*このレポートは2012年度アーカイブズ・カレッジ短期講座の修了論文として提出したものです。
平成24年度アーカイブズ・カレッジに参加し、初めてアーカイブズ学を学ぶ機会を得ることができた。また、実際に文書館でアーキビストとして勤務する方の実体験も伺い知ることができ、終了後も講義の中で参照のあった関連書籍を興味深く読んだ。
この経験から、個人的に普段扱うことの多い視聴覚メディアであるホームムービーを例にとり、現在日本国内におけるアーカイブズの状況に当てはめて、筆者なりに考察してみたい。
ここで指すホームムービーは、1920年代に一般個人向け映写機とカメラが開発・発売されたことにはじまり、いわゆる「プロフェッショナル」ではない人々によって撮影された非商用の記録映画群で、そのフォーマットは小型映画と呼ばれる8mmや9.5mm、16mmフィルムであることが多い。特に1965年コダック社がスーパー8を、富士フイルムがシングル8をそれぞれ発表し、世界中で爆発的に流行した。また、1977年以降はビデオテープの普及があり、1990年代以降のデジタル技術のめざましい発展によるさまざまなデジタルフォーマットでも存在する。
その内容は家族のささやかな日常の風景や旅行の記録、時節行事、地域のイベントなどを撮影したものが多く、時代の風俗が市井の視点で親密に記録されている。それは、時に文字情報では伝えきれない空気感まで、組織や地域のアイデンティティをわかりやすく情報量豊かに伝え証明する。名もなき人が撮影したささやかなホームムービーであっても、個人的な唯一無二性と相反するように普遍的な共有可能性をもち、その組織や地域にとって貴重な映像史料といえるのだ。
ただし、残念ながらとかく保存に関して行政による取り組みや積極的な受け入れ先は今のところ少なく、記録作成者自身の無自覚や世代交代など、さまざまな事情によって散逸し続けている。
日本は商業映画の分野でも困難な問題を抱えているが、ここで取り上げるのはいったんホームムービーに限ることにする。
「視聴覚メディアであること」「民間(私的)史料であること」という2つの本来の性質によって、ホームムービーは保存されるにはすでに困難な状況を抱えてしまっている。
ひとつは、視聴覚メディアが積極的な保存対象になっていないという問題。もうひとつは、民間史料が積極的な保存対象になりにくいという問題だ。
以上の2点について現状を明らかにしてみたい。
アーカイブズにおける視聴覚メディア(=音声記録と動的映像記録)が現在置かれた状況とはどのようなものだろうか。
1877年エジソンの「フォノグラフ」(レコード)発明にはじまる音声記録技術の歴史が135年、1891年同じくエジソンの「キネトグラフ」(カメラ)発明にはじまる動的映像記録技術の歴史が119年、その生み出される量は常に増え続けており、パソコンやインターネットの普及、特に近年のデジタル技術の進歩により加速度を増すばかりだ。それは現代のコミュニケーション形態を反映した必然的な傾向といえる。例えば筆者の場合、一日の接触時間の長さという単位において、文書記録よりも視聴覚メディアを通した情報受信が上回っている実感がある。
その視聴覚メディアが人類共有の文化的遺産であり保護すべき対象である、と明文化されたのはやっと1980年のユネスコ「動的映像の保護及び保存に関する勧告」だった。その後日本国内で1987年に制定された「公文書館法」で、適用対象を以下の通り定めている。
第二条 この法律において「公文書等」とは、国又は地方公共団体が保管する公文書その他の記録(現用のものを除く。)をいう。
これについて、総理府の「公文書館法解釈の要旨」(平成元年6月1日発行)によると「公文書」とは、
公務員がその職務を遂行する過程で作成する記録を、「その他の記録」とは、公文書以外のすべての記録をいい、また、これらすべての記録の媒体については、文書、地図、図面類、フィルム(スライド、映画、写真、マイクロ等)、音声記録、磁気テープ、レーザーディスク等そのいかんを問わないものである。したがって、「その他の記録」には、古書、古文書その他私文書も含まれることになる。
とある。よって一解釈とはいえ、法的に保存および利用に関し、視聴覚メディアも適切な措置を講ずる責務の発生対象となっていることになる。ここに「アーカイブズとは本来メディアを問うものではない」という前提を確認することができる。
