「第8回映画の復元と保存に関するワークショップ」(2013年8月)は、初日の午前中に3つの講義を盛り込みました。ここには、京都府京都文化博物館主任学芸員・森脇清隆氏(「映画へのかかわりと役割」)、コダック株式会社執行役員・稲見成彦氏(「コダックの今後の役割『なぜフィルムなのか』」)に続く東京国立近代美術館フィルムセンター主幹・岡島尚志氏の講義を採録いたします。国際フィルムアーカイブ連盟会長を務めるなど、国際的にも映画保存の領域を牽引されている岡島氏は、PCの不調による短い中断を挟む約40分の中で、映画保存のこれまでとこれからを幅広く論じてくださいました。ぜひご一読ください。
本日はよろしくお願いいたします。
森脇さんが歴史の話をされて、稲見さんが技術の話をされましたので、比較しますと私は哲学寄りの話をしたいと思います。
稲見さんの講義は、技術に疎い私にとってたいへん勉強になりました。コダックがこれからもフィルムを生産し続けるということを強調されたのだと思います。
皆さん『東京物語』(1953)のことはご存知でしょうが、東山千栄子が倒れてしまった後に、杉村春子は実家に帰るのに喪服を持っていく、しかし原節子は喪服を持っていかない。つまり、まだ亡くなるかわからないときに、亡くなることを考えて喪服を持っていく人と、いや、喪服を持っていってはいけないのだと考える人がいると思いますが、私は今日、皆さんのお話を聴いて、映画にかける喪服はいらないと強く感じた次第であります。
題名の「映画保存の今後—世界と日本のフィルムアーカイブの立場から—」ですけれども、結論を先に申しますと、世界と日本のフィルムアーカイブの立場から「映画保存の今後」というのは実はよくわからない。そのことを前提に話をさせていただきます。
言葉の整理をしながら、本題に入っていきますが、このワークショップは——ワークショップというのは辞書を引きますと、講習会という意味が出て参りますが——「映画の復元と保存に関するワークショップ」ということになっております。私は今回が初めての参加なのですけれど、〈保存〉という言葉の前に〈復元〉という言葉があるということは、おそらくこのワークショップを考えられた方々は、〈復元〉という仕事が(可能性として今後)あるということを、かなり強く意識していらっしゃるのではないかと思います。
まず「映画の復元と保存に関するワークショップ」の内の〈映画〉という言葉ですけれども、これが今、まさに再定義の必要に迫られているわけですね。先ほどもデジタルボーン/ボーンデジタルの〈映画〉のお話が出てきましたけれども、とりわけフィルムアーカイブと呼ばれる組織/機関にとっては、保存をする対象が変わってしまいつつあるわけですから、今までと違って〈映画〉というものをきちっと定義する必要があろうかと思います。フィルムが主流であったところにボーンデジタルのものが出てきたわけですけれども、もしかしたら、このままいくと、「フィルム映画」という日本語を使う必要がでてくるのではないでしょうか。実際に私たちは職場の中で「フィルム映画」と「デジタル映画」というような言い方をしはじめています。
次に「映画の復元と保存に関するワークショップ」の内の〈復元〉ですけれども、私の言葉の定義ですと、受動的でスタティック〔静的〕な〈保存〉というのが〈保管〉という言葉になります。そして、〈復元〉というのは、〈保存〉の中に含まれているということになりますが、能動的な/アクティブな〈保存〉であろうと——少なくともそう定義して話を進めさせていただきます。
日本語でいいますと〈補修〉、〈修復〉、〈復元〉という三つの言葉が映画保存では使われてよいのだろうと思いますが、その大小関係はここに示すようになろうかと思います。
先日、YAHOO!JAPAN 知恵袋を見ておりましたら、文化財の領域に関しましては、吉野ヶ里遺跡の住居は〈復元〉、東京駅は〈復原〉という文字をあてるのだそうです。つまり吉野ヶ里遺跡というのは、当時のものは何も残っていない。例えばその跡地に凹みのようなものがあれば、ここに大木があったのではないか、といったことを「想像して復する」わけですが、そういうものを〈復元〉という。東京駅の場合は、かつての写真等が残っていて、それを元に「原に復する」。映画もしくは映像の〈復元〉というときには、〈復原〉は使っていませんから、〈復元〉という言葉でよいのだろうと思います。
