース・プリントをデジタル出力することはないそうです。
それに対してワーナーやディズニーは、復元するための素材を直接スキャンしてデジタル修復の上、フィルムに出力する傾向にあるようです。
(FPS)
現在のレベルで、デジタル復元と従来の復元のどちらが優れているとお考えですか?
(MO)
デジタルよりもオプチカルのほうが作業費は格段に安くなりますから、デジタルにしかできないこと/オプチカルでできることを「フィルムアーキビストがどれだけ正確に把握しているのか」が修復の鍵となります。しかし、「デジタル/オプチカルのどちらが優れているか」は主観的な判断なので、難しいところです。
デジタルなら何でもできると考える傾向があるようですが、デジタルの長所はアナログ段階の修復が完璧な状態で初めて存分に発揮できるものです。
日本のポストプロダクションの黎明期から働いている方から伺ったことなのですが、現場の撮影ミスが原因で起こる《後始末》的な仕事がデジタル/アナログにかかわらずかなりあるそうです。
例えばゲートの汚れが写り込んだり、看板に書いてある字が間違っていたり…。単純ミスは、ポストプロダクションの段階でどうにかなるという甘さから起こることもあります。デジタル復元も同じで、アナログ・サイドがきちんとしないとデジタルにどれだけお金をかけたところで、まともな修復はできないでしょう。
(FPS)
最近ご覧になったデジタル復元作は何かありますか?
(MO)
ディズニーがハリウッドに所有するエルキャピタン・シアターは、デジタル映写機で作品を上映します。今年の初めに「メリー・ポピンズ」(1964年)の修復版をみましたが、行過ぎた処理で役者のメーク・毛穴・特殊撮影の粗さなどが目立ちました。80年代にVHSをベータにコピーして見た映像のほうが、むしろ私には美しく感じられたほどです。
これは哲学的、美学的な観点からも考察しなければならない問題ですね。
画質のレベルも、現在の商業映画のデジタル中間素材が2Kレベルなので、2Kでじゅうぶんであるとの意見もあれば、4Kでなければだめだ、4Kでもだめだという意見もあって、様々です。
(FPS)
今後のフィルム素材の変遷について、どのように長期予測されますか?
(MO)
劇場公開版がデジタル化されるのは確実ですから、コダックや富士フイルムがフィルムの生産を中止することは当然ありえるわけですが、現在でさえフィルムアーカイブで使用するフィルムは少量生産であり、劇場公開用に大量生産されているフィルムとは違うわけです。ですから、仮にコダックや富士フイルムが生産をやめても、こういった特殊なフィルムはライセンスを得た小規模メーカーが特注生産で作り続けるだろうという意見を複数の人から聞きました。
業界のデジタル化の流れが速いので、将来、映画修復が難しくなるのではという意見も頻繁に聞かれます。現在製作されている映画の9割近くがカメラ・ネガからデジタル中間素材に変換する手法で撮影されています。
ところで、昔のTVドラマなどをDVD化するとき、放映当時のビデオ・マスターではDVDのクオリティーに対応できないので、フィルム素材から再編集して新たなフィルム素材をDVD用の原版にするという作業が行われています。
現在2Kの標準もすぐに4K以上になり、数年後にはブルーレイよりも高品質のディスクやプラズマ・スクリーンより高画質のモニターが現れるのは確実です。そうなると将来映画を修復するとき(あるいは別のメディアに変換するとき)、フィルムから修復をするとなると、ネガは当然としても、特殊撮影の素材など様々な加工素材を全て探しあてて再編集するわけですから、大変な困難が予想されます。この点を危惧する声を多く耳にします。
(FPS)たいへん参考になりました。ありがとうございました。
メルマガFPS VOL.26(2007.7.28), VOL.27(2007.8.31)より
JTSとはジョイント・テクニカル・シンポジウムの略で、1983年に組織された世界中の映像、音声アーカイビングに携わる専門家や団体の集会です。
集会は3年に1度開催されます。
ユネスコの援助のもと正式には以下の団体がJTSのメンバーです。
動的映像アーキビスト協会(AMIA)、国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)、東南アジア太平洋地域視聴覚アーカイブ連合(SEAPAVAA)、Association for Recorded Sound Collections(ARSC)、国際テレビアーカイブ連盟(FIAT/IFTA)、国際音声・視聴覚アーカイブ協会(IASA)、国際アーカイブ・カウンシルウンシル(ICA)、国際図書館連盟(IFLA)
