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台湾の南、日本文化の足跡─高雄市電影図書館見学記

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台湾の南、日本文化の足跡─高雄市電影図書館見学記

台湾南部の大都市、高雄を流れる川は「愛河」と呼ばれる。川べりの遊歩道は犬の散歩やジョギングをする人が行きかい、歩道を飾る花の色は鮮やかで、その上を幾重にも枝を絡ませたカジュマルの木が覆っている。川からの湿気が蒸し暑い。ここは「亜熱帯」ではなく「熱帯」地域に属するのだと改めて思う。

「台湾高速鉄道」が開通し、台北から1時間30分と格段にアクセスが便利になった高雄。この高雄にもフィルムアーカイブがあると聞き、台北から日帰りで高雄を訪れた。

「高雄市電影図書館」(Kaohsiung Film Archive)は愛河沿いにある地下1階、地上3階建ての建物だ。2002年11月3日にオープンし、1階は展示スペース、2階は図書室及び視聴室、3階は大ホールと小ホール、地下1階は荷物を預けるロッカーがある。なお、大ホールは映画を定期的に上映しており、私が訪れた日はアニメ『蒸気少年』(大友克洋監督の『スチームボーイ』)が上映されていた。

今回の目的は1階ホールで展示中の「日治時期的声色光影特展」を見ることだった。日本が台湾を占領していた戦前の、演劇や映画、美術、音楽、ダンス等を網羅的に紹介する企画展である。お金を払うのかと思いきや無料。太っ腹。受付はボランティアのおじいちゃんやおばあちゃんたち。「展示品の写真を撮ってもいいか?」とたずねるとあっさりOK。荷物を入れるコインロッカーの小銭がないと気持ちよく両替してくれた。以前訪れた台北のフィルムアーカイブもそうだが、台湾のこうした公共サービスは大変気持ちが良い。

図書館はそんなに大きな建物ではない。中に入ると正面に展示スペースがあり、大きさは50平方メートル位。真ん中に当時の野外上映を復元して、白い布のスクリーンと竹製の小さな椅子が置いてあり、横にある自転車の荷台には映画のポスターが貼られている。きっと街で野外上映があるとこの自転車が宣伝カーとして活躍したのだろう。ハンドルにはメガフォンがぶら下がっていた。

1895年(明治28年)の下関条約により台湾が日本に割譲されてから5年後の1900年(明治30年)6月、台北市内の「淡水館」で日本人の大島猪市が「火車進站」を上映したのが台湾で初の映画上映とされている。この時、活動映画弁士、松浦章三の名が上がっていることから、弁士付きの上映だったのだろう。なお、「火車進站」は日本語で「汽車が駅に入る」。これは仏リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅に到着する列車』を指すものと思われる。

この巡回上映が高雄に来たのが、高雄における映画の初上映だった。日本統治時代、高雄市内には6軒の映画館があった。中でも「金鵄館」は1934年(昭和9年)に富豪の船橋武雄が改装し、1000名を収容する台湾南部最大の豪華な映画館として数多くの映画を上映した(戦後は「光復劇院」と名称を変えた)。

展示スペースには当時の日本俳優人気番付やプレスシート、映画雑誌があり、中には実際に手に取って見られるものもあった。「触ってもいいのかなぁ」と思いながらページをめくると、「台湾の人間は1年間に一体どの位の映画を見るか!」と題した興味深い記事があった。記事によると、1936年(昭和11年)当時、台湾で検閲されたフィルムのメートル数と全島民(約500万人)で計算したところ、台湾では1カ月に250本もの新作が上映されたという。記事の文末には「台湾に居つては上等の映画は見られん、等と云ふのは失礼であらう」とあり、当時の台湾では内地(日本国内)と同じレベルで娯楽を享受できたことがわかる。

さらに、映画の他にも能や歌舞伎、音楽団、バレエなど日本の文化が台湾に流入し、当時の台湾の人々に影響を与えたとされている。当時、台湾と日本の往来は頻繁にあり、新派の俳優や芸者らも多くやって来た。

中国大陸ではNGとされる満州映画協会(満映)の作品や満映の大スター、李香蘭も当時人気を博した阮玲玉らと並んで展示されている(ちなみに李香蘭は清水宏監督『サヨンの鐘』で台湾原住民の娘を演じている)。映画のみならず、コンサートや新劇まで当時の台湾で楽しめた日本の娯楽と、台湾文化との交流を豊富なパネルで紹介した、小さいながらも充実した展示内容だった。