しかしその前提にかかわらず、現実には視聴覚メディアは未だ例外的な存在とされ、文書館等でアーカイブズとして取り扱われている例はむしろ少数である。例えばホームムービー1本さえよほどの理由なしにはおそらく受け入れられるのは難しいだろうし、持ち主にとっても受け入れ先になるとは想像しないだろう。むしろもともと文書館等で保管されてきた記録映画フィルムの類でさえ、保存環境が整っていないことやその取扱可能な人材不足等の理由で持て余し、唯一国のフィルムアーカイブである東京国立近代美術館フィルムセンターへ寄贈される例が増えているという。
毎年10月の第3土曜日に、地域や家庭に眠るホームムービーを持ち寄り上映する「ホームムービーの日」という世界17カ国で世界同時開催のイベントがある。このイベントに向けてホームムービーの提供を呼びかけることで、長年押入れの中に眠っていた映像史料が思い起こされ、発掘のきっかけになることもある。このとき持ち主からお預かりしたフィルムなどホームムービーは、状態調査を行い、問題がなければ映写機にかけて上映する。その後、保存方法についての注意書きと共に「どうか捨てずにいつまでも大切に保存してください」というカードを添えて持ち主に返却するのだが、そのとき主催者は実際心許なく祈るような気持ちになるものだ。果たして一個人の力で一体いつまでどのように保存可能だろうか。
しかし、保存し続けることに不安を訴える持ち主に対して、案内できる永続的な保存環境を担保された公的な受け入れ機関(フィルムアーカイブや映像部門を擁する公文書館等)は、今のところごく限られている。そのひとつである東京国立近代美術館フィルムセンターでは、理想として「網羅的収集」を掲げつつも、寄贈にあたり定められた「東京国立近代美術館における映画フィルム及び映画関連資料寄贈等受入れ規程」(平成13年12月25日制定、東京国立近代美術館規程第19号)の第2条「受入れフィルム等」で以下のように規定している。
第2条 フィルムセンターが寄贈等により受け入れることができる映画フィルム等は、次の各号に掲げるものとする。
一 劇映画、文化映画、記録映画、アニメーション映画及びニュース映画等のフィルムのうち、名作又は秀作と認められるもの
二 映画史研究及び映画作家研究等の映画研究に必要なもの
三 時代、文化及び風俗を反映しているもののうち重要なもの
四 撮影台本等の映画の製作に関連するもの
五 ポスター及びスチル写真等の映画宣伝に使用されたもの
六 その他映画に関連した資料で特に貴重なもの
このように、ある程度限定的な表現となっている。
ホームムービーの場合、主に「三」によって判断されることになろうが、受入れを判断されたとしても、実際は深刻なリソース不足という問題があるという。そのため明文化はされていないものの、既に戦火や天災によって散逸が深刻な戦前のものや、前述した8mmカメラの爆発的普及により量産される以前(1965年以前)のものを優先的に受入れているという。(同館研究員・談)
よって「万全の受け入れ態勢」とは言い難く、また、評価選別に関してはアーカイブズ学の哲学において(解決するものではないが)別の根源的な問題を孕んでいる。
更に、一般的には映像史料の持ち主自身が「自分の個人的なホームムービーなんて」と、その貴重さに無自覚なことも多いし、世代交代によっていとも簡単に廃棄されてしまう例は残念ながら多い。
他国の一例として、映画遺産を国の文化財として保存に熱心に取り組んでいるイギリスを挙げると、国内各地に12団体もの公的フィルムアーカイブがあり、ホームムービーも積極的に受け入れているという。また、そのポリシーとして収集保存する対象を
アマチュアおよびプロフェッショナルによって生み出された作品
と定義し明文化している。(※1)
欧米諸国に比べ、公的な映画保存活動の開始が立ち遅れた日本において、たとえばホームムービーのようなアマチュアによる映像史料の受け入れ先が、博物館法・図書館法・公文書館法の解釈による博物館・図書館・文書館の役割分担の不明瞭さによって、あいまいに放置されてきたというのが実態ではないだろうか。
例えば公文書館法と同様に、博物館法(昭和二十六年十二月一日法律第二百八十五号)において
第一章 総則(博物館の事業)
…
第三条 博物館は、前条第一項に規定する目的を達成するため、おおむね次に掲げる事業を行う。
一 実物、標本、模写、模型、文献、図表、写真、フィルム、レコード等の博物館資料を豊富に収集し、保管し、及び展示すること。
とある。さらに図書館法(昭和二十五年四月三十日法律第百十八号)においても