ところで私は東京の京橋というところで34年ばかり仕事をしております。その前から、東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)のことは知っておりましたので、およそ40年にわたって東京駅をみておりまして、そのかつての美しいフォルムをよく記憶している立場からしますと、今度の東京駅というのは、私の知らない遥か昔の東京駅なんですね。遥か昔の東京駅のほうが、その後、二代目となった東京駅より「原」である、しかも美しいと信じる人たちが、初代の東京駅に復したわけですけれども、私自身はあまりそれが好きではない。記憶に長く残っている東京駅のほうが美しいと考えております。今の東京駅は私の勝手な感覚によれば、ミロのヴィーナスに腕をつけたような気がしないでもない——JRの方がいらっしゃったらごめんなさい、これはあくまでも個人的な感想です。
さて仕事としての映画保存ということを皆さんお考えになり、ある種の期待をもってここにいらっしゃったと思いますけれども、仕事として映画保存というのは本当にあるのでしょうか。あるのかもしれません。皆さんどんなイメージをお持ちでしょうか。
「あなたの仕事は何ですか?」と問われたとき、「映画を収集しています」と答えたとすると、「では、あなたコレクターですか?」と聞き返されたりします。「映画を保管しています」と答えたら——保管とは先ほどの〈保存〉の中のスタティックなものですけれども——「あなたはビル管理の専門家ですか?」と問い返されるかもしれません。「映画を補修/リペアしています」と答えれば、「じゃあ、職人さんですか、IT関連の技術者ですか、あるいは現像所にお勤めですか?」といった答えが返ってくるかもしれません。もっと広く「映画を保存しています」とあながたが答えたとすると、「あ、もしかして映画会社の方ですか?」と問い返されるかもしれません。
私がもし「あなたの仕事は何ですか?」と聞かれたらこう答えます。「公的なフィルムアーカイブに勤めるアーキビスト/キュレーターで、予算をいただき、資金を集め、映画会社/作家/著作権者の方々のご相談を受け、こちらかもご相談を申し上げ、現像所さん等に仕事を発注しております。専門は映画史の研究です」。そうすると、「え、フィルムアーキビスト…… フィルムアーカイブのキュレーター…… 何ですかそれは?」という反応になるのではないでしょうか。
何が言いたいかというと、このことが、例えば美術館や博物館のように、極めて確立された分野の場合には、こうした問い返しは起こらないということです。「あなたの仕事は何ですか?」、「はい、美術を収集しています」、「あ、美術館にお勤めですね」。それで終わってしまうかもしれません。「あなたの仕事は何ですか?」、「はい、美術品を修復しています」、「じゃあ美術修復師の方ですね、もしかしたら美術館と関係していますね」、とイメージがわきやすいんですね。しかしながら映画の場合には、はっきりしない。私たちは多くの方々の協力を得ながら仕事をしているんですが、そこのところが、21世紀が10年以上経ってもまだまだ曖昧であるということが申し上げたいのであります。
〈映画〉の定義をしてみましょうということですが、これは2001年に、映画の保存に関する記事を東京新聞に書いたとき、その目的のためだけに私が考えた定義です。今から12年ほど前のことになります。
細長く薄いフィルム上に、大量に一定間隔で連続して撮影され固定されたわずかずつ図柄の異なる光を透過する小写真群が、定速で間歇運動しながら流れていく過程で、前方の白く大きな矩形幕に明るい光源とレンズによって拡大投射されるもの。(2001年1月9日)
これはこれで正しいのですが、今や映画というものの定義としてはまったく満足のいかないものになっています。国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)という国際機関の規約をみると、その一丁目一番地のところに、フィルムという言葉にFIAFがどんな意味を持たせているのかが書いてあります。つまり、それは動く像の記録なんですけれども、何の上に定着されているかというと、フィルムだけでなく、磁気テープや光学ディスクその他これから発明されるあらゆるものも含めてみんなフィルムだとFIAF は定義しているんです。そういう団体もあります。これは、私は良いところも悪いところも両方あろうかと思っております。
FIAF STATUTES, Chapter 1 Title and Aims, Article 1
By “film” is meant a recording of moving images, with or without accompanying sounds, registered on motion picture film, videotape, video-disc, or on any other medium now known or to be invented.