オーバーラップする点もありますが、AMIAが映画保存について多角的にアプローチするのに対し、JTSは技術的なことが中心です。集会は講演、パネル・ディスカッションを中心に構成され、期間は4日間です。1日8時間プレゼンテーションを見て、その後参加者と共に夕食を食べ、お酒を飲むというのを4日間連続でやるのはちょっと大変でしたが、映像保存の現状を知り、世界中のアーキビストと交流を深めるには、またとない素晴らしい機会でした。
プレゼンは堅苦しいものからやわらかいものまであり、主題は映画保存へのデジタル技術の応用から蝋管(昔の筒状のレコード)保存のための箱作成といったことまで様々でした。営業を特意とする大手ラボの技術者から、生徒のポートフォリオの保存に応用したデジタル技術を発表した大学の助教授まで、参加者のバックグラウンドも色々です。
4日間終えての総合的な感想ですが、映像保存のための国際的な技術基準、特にデジタル技術の基準はまだまだ定まっておらず、デジタル技術の効果的な応用がどのようなものか、各アーカイブが実験しているというのが現状のように思われました。映像保存のデジタル媒体としてはJPEG2000を提唱する声が多く聞かれましたが、マイクロソフトにも支持されていないフォーマットを長期保存を目的に採用するということに疑問を投げかける意見も多数ありました。デジタル技術によって生み出されたデータを管理するのに欠かせないのが効果的なメタデータですが、メタデータ作成のための基準を世界的に統一するのも難しい課題のようです。
保存対象のデータ化、データ管理という二つの技術が確立して、はじめてデジタル・アーカイブの長期的、効果的運用が可能なわけですが、急速な技術革新でそんなことまで考える余裕もなくデジタル化が進んでしまっており、今後も容赦なく生み出されるデータとしての映像情報を保存することが、アーキビストにはますます困難になるのではないかと多くの発表から感じました。
映画保存に関してもデジタル技術は重要ですが、100年以上に渡って世界的に採用されているフォーマットを破壊してデジタル化し、それを数年に一度フォーマットが変わるたびに新しくするというのは意味のないことだと思います。
デジタルの良さを理解してそれを効果的に用い、尚且つこれまでのように映画をフィルムの状態で大切に保存するということの重要さを、改めて学んだような気がしました。
JTSではビデオ保存に関する興味深い発表もたくさん聞けました。JTSに参加して、ビデオ映像の保存を映画保存とは別にもっと真剣に考える必要がありそうだと思いました。デジタル技術は言うまでもなくビデオとの方がはるかに相性がいいのです。しかもビデオテープのフォーマットには様々なものが存在し、保存に際して常に問題になります。再生機が存在せず内容が分からないまま、処分されて
しまうビデオテープの量は相当なものでしょう。
フィルムよりも解像度の低いビデオ映像はデジタル化による劣化も避けられ、一度データ化してしまえばフォーマットに関係なく再生が可能です。また、磁気録画、録音された媒体は再生すればすれほど劣化が進んでしまうので、ビデオのデジタル化は重要です。ビデオにはフィルムと違ってネガがないわけですから。
80年代以降のビデオの普及後に撮られたホームビデオ(ホームムービー)の保存が危機に瀕しているという話をよく聞きます。ベータテープや8ミリ・ビデオのデッキは量販店で買えません。8ミリ・フィルムのように、透かしてみても何が写っているのか分かりません。事実、私もベータのコレクションを去年泣く泣く処理しました。学校などで80年代に記録したビデオをスペース確保のために廃棄するということが、最近は増えているようです。私は夏休み中、UCLAの堂的映像アーカイブで働いていますが、ここのビデオコレクションの中にもそういう過程を経てきたものが少なくありません。
わずか10年、20年前の記録ですが、ビデオ保存は映画保存以上に大変です。映画の分類作業は極端な話、数十年待ってくれることも(適切な保存環境で劣化が進んでいなければ)あるかもしれませんが、変化が急速なビデオの世界で10年経ってしまったら、保存作業はそれだけ難しくなってしまい、時間切れになってしまうものもたくさん出てくるでしょう。VHSのデッキは10年後もあると思いますが、見つけるのはずっと難しくなっているはずです。また、修理のための部品の確保となればさらに大変でしょう。
メルマガFPS VOL.29(2007.10.31), VOL.31(2007.12.30)より
動的映像アーキビスト協会(AMIA)は毎年秋に北米の都市で会議を開きます。2007年のAMIA会議開催地はコダックの城下町、そしてL. ジェフリー・セルズニック映画保存学校のあるジョージ・イーストマン・ハウス(GEH)の所在地としても知られるニューヨーク州ロチェスターでした。
