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2008年6月23日〜27日の5日間、第12回東南アジア太平洋地域視聴覚アーカイヴ連合(SEAPAVAA)会議がフィリピンで開催された。会場となったのは1912年創業の由緒正しいマニラ・ホテル。スペイン統治下時代の城壁に囲まれた街並み(イントラムロス)に近く、海に面して落ちついた雰囲気だった。遅れての参加になり、25日のワークショップと復元上映会、26日の施設見学と閉会式に顔を出したのみだったが、昨年のカンボジア会議に引き続き、充実した時間を過ごすことができた。その内容を報告する。(K)
【メルマガFPS Vol.38(2008.8.2)、Vol.39(2008.9.30)、Vol.41(2008.12.01)より】
25日は朝9時から午後5時まで、同時に催された「デジタル化」と「映画保存の基礎」と題するワークショップの「基礎」のほうに参加した。現地の《初心者=生徒》に《フィルム・アーキビスト=先生》が実際に映画保存を講義しながら、教材やトピックの選び方、時間配分など、効率的な教え方を考察するというもの。一言に初心者といっても映画史の研究者から資料保存のプロまで、生徒のバックグラウンドは様々だ。まずは自己紹介を兼ねて、生徒側のニーズを探り出すところからはじまりまった。
パワーポイントやスライドソフトを使っての講義には、劣化の進行した映画フィルムの無惨な姿や、染色の美しい無声映画のフレームの画像、わかりやすいチャートなどが役立つ。こうした著作権フリーの資料を共有するプロジェクトに加え、絶版のため入手しづらい書籍の共有や、教材としての動く映像資料のネット配信についても話し合われた。小会も暫定的に画像共有サイト(Flickr)を利用している。公開/共有できない画像ファイルは、活動の上では結局のところ何の役にも立たないからだ。一部の画像には制限をかけているが、会員はすべてにアクセス可能になっている(2008年7月現在1,726点)。《ホームムービーの日》でも、ホームムービー・センターが中心となって世話人が自由にアクセスできる著作権フリーの画像共有を進めている。
このワークショップを担当した Reto.ch Ltd(スイス)は、シネマテーク・スイスからの委託業務に加えてアーキビスト教育にも力をいれている模様。ナイトレートの冷凍保存からテープ・メディアのマイグレーションまで、代表のReto Kromerの映画保存技術全般の知識には圧倒させられる。最近スイスで開催したワークショップには日本人の参加者が2名もあったとか。ちなみにシネマテークの仕事内容を尋ねると、インベントリー、インスペクション、データベース入力、収蔵庫内のフィルムのモニタ調査、コレクションの出入庫管理…と、アーカイブの仕事の要となるものがそっくり外注なのには驚いた。
映画の復元や上映・展示業務と保存業務を分けて考えることは、必ずしも悪いこととは思われないが、片や韓国映像資料院のように、同じ建物の中にシネマテークとアーカイブと映画博物館が三つ揃いで、ラボ機能まで備えているという欲張りなところもあるのだから、FIAF加盟映像アーカイブの構造は千差万別だ。
一日がかりのワークショップを終えると、一同は復元上映会に参加するため「フィリピン文化センター」内の劇場に向かった。上映前のロビーでローカル・フードのおもてなしを受けるうちに、香港電影資料館(HFA)の司書さんとお話することができた。HFAからは順繰りで毎年2名がSEAPAVAA会議に参加する。約50名の職員さん全員が参加するまでには25年かかってしまう計算になるが、出張費など一切出ない小会にしてみれば、夢のような話。お二人は帰国後の参加報告会のために、会議の様子をビデオカメラで熱心に撮影されていた。
上映作品に選ばれたのは、地元アーキビスト一押しの1959年に制作された『BIYAYA NGLUPA』(邦題は「大地の恵み」)。前説によると、主演の二人は普段は決って悪役、ところがこの作品では例外的に良き父、良き母を演じ、勧善懲悪がお決まりの当時のフィリピン映画には珍しく、設定に深みがある。当時の海外の映画祭で絶賛されたとことにもうなずける、女は強し、の映画だった。
翌日は朝からお楽しみの見学会。テレビ局のABS-CBNアーカイブとモウェルファンド・フィルム・インスティチュートを同じ日に回るコースに参加した。最新鋭の機材が揃うテレビアーカイブをさらりと流した後、ついに憧れのモウェルファンドへ!