最近の例として、2013年8月16日にウィキペディアで見つけた映画の定義には、フィルムというのは、元々はプラスチック・フィルムだというようなことが書かれています。そして、映写機を使って大きいスクリーンに投影するもの。最近になってデジタルフィルミング、データ保管というものも現れていて、最終的な記録については、ハードディスクやフラッシュメディアを用いる。それもフィルムと呼ぶといっているんですね。これも今後変わるかもしれません。
ちなみに、アニメーションの話をさきほど森脇さんがされましたが、アニメーションの定義も調べてみるとなかなか面白いですね。1979年頃から最近まで、どう定義されてきたかをいくつかの辞書等で調べてみましたところ、映画製作の枝分かれした一つ(branch of film making)というような定義があったりします。1979年というのはもうずいぶん昔のことですから、この頃はまだ、人々の頭の中で、アニメーションというものが一定のものだったということは言えると思います。1983年頃の映画テレビ用語事典では、フレーム/コマということを非常に重要視しています(one, two or three frames)。1998年頃には、コマ撮り(stop-frame photography)がアニメーションの基本だという定義がなされている辞書があります。
私の友人でもあるケヴィン・ジャクソン(Kevin Jackson)は、語源学にも詳しく、アニメーションという言葉がかなり昔から使われているということを辞書の中に書いています(The Language of Cinema, Carcanet Press Ltd, 1998)。ジェリー・ベック(Jerry Beck)は2004 年に、アニメーションという言葉が映画という言葉より古いということを言っています (Animation Art: From pencil to pixel, the history of cartoon, anime, and CGI, Harper Design)。これは興味深いと思います。アニメーションという言葉が、フィルムの誕生よりも前にある。オーストリアのアニメーション史を論じた最近のヨーロッパの研究書にも同じ文脈のことが出ていました。昨年4月のウィキペディアのアニメーションの記述は——誰が書いたかわかりませんが、どこにもフィルムという言葉は使われていません。そういう時代にきているんですね。
さて、ちょうど京都に来ておりますが、今から11年前の2002年、ずいぶん前ですが、この近くの京大会館というところで開かれた日本写真学会で、映画保存についてのプレゼンテーションをする機会がありました。その頃の私と今の私との比較のため、そのときの内容(「フィルムアーカイブとデジタル時代」)を使ってみたいと思います。そうするとですね、同じようなことも言っているわけですが、NFCのコレクション量は当時3万本あったんですね。今はこれが7万本に届こうとしています。つまりフィルムの集まり方が10年程のあいだで倍増どころではないことがわかります。それから、当時言われていたんですけれども、映画フィルムっていうのは120億フィート(470万プリント以上)くらい世界にあるんじゃないかと試算をする人がいて、これを今後ぜんぶコピーしてきちんと保存すると、相当なビジネスになるはずなんですけれども、実際には世界中どこも、そのためのお金がないんですね。フィルムの保存は本当にお金がかかる。ビジネスのチャンスはあるけれど、そのお金はなかなか出てこないということで、日本も含めて各国で苦労しているわけです。
当時の私はこう考えていました。デジタル技術によって何が変わるのか? 変わってもいいのか? 変わらざるを得ないのか? 何が残るのか? ——11 年経ってもこの疑問には完全には答えられません。