私は会議が始まる数日前、列車でニューヨーク市から7時間かけてロチェスターに到着しました。ハドソン川に沿って上流へ向かうこの汽車の旅は最高で、景色の美しさに何度も時間が経つのを忘れました。まだ10月前でしたが、木々はすでに色づき、窓外は既に秋の様相を呈していました。
会議が開催されるまでの数日間はJTSで知り合ったGEHのスタッフや、学生たちと交流しつつ気持ちよく過ごしました。GEH見学の際にはビデオ撮影をすることができました(この映像はいずれFPS映画保存資料室にて閲覧していただけるようになります)。
GEH周辺はノーマン・ロックウェルの絵から抜け出したような、古きよきアメリカの美しく牧歌的な光景ですが、ダウンタウンはすでにその機能を半ば失っています。広大な工場群が連なるコダックパークではありますが、建物の中に入るとすべてが80年代でストップしてしまったような印象を受けました。日本でも報道されている通り、コダックは工場の縮小を繰り返しています。この8月にも工場の一部が爆破解体され、残骸が撤収された後には広大な空き地が広がっていました。バスやタクシーの運転手にはコダックを解雇されたという人が何人もいました。
会議の参加者は去年より増え、AMIAが確実に成長している事実は確認できましたが、会場が3カ所(ホテル、GEH、コダックパーク)に分散していているにもかかわらず、スケジュール設定が曖昧で、参加者は大いに混乱させられました。DVDやフィルムがかからないというハプニングも多くのプレゼンテーションで起こりました。
映画修復の実例紹介が行われる《Reel Thing》は会議のハイライトの一つですが、機器の不具合はここでは特に目立ちました。たまたま他の用事で、朝、ホテルのロビーに下りたところ、臨時で開催されたIPI(イメージ・パーマネンス・インスティチュート)の見学会に思いがけず参加することができました。しかし皮肉なことに、今年IPIから奨学金を受賞した同級生は見学会の開催を知らず、参加できませんでした。こうしたことからわかるように、マネージメントに関しては色々と課題の残る年になりました。
デジタル化に関する討議は去年にもまして積極的に行われ、IT関係者と伝統的フィルムアーキビスト双方がお互いの特性を理解できていない現状があぶりだされたような形になりました。
フォーマットはどうであれ内容が保存されれば良いというIT技術者に対し、フィルム推進派は保存すべきフィルムの量の多さ、デジタル化に要するコスト、またデジタルと言う新しい媒体の不確実なクオリティなどを根拠に、夢のデジタルアーカイブ構築の非現実性を指摘しました。
一方、デジタル推進派からはデジタルアーカイブの方が経済的であるというモデルケースが何度か示されました。JTSでも示された通り、JPEG2000というファイルがデジタル保存の世界的標準になると確実視されています。推進派の中心人物、ジム・リンダーの「Samma Systems」のサイトからは、この分野の最新情報が得られます。
ロチェスターの空気に確実に反映されているフィルム産業衰退の流れは、デジタルがアナログを確実に凌駕しつつあるという現実を物語っています。フィルムアーキビストは、フィルムの供給が途絶えてしまった時に、コレクションを守るための対策を本気で考えなければいけない時期に来ています。
事実、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のコレクションの大部分を扱うラボ「シネマアーツ」の代表者によると、白黒フィルムの供給は現在、深刻な問題になっているそうです。品質が悪くて使い物にならない製品を避け、旧東独メーカーに頼っているのが現状だとか。白黒作品のポジ作成は多くの場合カラーストックを使用しているようですが、高品質の白黒用製品を作る技術がありながら、需要の低迷により、その技術そのものが廃れてしまうという現実は悲しい限りです。
日本でも定着しつつある《ホームムービーの日》についてのパネル・ディスカッションについても書きます。セルズニック・スクールの卒業生であり、「家庭でもできるフィルム保存の手引き」の著者でもあるリズ・コフィー(ハーバード・フィルムアーカイブ)らが参加して欧米での様子を報告しました。
日本同様に集まったフィルムをどう保存活用するかという点は、こちらでも大きな課題ですが、地元アーカイブや教育機関との連携が徐々に形成されつつあるようです。イタリアでの活動はイタリアからの代表者によって詳しく報告されました。