続いてフィルムアーカイブの“本丸”(?)である2階図書室と視聴室をご案内しようと思う。

「フィルムアーカイブ」と銘打つからには、どんな図書室と視聴室かなと期待しつつ階段を昇ると…… あれ?と拍子抜けするほど小さいスペース。床はブルー調のリノリウム板でスケルトンになっており、天井は黒いパイプがむき出しの、なかなかオシャレな作りのスペースだ。壁の一部が不思議なデザインなので近づいてよく見ると…使い終わったカセットテープをたくさん並べたものだった。洒落ている。

入口には例によっておばあちゃんがいる。大きな荷物などはここでも預けるらしい。私は手ぶらだったのでそのまま入ると、右に書架、中央に視聴室、左に本や雑誌を読む机が並んでいた。

書架には台湾発行の本はもちろん、大陸(中国)や英語、日本語の本も多い。試しに日本語の本棚を除くと、「北欧映画完全ガイド」や「宮崎駿の仕事」など、多岐に渡る本が置いてあった。また、雑誌コーナーには「プレミア」や「アメリカンシネマトグラファー」などに混じって日本の「キネマ旬報」や「スクリーン」「シナリオ」、アニメ好きな台湾らしくちゃんと「アニメージュ」も用意されていた。雑誌はどれも1~2カ月遅れで納入されているようだが、ここに来れば無料で世界のおおよその映画雑誌は読むことができる。中国大陸発行の「北京電影学院学報」を手に取って席に座る(いい紙を使った立派なジャーナルだった)。窓の外は愛河が流れ、のんびりするにはもってこいの場所だ。

本に飽きたらブースでビデオかDVDを借りて、中央にある視聴室で見ればよい。席数は15席位。大人から子供までヘッドホンをつけて熱心に映画を見ていた。午後過ぎにブラリとここを訪れ、愛河を見ながら本を読み、視聴室で好きな映画を見て、まだ時間があるようなら3階の「放映廰」(上映ホール)で夜に上映される日替わりの映画を楽しむ。終わったら帰りはブラブラ、ライトアップされた川沿いに家へ帰る。何だか、そんな生活も良いなァとふと思ってしまった。

のんびりとおしゃべりをしている入口のおばぁちゃん達にさよならと言って図書館を出た。日本人はよくここを訪れるのだろうか。みなさん優しい笑顔だった。

図書館を後にし、正直「ここがフィルムアーカイブ?」という気持ちもあった。展示スペースに図書と映像閲覧室、上映ホール。施設名を英語に訳すとき、なぜ図書館=ライブラリーにしなかったのだろう?また、高雄市電影図書館は高雄電影節(高雄フィルムフェスティバル)の中心地ともなるので、フィルムアーカイブやライブラリーでなくても「中心」(センター)でもよかったのではないか?と思った。

しかし、帰国してからこの文章を書いていて思った。やはり、あの施設名は「フィルムアーカイブ」で良い。フィルムアーカイブは単にフィルムや資料を収集、保存、公開するだけではない。あの図書館があるから人が集まる。映画を見て本を読む。映画祭も行われる。そもそも、図書館の運営は数人のお年寄りが担当していた。これって、実はすごいことではないか。街の人が映画と繋がり、その営みが市民の歴史に残ること。これも「フィルムアーカイブ」の広義に入るのではと思った(多少広げすぎかもしれないけれど)。

ちなみに高雄市電影図書館へ行くには、台湾高速鉄道の「左營」で高雄捷運(地下鉄)の「MRT紅線」に乗り、「美麗島」駅で「MRT橘線」乗り換えて「市議会」で降り、徒歩15分位である。「左營」から高雄駅まで出てバスで行く方法もあるが不便なので、大人しくタクシーに乗るのがおすすめ。高雄のタクシーは拍子抜けするほど安い(台北もそうだが)。

最後になるが、高雄市電影図書館については日本映画テレビ技術協会の「映画テレビ技術」682号(2009年6月)に中川麻子氏による「台湾のフィルム・ライブラリーを訪ねて─高雄市電影図書館と國家電影資料館」が掲載されている。こちらも併せて紹介して訪問記を終わりとしたい。
(天野園子)

≪高雄市電影図書館 ウェブサイト(中国語、英語)≫
http://kfa.kcg.gov.tw/n/

≪『映画テレビ技術』2009年6月号 No.682≫
http://www.mpte.jp/outline/publication/2010/07/15/20096no682/#more

メルマガFPS vol.62(2010.8.31)、vol.63(2010.9.30)より

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