この頃、私や世界のフィルムアーキビストたちが考えていたデジタル保存の問題点というのは、例えば(1)フォーマットの陳腐化とマイグレーションの不確実性、(2)デジタルキャリアの物理的・化学的な耐久性、(3)ミクロレベルで倫理/インテグリティが毀損される可能性があるのではないか、(4)メディアの壁を越えた解像度への疑義といったことです。先ほど稲見さんのお話の中でも、35mmをピクセルにするとどれくらいかというお話がありました。これは世界中で言われていることではありますが、一方で、本来は、フィルムの中に含まれているコンテンツをデジタルのデータに関する数字で表してはいけないのではないか、という人たちがいないわけではありません。それから、(5)人為による大事故によるリスク——今も、ちょうどPPTの表示に不具合が起きたりしていますが——ちょっとした事故で多くのデータがなくなってしまうというようなことがデジタルでは起こりやすいということです。(6)急速なデジタルシフトが起きるとその中で歴史的な技術情報が散逸してしまう。インフラが衰退してしまうだけでなく、情報も散逸してしまう可能性があるわけです。(7)人的、時間的、経済的なコストの問題。こういったことを考えておりました。
10年以上経っても未だに疑問点はまったく解消されませんし、同じようなことに悩んでいるわけです。
デジタルシフトをシナリオ化すると、まずフィルム生産の縮小、複製の不可能性、フィルム現像インフラの衰退、ハイブリッド化、映写機の減少、映画館の変化といったことが起きます。これらのことが起きた後、フィルムはフィルムアーカイブだけに残るといったようなことが起こるのかもしれない。そのような予想をしていたわけです。予想はだいたいその流れのままになったと思います。映画保存の一つの基本は複製物をつくるということですけれど、70年前の映画をそのまま保存してきて、ある時期に複製物をつくると、そこから命がリフレッシュされるんですね。その新しい命のはじまりがフィルムかデジタルかということになると、フィルムの場合は、そこから長く保ちますし、マイグレーションフリーで保存できるという大きな利点があります。
繰り返しになりますが、私あくまで原節子の立場で話をしているのであって、杉村春子のように喪服を持って話をしているわけではないということは、強調しておきたいと思います。
フィルムアーカイブにとってフィルムというのは、「聖なる無用なもの」になるという予想もしていました。私は無用などとは絶対に思いませんが、そのように考える人が出てくるという予想です。デジタル時代になると、「なんだ、税金を使って、上映もしないのにこんなに映画フィルムを持っているのか」という意見が出てくる可能性があります。
オリジナルとは何かが問われるようになり、今までは使うものだった上映プリントそのものに永久保管の対象としての価値が出てくる。そこで当時はこんなことを言っていました。古いですけれども「11年前の新思考」です。
つまりフィルムというのは、映画のコンテンツを載せているインフォメーション・キャリアなわけですね。モノの保管とデータの保管を両方やらなきゃいけない、組み合わせながらやっていく必要を考えなければならない時代になりました。保管をしていくと矛盾が出てくるわけですが、メディアアーカイブがメディアレスになるという矛盾も生まれかねないと当時は考えていました。
フィルムというのは、プラスチックのキャリアの上に映像のコンテンツが乗っかっている。このキャリア-コンテンツ原則が崩れるんじゃないかと、あるいは、これはデジタル暗黒時代の始まりではないかと当時心配していた人がいました。また、20年に1回式年遷宮があるんだから、聖なる35mmフィルムを遷宮と同じように定期的に時期につくり直したらどうかと、オーストリアのペーター・クーベルカ(Peter Kubelka)という実験作家が「伊勢神宮メソッド」という言葉を使って説明していました。
当時の暫定的結論としては、(1)過去のどんなフィルムも基本的には捨てないこと、(2)原形に施した技術的な作業の詳細な記録を残すこと、(3)デジタル化/デジタルデータ保管のあともオリジナルのフィルムを捨てないこと――これらは今も変わっていないと思います。そして、(4)捨てても良い判断の国際的な指針づくりの必要性というのを、もしかしたら将来考えねばならないのではないかと、当時から考えていたわけです。つまりものすごい酢酸の臭いと闘いながら仕事をしている人たちも、世の中にはいるわけです。どう考えても他のフィルムに対してエピデミックといいますか、伝染してしまうようなフィルムもあるわけで、捨てても良いという何らかの極めて慎重なジャッジをする、そういう指針をつくるべきではないか、ということです。まだFIAF でもつくってはいませんが、最近これについて言及する人たちも少しずつ出てきました。