また最近こちらで注目されている問題として、インターネット・オークションでのホームムービーの切り売りが挙げられました。これは例えばアマチュア・カメラマンによる有名人などが写っている8ミリや16ミリの映像がネット上で高値で取引されている現象です。問題点は商取引よりも切り売りにより作品が本来持つ意味が失われ、記録として完全なものではなくなってしまうことです。また、一度人手に渡れば探し出すことは非常に困難です。陳腐化がフィルムの何倍も早いビデオ作品の保存についても議論が及びました。活動は盛り上がりつつあるものの、それだけ問題の数も増えていくのはどこでも同じです。
今回のAMIA会議で一番盛り上がったプレゼンテーションは恐らく、スコピトーンズと呼ばれる60年代に登場したジュークボックスとムビオラを組み合わせたような装置と、それに使用されたフィルムに関する研究発表です。同様の装置で歴史も長いサウンディーズと呼ばれるものが日本でも、とりわけジャズファンの間で知られていますが、ポピュラーミュージックに特化したスコピトーンズは、独特の映像と選曲で現在のミュージックビデオにつながる世界を築きました。
プレゼンテーションでは短命に終わったスコピトーンズの歴史と音楽業界での影響についての話があり、その後今回の調査で集められた16ミリフィルムが連続上映され会場は大いに沸きました。フィルムの何本かはYouTubeで見ることができますので、検索してみてください。
スコピトーンズ(英語)
http://scopitones.blogs.com/
メルマガFPS VOL.31(2008.1.31)より
AMIA主催の修復作品の上映が昨年11月に20世紀フォックスの敷地内で行われました。作品はスティーブ・マックィーン主演の『砲艦サンパブロ』(1966)です。LA中のフィルムアーキビストが集まり、会場はミニAMIA会議のような雰囲気でした。
ネガの一部が劣化、或いは紛失していたようですが、今回は現存する素材から4Kで修復されました。数年前にソニーが行った『博士の異常な愛情』と状況は似ています。修復ラボは大手の「Ascent Media」でしたが、『博士の〜』に比べるとバランスが悪いように見えました。美しいところと悪いところの差があまりにも極端で、悪い部分が実際よりも更に悪く見えてしまうのです。画質に極端な
差が出る箇所では客席からどよめきが起こりました。
『博士の〜』にも様々な素材が使われたそうですが、画質は全体を通して均一化されていたので不自然さは感じませんでした。どのラボも使うソフトや機器は似たり寄ったりなのでしょうが、こういう部分で修復担当者のセンスが出るのだと思います。また当然指揮を採るアーキビストの方針が結果を大きく左右するのでしょう。
さて早いもので、卒業まであと2学期を残すのみとなりました。昨年のクラスからご紹介したいのは「Management of Digital Records」です。文字通りデジタル化された情報をどう管理するかという内容で、生徒が小グループに分かれて割り当てられたプロジェクトを遂行しました。私のチームはUCLAの動的映像アーカイブを担当し、データベースの問題点を探りました。その知名度とは裏腹にUCLAの情報管理は後手後手になっており、所蔵作品の行方すら正確に把握できていない現状が浮かび上がりました。
原因はアーカイブの施設がキャンパスの内外の倉庫(新たにLA郊外に建設されたナイトレートフィルム専用の収蔵施設など)やラボも含む数箇所に分散していることにあります。各施設、各部署が独自のデータベースを構築し、2人しかいない担当者ですべてを管理できるはずもありません。その結果、カタログの内容は実際の状況よりも10年近く遅れ、収蔵品の貸し借りをする部署では、昔ながらの貸し出しカード方式で収蔵品の動きを管理しているという有様です。資本がないということですが、実のところ各部署の縄張り争いや相互不信に根本的な原因があるようです。
そこで我々は、一極集中型のサーバーに情報を移し、各部署でそれを共有するようにデータベースを作り変えること、そしてカタログ作業を日常業務と完全に切り離すことを提案しました。各担当者が使い慣れた書式をそのまま使えるようデザインし、各部署の間で重複を防ぐ(例えば記述式をなるべく廃して選択式にする)よう工夫しました。
チームのリーダーであるディノエ・ベレットは実際にアーカイブで働いており、問題の切実さを日々感じています。調査中にある部署で新たなデータベースが作られるという自体も発生しました。ディノは、MIASとアーカイブのディレクターを兼任するクリス・ホラックにチームでまとめた調査結果と上記の提案を報告する予定です。
メルマガFPS VOL.34(2008.3.31)より
UCLAでの学生生活もついに来週から始まる春学期で最後です。今回は冬学期に受講したコースに関して報告いたします。