映画保存への取り組みが盛んな国として古くから知られるフィリピンには、SEAPAVAAの本部が置かれている。モウェルファンドはそんな彼らの「本拠地」でもある。しかしテレビ局と比較すると、フィルム置場に空調すらない現状は予想以上に厳しいものだった。博物館の中では、日本統治下のプロパガンダ映画『あの旗を撃て』(1944年、Dawn of Freedom)の展示が気になり、色褪せたポスターに添えられたキャプションの文字を暗い照明の下で読んでいる間に団体から置いていかれてしまった。窓の外を覗くと、皆は屋外展示の「映画スターの庭」に到達している。残っていたスタッフのリッキー・オレラーナさんが、遅れたついでに、と上階の作業場を見せてくださった(ちなみにアニメーターでもあるリッキーさんは、今回の会議プログラムの表紙イラストを手掛けた)。たった1台の縦型の手動リワインダーが主役の座を占める作業場では、ヤシの葉の鮮やかな緑が手の届く距離で風に揺れ、その隣のガジュマルの木の枝の上では野良猫が、漂ってくるビネガー臭もなんのその、すやすやとお昼寝中。奥の物品棚に積まれたフィルム缶に向けて首を振っている何台もの扇風機と、木炭の山(ビネガー対策!)。この作業場のことは、限られた予算の中で最善を尽くすモウェルファンドの意気込みとともに、帰国から3ヶ月が過ぎた今も忘れることができない。
見学を終え、夜のパーティーがはじまるまでの小一時間を使ってようやく街に出た。曇天ながら、やはり熱帯。少しの散歩でもじっとり汗ばむ暑さ。こんな気候の中ではフィルムの劣化も止めようがない。明るくにぎやかな市場を抜けてイントラムロスの壮麗なサン・アグスチン教会(世界遺産)のあたりを歩いていると、かつて日本軍が10万ものマニラ市民を殺戮し、歴史的な建造物を破壊し尽くしたという事実に、否応もなく胸が苦しくなる。冷房の効いた乗合タクシーに拾われて会場に戻ると、既に閉会式が始まっていた。その夜は、チャリダー・ウアバムルンジットさんはじめ、パワフルなタイの関係者のテーブルに混ぜていただき、民族舞踊に豪勢なお食事と、至れり尽くせりの一夜を楽しんだ。
会期中はこれでもか、というほど手厚いおもてなしを受け、たくさんのお土産をいただき、重いスーツケースを引きずって帰国した。韓国から帰国するときも、欲張ってポスターやらDVDボックスセットやらを持ち帰り、たいへんなことになったが……同じアジアでも、日本では客人をここまで歓待しない。笑顔とともに供される心づくしのおもてなしに、何のお返しもできないことがもどかしくもあった。
小会が進める「映画の里親」プロジェクトのPR映像も会議の中で上映していただいた。前説をつとめてくれた国際会員のブリジット・パウロヴィッツに感謝。会議にあわせて発行されたSEAPAVAAのニューズレターには、「里親求む!」の大見出しが掲載され、はやくも2名の参加者が資金提供への興味を示してくれた(担当者に伝えたが、結果的にはうまくいかなかったとのこと)。今回の会議で代表がフィリピンのベリーナ・カプルからタイのTUENJAI SINTHUVNIKに交代し、理事も再選出され、映画関係のニュースでたびたびお名前をお見かけするエイジアン・フィルム・アーカイブ(シンガポール)のTAN BEE THIAMのほか、フィジーのALIPATE MATEITOGAらが新たに加わった。
次回の開催地として有力だったジャカルタは国政選挙の日程と重なるとかで、香港説も浮上している。香港なら(近いので)日本からの参加者もあるかもしれないと言うと、「日本人には冒険心がないの!?」と理事の皆さんはがっかりされていた。冒険心があってもなくても、初の東アジアでの開催が実現するとなれば喜ばしいことだ。開催国がどこになろうと、日本から「お土産」を携えて、彼らの笑顔と再会できることを楽しみにしている。
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