では、今はどう考えているか。今年ある学会〔日本映像学会第39回大会〕で発表した話ですけれど、富士フイルムが映画フィルム製造から、ほぼ撤退するということを受けて、では私たちフィルムアーカイブがどういうことを考えていくべきかをまとめたものです。
先ほど言ったことと共通しますけれども、米国議会図書館のマイク・マション(Mike Mashon)というフィルムアーキビストは、今や、どんな35mmプリントもアーカイバル・プリント、つまり保存用だと考える必要があると言っています。だから、フィルムは頼まれても上映に貸さないこともあり得る。それがフィルムアーカイブの本音なんですね。白黒長編映画35mmフィルム1本が5万ドルというのが現実だとすると、ハーバード・フィルムアーカイブのヘード・ゲスト(Hade Guest)は、「我々はもはや映画フィルムのビジネスではなく、ファベルジェの卵のビジネスをしているんだ」と言っています。つまりロマノフ王朝のとんでもなく高価な宝飾品を扱っているのと同じだというんですね。映画保存をコスト(お金がいくらくらいかかるの?)、リスク(どんなリスクがあるの?)、ベネフィット(どういった利益をもたらすの?)の三つを三つ巴で考えていくしかないだろうというのが、サザンプトン大学のマシュー・アディス(Matthew Addis)というフィルムアーキビストの考え方ですね。
目の前にフィルムがあるとして、それを完璧に保存していくためには、コダックのアセット・プロテクションフィルム(APF)や富士フイルムのエテルナRDSを使うしかない。私は何れかに加担しているわけではありませんが、何れにしても、とんでもなくコストがかかる。ではもっと安い方法で、例えばDVDで残しておこうとすると、長期的にみてどの程度の利益が見込めて、どんなリスクがあるのかを考えなくてはいけない。つまりコスト、リスク、ベネフィットの中で大量に持っているフィルムを扱っていく必要があるわけです。
米国の標準セットとしては、オリジナル・キャメラ・ネガティブ(OCN)と、そこからダイレクトに作ったインターポジ(IP)と、YCM のセパレーション(白黒フィルム)を残すというのがハリウッドメジャーの一般的なかたちでしたけれども、最近になって、長期保存用の、デジタルデータに最適化されたアーカイバル・フィルムなども出てきたという状況があるわけです。
専門用語は——日本の現像所と少し用語が違うこともあるのでその点はお許しいただきたいのですが——非常に難しくなってきていますね。例えばタイミングとグレーディング等、元々ヨーロッパと米国でも違いましたけれども、言葉が色々と変わってきているので、映画保存の哲学を目指している私としましては、時々困るところです。
映画保存は、今や時間稼ぎの時代に入っている。なにしろ大量にあるわけで、どういうかたちで皆さんに使っていただくかが重要です。膨大にあるものの中から選んで、短期的、継続的マイグレーションすることを考えていかなきゃいけません。優先順位を策定するということが非常に重要です。
今日の結論です。「何が問題なのか?」というと、要はとんでもない量のフィルムがあるということなんです。その量というものを見たとき、それを集めて保管しているわけですから、ここで時間稼ぎをしていくということです。きちんと保管ができれば、時間稼ぎができます。その中で新しい技術の開発を待つこともできるし、より安価な、しかし、より高度な保存方法も見つかるかもしれません。
デジタルの時代になったからボーンデジタルの映画がたくさんある、それを収集しなきゃいけないでしょうと言われますが、その前に、安全保護されていない大量のフィルムがあるんです。日本も世界も同じです。そしてもちろん、デジタル映画は急増しています。
私たちがすべきことは、総量の算定と、先ほども出ましたが、どれから先に収集し、どれから先に保存処理をしていくかという優先順位をつけることです。新技術と伝統技術をうまく組み合わせることがたいへん重要なんですね。コンサベーションは保管、マイグレーションは情報の新しい媒体への移し替えですが、そのときどのくらいお金がかかり、どのくらいの間隔でマイグレーションを行い、本当にデータのロスがないか、ちゃんと確認しながらやっていく必要があると思います。NFCはもちろん国の機関ですから、働いているのは役人であります。役人のすばらしいことは何かといいますと、管理をすることを忘れない点です。官僚的であるということはモノを保管するためにいいことなんです。そこを非常に重要な点として強調しておきたいと思います。それからメタデータについてよく考えなくてはいけない、そういう時代にきました。以前よりはるかに。そしてオリジナルとは何かがわからなくなっていますから、ここをうまく定義していく必要がある。