第一章 総則(図書館奉仕)
…
第三条
図書館は、図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望に沿い、更に学校教育を援助し、及び家庭教育の向上に資することとなるように留意し、おおむね次に掲げる事項の実施に努めなければならない。
一 郷土資料、地方行政資料、美術品、レコード及びフィルムの収集にも十分留意して、図書、記録、視聴覚教育の資料その他必要な資料(電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られた記録をいう。)を含む。以下「図書館資料」という。)を収集し、一般公衆の利用に供すること。
と、いずれも解釈によってはホームムービー含む視聴覚メディアもその収集対象のようにもとれる。どこが保存するのか、という課題もあるのだ。
いったん文書館に焦点を戻すと、やはり理想的には視聴覚メディアも文書史料と同様に管理されるべきではないだろうか。
現在 国立機関6、都道府県公文書館33、その他市区町村レベルでいくつも存在しプロフェッショナルのアーキビストを擁する公文書館が、既に視聴覚メディアの台頭が現実であることについて、今後どのように取り組むか期待したいし、20世紀に圧倒的主役だった紙・文書の記録媒体を前提として発展してきた学問であるアーカイブズ学の範囲もますます拡大してゆくことを期待したい。
筆者としては、いつか態勢が整うまで保存の大切さを訴える、小さくともさまざまな活動をできる限り続けていきたいと考えている。それは例えば、ホームムービーの日 開催地の拡大(2012年は国内19箇所)だったり、フィルム調査の実施、そして何より保存の大切さと「捨てないでください」というメッセージの発信などである。
「どこかで誰かが保存し続けてくれているだろう」という楽観的な考えは危険だ。民間史料は常に散逸の危機にさらされているという事実はどの媒体も同じで、これまで保存対象の主たる媒体であった紙媒体でさえ私文書においては散逸の危機にあるという。
それは、私文書が当該文書館等で収集できるかどうかの根拠を公文書館法ではなく各館の設置条例に基づき決定し、出処重視のあまり「国または地方公共団体が保有しない記録については対象の範疇にくわえない」とする解釈が一部に根強くあるからだ。よってその館の方針により異なり、一律ではないのが現状だ。(※2)
少なくとも優先すべきは親機関が保有する「公文書」である公文書館において、私文書の優先度はとりあえず低いことは確かである。もし戦後の史料保存運動の成果であるはずの公文書館があなたの町にできたからといって、特に私文書の保存は安心できる状態にはないのだ。
まして視聴覚メディアである上に民間(私的)史料でもあるホームムービーは。
問題は何で、具体的な対策はあるのか。
思うに、いくらアーキビストたちの間で危機を囁き合っても仕方がない。アーカイブズ活動はアーキビストの不断の努力だけに頼るのでは限界があり、一般市民に「自分たちの記録は自分たちで遺してゆく」想い、「史料を享受する権利を有する」自覚、「誰かがどこかで遺してくれているわけではない」という危機感の共有が拡がるような啓蒙こそが必要なのではないだろうか。精神論だが、アーキビストの「史料を守り伝えたい」想いと、市民の「史料は自分たちの記憶遺産であり、享受したい」想いが一致する状態が理想と筆者は考える。
保存のモラルや分類ロジック、修復のメソッドに焦点を当てると確かに学問であるけれど、アーカイブズ活動の存在それ自体においては市民運動であるべきではないだろうか。その必要を受けて、アーキビストが知識と技術を習得し、公開し、利用活用され、また新たな必要を感じてもらう循環が生まれないものだろうか。そのときはじめて「市民を支え市民に支えられるアーカイブ」が完成する。(おそらく)収益のあがらない事業である限り、アーカイブは公的支援においていつも整理の対象とされ、その絶対に保つべき安定性と恒久性が脅かされ続けてしまう。
具体的な施策として、(二の次になりがちだが)アーカイブにとって重要な機能のひとつ「公開」がポイントになるように思う。視聴覚メディアは幸いなことに言語を介さずひと目で人に理解されやすいという特徴をもつ。地域に根付き求められるアーカイブとなるための「公開」において、ホームムービーをはじめとする視聴覚メディアは役目を担うことができそうだ。