MIASの専門コースはアクセスとカタロギングの二つでした。アクセスとはアーカイブのコレクションをどう利用してもらうかについて、カタロギングは文字通り映像コレクションのカタログ化についての講座です。
アクセスに関してUCLAの映画テレビアーカイブは世界的に見て、かなりオープンな方針を取っています。以下のリンクから検索していただくと、コレクションに含まれる殆どのアイテムに関する情報が入手できます。アイテムという言葉を使うのはコレクションの内容を表示する場合に、作品名や内容だけでなく、35ミリや1インチテープといった具体的なアイテム別に情報を掲載する必要があるからです。
http://cinema.library.ucla.edu/cgi-bin/Pwebrecon.cgi?DB=local&PAGE=First
アクセスとカタロギングは対になっていますが、時間のかかるカタログ作業はコレクションが増加するペースに追いつけないのが現状です。映像資料の保存に関してまだ世界的に標準化されたカタログ様式はありません。現在一般的に使用されているシステムは図書館の蔵書管理を応用したもので、カタロガーも図書館学を専攻した人が殆どで、MIASの母体であるDepartment of Information Studiesも元々は図書館学部でした。
しかし本と映像では根本的に異なるので問題が生じます。同じ作品が収録された複数のメディア、ネガポジの区別、部分だけの素材、バージョン違いなど、映像固有の問題に対処できる分類方法が必要です。
現実は各フィルムアーカイブが独自の方法を実践し、ようやく考え方だけがまとまりつつあるという感じです。コースではUCLAで修復された映画作品を例に、修復工程とその結果から生じた素材をカタログ化する課題が出されました。単に素材を列挙するのではなく、カタロガーが修復過程を理解しなければ利用者に分かりやすいカタログは提供できませんが、課題ではこの難しさを肌で学べた貴重な体験でした。
アクセスには著作権の問題が付きまといます。UCLAは著作権料を払わなくても教育目的でコレクションを合法的に利用できるはずですが、著作権法ではコピーガードを外すことが違法となります。その結果、大学には映像作品をデジタル化してネット配信できる設備があるにもかかわらず、例えば授業で使うDVDをコースのサイトから見せるのは犯罪になってしまいます。
他にも寄贈者との取り決め、教育目的での使用限度などに明確にできない要素があり、誰にでも見てもらえるのはコレクションの一部に限られてしまいます。ホームムービーとなると更に厄介ですし、カタログ化の際はタイトルの付けようすらない場合も珍しくありません。また、著作権者からの没収を恐れて所有タイトルを公開しないフィルムアーカイブも少なくありません。フィルムコレクターとフィルムアーカイブの関係を考えると理解できることですが、アーカイブの目的はコレクションへのアクセスがあってはじめて達成されるものです。著作権以外にも様々なアクセス方法、例えばUCLAのアーキビスト、ボブギットの研究をまとめたDVD、地域の映画館と共同で開催するスクリーニングなどについて、ゲストスピーカーの講演を交えながら学ぶ充実したコースでした。
次回はインターンシップの体験についてまとめたいと考えています。
メルマガFPS VOL.38(2008.8.2), VOL.39(2008.9.30)より
連載を休んでいるうちに卒業ということになってしまいました。まさにあっという間の2年間(正確には1年半ほどですが)でしたが、あまりにも未消化のことが多く、達成感よりは今後何をすべきかという不安に似た気持ちが残ります。
MIASから得た大事なものが知識かと聞かれれば疑問ですが、このプログラムを通じて得た体験は他では考えられない貴重なものです。ロサンゼルスで映像保存を学んだことにより、ハリウッドのアーカイブソサエティの一員になれた(少なくとも本人はそう思っているのですが…笑)ことはこの上なく重要で、映画保存に取り組む人々と日々触れ合いながら、どれほど多くのことを学んでいるか分かりません。
またFPSを通じて日本で映画保存に取り組んでいる多くの人々と知り合うことができました。色々な人たちのお陰で、結果的にアメリカと日本の間で映画保存活動に参加する機会にも恵まれるようになったのは本当に幸せなことです。今後は日本映画の保存にどう貢献できるか私自身の具体的な役割を見つけることが課題です。
さて、連載が数回にわたって中断してしまいましたが、その間プログラムで学んだことを記したいと思います。必修科目は前回お伝えしたカタロギングとアクセスのクラスで終了したので、残りの期間はインターンシップが中心となりました。