「どうすればいいのか?」については、組み合わせて考えるしかないのですが、(1)可能な限りオリジナルまたはオリジナルに当たると考えられるものを最適な環境で延命し、維持する。(2)可能な限りフィルムの複製化をする。(3)目的に応じたデジタル化と定期的なマイグレーションを行う。富士RDSやコダックAPF、あるいは今後開発される超安定素材で長期保管をするということなんですね。
気をつけなくてはいけないのですけれど、本当に100年後、200年後、300年後に読み取ることができるのかということは、結構大きな問題になろうかと思います。スイスのバーゼル大学が「モノリス」というプロジェクトを始めて、つまり写真フィルムの中にアナログ画像(光に透かせば見えるもの)と、それと同じデジタルデータを埋め込むということをやりましたよね*。これは良い発想なのですが、彼らも心配しているのは、100年後、本当に読み取れるんだろうかということです。読み取れると信じたいですけれども、定期的な読み取り確認ということが必要なのかもしれません。
ロマンチックに言えば優先順位なんかつけちゃいけないんですが、現実的に言えば、つけざるを得ません。例えば目の前に外国映画と日本映画があったら、当然ながら日本映画を重視するのが日本のフィルムアーカイブの立場です。そういうものです。劣化の進んでいるものとそうでもないものがあれば、劣化の進んでいるものが先です。当然のことです。そういったいくつかのクライテリアがあって、最終的には美学的に優れている、歴史的に貴重といったことで順位をつけていく必要があります。私は大人なので、大局的な妥協というのもフィルムアーカイブにとっては極めて重要であると考えています。
さて、色々な意見が世界中から出ていますが、あるドイツの音響アーキビストは次のように言っています。「今日の視聴覚保存には3つの重要な要素がある。それは、メタデータ、メタデータ、メタデータ」。ハワード・ホークスの映画のセリフをもじったような言葉ですが、メタデータというものが以前よりはるかに重要になっていることを、うまく表現しています。そのメタデータの記述について、EU諸国では新たな取り組みが、今、始まっているところです。
何が必要でしょうか。「お金」、「人」、「法律」、「技」、そして「知識」や「情報」。とくにお金です。たいへんお金がかかります。「資金づくり」、「啓蒙」、「教育」。教育といえば、イギリス人はものを残すのがとても上手ですけれども、彼らは子供の頃からボーイスカウトの中で切手の分類なんかをやらされるんですね。日本人は、やればきちんとやるのは目に見えていますから、子供の頃から始めるというのは、必要かもしれません。
「戦略」、「映画の文化財化」。これはNFCも力を入れて、国宝/重要文化財に映画を指定するということをやっております。一方で文化の政治指標化ということも重要かもしれません。映画を大事にする政治家には票が集まるような、何か指標化ができたらいいですね。
あって悪くないものとしては、「愛」、「情熱」、「海外との比較」。よくフランスはいかに素晴らしいか、米国はいかに進んでいるかという話をする人がいますけれども、それは時には有効ですが、そうではない場合もあります。
フィルムについて、私はロバート・ミッチャムを気取って「LOVE & HATE」と書きましたけれども、憎悪などまったくありません。しかしながら、なかなかフィルムというのもはたいへんなものでもあります。それで、理想的な映画の保存媒体や方法というのは、今のところはコダックや富士フイルムのアーカイバル・フィルムであることは間違いないのですけれども、整理してみるとこういうことではないかと思います。