更に、公立図書館など利用者数の多い施設にアーカイブを併設させ、より多くの利用者との接触機会を得るメリットを享受する方法も一案かもしれない。
地域の映像史料を遺そうという史料保存運動の高まりや、自ら実行する草の根団体の出現は期待できないだろうか。
その萌芽はある。
まず、ホームムービーに関して、大学による地域映像アーカイブ(新潟県/新潟大学)や区の映像資料調査・保存事業(東京都/文京区)、NPOによる20世紀アーカイブ仙台(宮城県/NPO法人20世紀アーカイブ仙台)など、様々なかたちで積極的に地域映像史料の保存を呼びかけるフィルムアーカイブ活動が、全国各地で広がりつつある。ただしそのどれもが公共の恒常的な援助を受けておらず、フィルム原版の保存にしてもあるべき環境が整っているとは言えない。民間アーカイブズ保存では、保存と利用に関わる法的根拠が危弱であるという不安がつきまとうし、点在する類縁機関同士の連携が重要なポイントになるのだろう。
もうひとつ、2011年の東日本大震災では、記録が天災によって突然奪われてしまう事態に直面し、記録や記憶を遺すことの必要性を実感した人は多いのではないだろうか。とりわけ画像や映像などの視聴覚メディアは、その発信する情報量と分かりやすさにおいて、多くの人に気付きがあったように思う。震災自体の記録に関しても、TV局はじめさまざまな民間企業、NPO、各自治体が記録保存に取り組み、それを総合するかたちで総務省が国会図書館と連携し2013年3月に開設を目指すデジタルアーカイブ「震災アーカイブ」計画の発表があった。このアーカイブは主に「画像ファイル」「映像ファイル」「当事者の証言の音声ファイル」であり、ここでも視聴覚メディアが主役になっている。
以上、ホームムービーをひとつの例にとり、2つの問題点について考察してみた。ここでふと、たとえこの2つの問題が解決したとしても「評価と選別の問題」「スペースとコストの問題」「法的整備の問題」「公開方法」「人材育成」…など紙媒体同様、むしろそれ以上に際限なく控えているだろう問題を思って気が遠くなる心地がする。
更にホームムービーを含む視聴覚メディアは決して新しいメディアではなく、その1世紀を超える歴史の中でさまざま変容し続け、記録媒体は特にデジタル技術によって著しくそのフォーマットを増やしている状況を思うと途方に暮れそうになる。最も古い映像記録媒体であるフィルム保存の問題も解決しないまま、デジタルの大海原へ漕ぎ出さなければならないのだと。
それは例えば、フランスが国を挙げて1974年以来、刻一刻と膨大に生み出され続ける視聴覚アーカイブズを相手に試行錯誤し続けてきた世界最大のデジタル映像アーカイブINAの歩みの例がリアルに示してくれている。(※3)
そもそも、大前提となるはずの「アーカイブズ」自体の定義さえ緒論ありまだ変化し続けており、今後さらに多様化・複雑化してゆくことが予想できる。むしろ「アーカイブズ」とは時代を経てさまざま形態を変え増幅してゆくものだと認識し、「アーカイブズ」とは何か、新たなメディアをとりこぼしたり限定的になってしまっていないか、それを扱う「アーキビスト」はどうあるべきか、問い続けることが最も大切なことなのかもしれない。
これらの山積する問題たちと対峙するアーキビストは、哲学者のような存在になる必要を迫られそうだ。過去への敬意と現在への配慮と未来への貢献をバランスよく考慮し、時に判断するために。
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出典
(※1)「コミュニティに根ざした映像ア-カイブの展開」(石原香絵/相曽晴香・映画保存協会、三好大輔・東京藝術大学、田中範子・神戸映画資料館))2012年8月25日 第7回映画の復元と保存に関するワークショップ
(※2)「社会的な史料保存環境の構築をめざして-日本の「アーカイブ」をめぐる現状と課題-」(毛塚万里)2001年10月26日 資料保存協議会第9回セミナー
(※3)「世界最大デジタル映像アーカイブ INA」(エマニュエル・オーグ)2007年12月 白水社
(※4)Muller, S., Feith, J., and R. Fruin, Manual for the Arrangement and Description of Archives, 1968,H. W. Wilson, Co., NY.
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