インターンシップはUCLAフィルムアーカイブにおけるサイレント映画の修復と、イマジカの子会社である「IMAGICA Technologies」においてデジタルフィルムスキャナーとレコーダーの取り扱いについて学びました。両者はアナログ・デジタルと極端にかけ離れているように見えますが、どちらも映画保存の現場に密着した貴重な体験でした。
UCLAでは毎年MIASから3人の生徒がフィルム修復の実習ができるインターンシップを用意しています。ところが、このインターンシップについての詳しい説明が事前になかったので、応募者は事前に情報を入手していた生徒で枠が埋まってしまいました。この機会はどうしても逃したくなかったので、ごねたところ、変則的に受け入れてもらうことができました。
生徒はUCLAが所有するコレクションの中から短編作品を一本選びます。指導担当のアーキビスト、Jere Guldinが以下のリストを事前にメールしてくれました。私はCELERITYPES, Issue No. 1というハリウッドセレブの私生活をドキュメンタリー風に追ったコミカルな作品を選びました。
素材は35ミリのナイトレートプリントで、パーフォレーションの欠落など、物理的な傷を手作業で修理した跡にデュープネガを作り、新品のプリントは6月のはじめに発表会のような形で上映されました。
フィルムの状態ですが1926年の作品にしては非常に安定しており、パーフォレーションの欠落もわずかでした。ただ、スプライシングした部分は全て弱くなってしまっていたのでやり直すことになりました。フィルムは5つのショートストーリーから構成されていましたが、それぞれが違う色に染色してありました。結局最後は時間切れで染色できませんでしたが、ネガは色が変わるセクションで分割して将来の染色に備えました。
実際のフィルムを手にするまでは、ジャンク・フィルムを使って補修訓練です。週2日のインターンシップでしたが、これが3週間ほど続きました。次にセメント・スプライサーの使い方を学び、一応の作業ができるようになって、ついに本番作業に入ります。
まずパーフォレーションを修復し、弱くなったつなぎ目をばらしてスプライシングし直します。幸いつなぎ目は挿入字幕の部分に集中していたので、画の部分を捨てずに済みました。
しかし後になって初歩的なミスからど真ん中で画を数コマ切ることになり、自動車が走っている最中にジャンプカットになってしまいました。
楽しかったのはフィルムを触るよりもジェリ・ガルディンとの会話でした。UCLAの動的映像アーカイブに来て30年近くになるジェリは、ゴシップも含めてアーカイブの非公式な歴史をたくさん教えてくれました。
ジェリは日本映画のファンでもあり、次第に話題はアーカイブの所有する日本映画のプリントに及びました。驚くことにUCLAには戦前の松竹作品の35ミリのナイトレート・プリントがかなり良い状態で保存されていることが分かりました。戦前ロサンゼルズで日本映画を配給しようとしていた人が、今から20年位前に寄贈したそうです。
早速、東京国立近代美術館フィルムセンターに問合わせてみると、松竹にも16ミリプリントしかないのではないかというお返事をいただきました。
去年ニュース映画を分類していた時には、東宝で円谷英二を撮影したフィルムを発見しました。円谷が東宝で『宇宙大戦争』という映画を撮影している際の記録フィルム(白黒サイレント)で、本田猪四郎監督や池辺良の姿も記録されています。さすが35万本のフィルムを擁するフィルムアーカイブ、まだまだお宝が眠っているかも知れません。
話がそれましたが、修復が終わって繋ぎ直したフィルムからはUCLAが所有するラボでデュープネガが作られました。プリントは丈夫だったため通常のコンタクト・プリンターが使用されました。
ところがネガ編集の段階になってびっくり。なんと化学薬品がきちんとふき取られずに表面に付着しています。結局、新たに作られたプリントに影響はありませんでしたが、限られた量しか仕事のない自前のラボでは、質の面で営利目的の外部ラボには敵わないのかもしれません。
余談ですが、UCLAのラボにはプリンターしかなく、現像はバーバンクにある「YCM」というラボで行われました。YCMは映画修復専門のラボで、責任者はUCLA出身のエリック・アジャラです。エリックとは私もソニーのインターンシップを通じて知り合いになりましたが、誰もが認める優秀なテクニシャンです。
染色は残念ながら間に合いませんでしたが、生徒が修復した作品は私の分も含めてUCLA構内のメルリッツ劇場で上映されました。ディレクターのクリス・ホラック他、関係者が一堂に会した楽しい集まりとなり、卒業前の素晴らしい思い出となりました。
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