(1)極めて安定した素材に情報が乗っているということ、しかもそれが安価であること。例えばガラスのように化学的に安定したものの中にデータを残すというような研究が、世界中で行われているわけですね。それから、(2)データとメタデータが一体型であるということ、このメリットは大きいと思いますね。ただし、すべて同じものの中に乗っていることには、実はまた別のリスクがあって、一体型も重要なのですが、一方で(3)リスク分散の考え方からは、2コピー原則というのも必要かもしれません。それから、(4)書き込み/読み出しの長期保証も重要ですね。それから、多くの人を納得させるには、(5)省エネルギー、エコロジカリー・コレクトということも、ちゃんと言う必要があるんだと思います。フィルムのとんでもない劣化臭をかいでいると、エコロジカルに大丈夫なの? っていう意見が出やすいんですね。これも考えておく必要があります。
1000年保存を目指すなら岩に刻印するのが一番、あるいは500年の保存は、実績から見れば墨と紙で描いたほうがいいということになります。実際に、安定したものの上にデータを書き込めば、長く残るんです。残るんですが、問題は、箱と建屋をどうすればいいかということですね。1000年保存しておく場所は本当に保つものかどうか。単純な疑問ですけれども、1000年保つものに価格を付けられるでしょうか。それは難しい問題だと思います。読み出しの長期保証がコスト計算されるべきではないかという気もしています。
結論のない中でフィルムに対する「LOVE」だけでお話をしましたけれども、その点はお許し願いたいと思います。最後に二つだけ。まず一つは、14の文書で成り立っている「リンドグレン・マニフェスト」(Lindgren Manifesto-The Film Curator of the Future, 2010)**という映画保存に関する文書がありまして、その中で著者のパオロ・ケルキ・ウザイ(Paolo Cherch Usai)は言っています。
Be aware that the world is not interested in film preservation. People can and should be able to live without cinema.〔世間が映画保存に無関心であることを忘れないように。人は映画なしでも生きることができる/できるはずである。〕
これは非常に重要なことなんです。ここに集まっていらっしゃる皆さんは当然、映画保存に興味があるんです。でも、世間はまったく興味なんかない。そのことを考えておく必要があるということです。そしてもう一つは、これから映画をつくる方々に、製作費の一部に保存費を含め、これを著作権保護期間中に聖域化することをやっていただければ本当に嬉しいなと思います。仮に製作費1億円として、例えばその5%の500万円を70年間の保存費として考えると、7年に一度マイグレーションするとして10回分のマイグレーション代になる、といったことです。それから、製作後の割合早い時期に、例えば20年以内に、その後何十年も著作権は続くわけですから、保存計画についてNFCにご相談くださいということを申し上げて、私の講義を終わりたいと思います。
ありがとうございました。
*清野晶宏著「フィルムを活用したデジタルデータの長期保存について」(PDF)に詳しい。
**英国映画協会(BFI)の国立映画劇場(NFT)で2010年8月24日に現BFI国立アーカイブの75周年と、その初代キュレーターであるアーネスト・リンドグレン(1910-1973)の生誕100年を祝って行われたアーネスト・リンドグレン記念講義において発表された。
「映画保存の今後—世界と日本のフィルムアーカイブの立場から—」
日時:2013年8月24日(土)11:35~12:15
会場:京都府京都文化博物館フィルムシアター
講師:岡島尚志氏(東京国立近代美術館フィルムセンター主幹)第8回 映画の復元と保存に関するワークショップ」
主催:「映画の復元と保存に関するワークショップ」運営委員会(大阪芸術大学/玩具映画プロジェクト/神戸映画資料館/京都府京都文化博物館/NPO法人映画保存協会/プラネット映画資料図書館)
特別協力:国際オリンピック委員会/崑プロ/東宝株式会社/日本オリンピック委員会
協力:株式会社IMAGICAウェスト/オーディオメカニックス/コダック株式会社/東京国立近代美術館フィルムセンタ-/富士フイルム株式会社/報映産業株式会社 (五十音順)
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