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政府が過ちを犯すとき:長距離走者としてのアーキビストとアドボカシー

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政府が過ちを犯すとき

2000年代中頃、オーストラリア国立フィルム&サウンドアーカイブが突如として存続の危機に見舞われ、世界中のフィルムアーキビストたちがその経緯をはらはらしながら見守った時期がありました。今さらではありますが事の顛末をお伝えします。本稿は、レイ・エドモンドソン氏の東南アジア太平洋地域視聴覚アーカイブ連合 SEAPAVAA キャンベラ会議(2006.11.15)における口頭発表「When Governments Make Mistakes」の原稿を主軸に、事例報告「When Governments Make Mistakes: Advocacy and the Long-Distance Archivist」からも補足しつつ翻訳したものです。前者の英語版はこちら(PDF)、後者はこちらでお読みいただけるほか、動的映像アーキビスト協会(AMIA)の『The Moving Image』第8号(2008)にも採録されています。翻訳・公開を快諾してくださった著者に心より感謝いたします。尚、著者の経歴やそのほかの論考はこちら(アーカイバル・アソシエイツ)をご覧ください。

政府が過ちを犯すとき:長距離走者としてのアーキビストとアドボカシー

レイ・エドモンドソン

はじめに

政府が過ちを犯すようなことってあるでしょうか?理由は何であれ、何か間違った行いを為すようなことって?

もちろんありますよね。古代から現代までの歴史を辿れば明らかですし、今日の世界に限っても、政府の失態の実例はいくらでも思い浮かびます。

では、政府は過ちを〈認める〉でしょうか?

時には。でも総じて政府が過ちを認めるのは、ほかに打つ手がない場合です。 政府を形成するのも所詮、我々と同じまったく当てにならない人間に過ぎません。白状すれば気持ちは軽くなるかもしれませんが、誰だってできることなら失敗を認めたくないものですし、存続が危ぶまれているような政権なら尚のこと、対抗する勢力に利を与えるわけにはいきません。ですから政府は、厄介な質疑に対して―ほかの誰もがそうするように—次のような態度を取るわけです。

    ・無視して話を先に進める
    ・すっとぼけた返答で誤摩化す
    ・問題をすげ替えて失敗を成功のように見せる
    ・「過去ではなく現在に焦点を絞ろう」と言ってみる
    ・相手を攻撃することで、論点をそらす
    ・「検討中」または「調査中」と言ってみる
    ・聞かれてもいない質問に答えて場を混乱させる
    ・代理人を立てる

……この程度のことは序の口でしょう。方便はいくらでもあります。ところで、過ちばかり犯す政治家や官僚の体質を深い人間性と洞察力で探求する英国BBCのコメディ『Yes Minister』は、我が国オーストラリアでも長らく人気があって、皆さんにもぜひご覧いただきたい番組です。

BBC Yes Minister(1980〜1984)

このドラマの登場人物、典型的な官僚ハンフリー・アップルビーは、彼が仕える大臣のジェームズ・ハッカーに対して、政府が厄介な質疑をくぐり抜ける術をことあるごとに言い含めます。彼の進言は例えばこのようなものです。政府におきましては「触らなければ蜂は刺さない、薮をつついて蛇を出すことはない、猫は鳩を襲わせるより鞄の中に閉じ込めておくほうがいい」というのが常識です。ほかにもあります。大抵のことは失敗として攻撃の対象になりますが、大抵のことは「大した失敗ではない」とすれば防戦できます。政治家に「意義」の意義深さなどわかりはしません。さらにはこれも。「我々はこの原則の適用に関してもっと柔軟に考えることにした」というのは「この政策はやめにするが、そのことを公には認めたくない」という意味です。

政府が犯した過ちの影響が、我々アーキビストに及ぶとなったらどうでしょう?いったい何をどうすれば状況は変わるでしょう?そもそも状況を変えることなどできるのでしょうか?あるいは、我々は無力なのでしょうか?

自らの考え方を強く訴えて普及させることをアドボカシーと呼びます。好むと好まざるとにかかわらず、アーキビストはその実践者(アドボケート)です。選別や保存の行為こそ、本質的に実力行使の政治的な声明なのですーつまり我々は、自らの価値観を押し通しています。必ずしもその価値観に賛同が得られるとは限りません。20世紀に起こったアーカイバル・コレクションの意図的な破壊という実に忌々しい史実からも、そのことがわかるでしょう。歴史を保存したい我々と、歴史を書きかえたい人々の価値観は真っ向から対立するものです。1930年代のナチスによる焚書、1970年代のカンボジアのクメール・ルージュによる記録の破壊、1990年代のボスニア・ヘルツェゴビナにおけるサラエヴォの国立図書館の破壊を考えてみてください。

Lost Libraries: The Destruction of Great Book Collections Since Antiquity

前口上はこれくらいにして、そろそろ核心に触れます。オーストラリアの国立フィルム&サウンドアーカイブ(NFSA)の元職員、そして現在は民間のコンサルタントとして、以前にはなかった自由が今の筆者にはあります。このテーマで発言したり、動的映像アーキビスト協会(AMIA)のメーリングリストに投稿したりするようになって何年か経ちますし、AMIAの『The Moving Image』、国際音声・視聴覚アーカイブ協会(IASA)のジャーナル、『Metro』などにも寄稿しました(その内のいくつかはアーカイバル・アソシエイツのウェブサイトに掲載しています)。でももっと重要なことは、筆者がNFSAと共に荒波に揉まれる中で生み出してきた理論です。これまでの歴史をここで改めて述べさせてください。これは最新版の事例報告でもあります。また参考事例として、どこかしら似たところのある英国の国立フィルム&TVアーカイブ(NFTVA)の存続問題も取りあげさせていただきます。

このような発信をすることに筆者は倫理的な責任を感じていますし、おしまいまでには、どうか皆さんにもこの気持ちを察していただきたいと思っています。皆さんが同じような状況に置かれることはないにしても、普遍的な原則のようなものはあるでしょうし、皆さんの現在や将来の教訓になることもいくらかあるでしょう。もっとも、筆者が表明するのはあくまで個人的な見解です。

NFSAに起こったこと

SEAPAVAA地域の多くの仲間たちも、NFSAに影響を及ぼした二つの動きを心配しながら見守ってくれました。まず、1999年に予期せぬ改名がありましたが、この決定は間違いでした(間断なきアドボカシーによってNFSA 友の会が辛抱強く抗議して、やっと2004年に元に戻りました)。続いて2003年、NFSAはオーストラリア・フィルム・コミッション(AFC)の下部組織となりました。結果的にNFSAを存続の危機に陥れたのですから、これもやはり間違いでした。ご紹介するデータはすべて公知であることも言い添えておきます—つまり、これは機密漏洩ではありません。言及する資料はすべて公的に入手可能なものばかりです。

ことの発端は1999年6月、NFSAが「スクリーンサウンド・オーストラリア」と改名されたときまで遡ります。事前説明も何もなく起こったこの決定は長期的な混乱を引き起こし、世間から不評を買いました。翌年、これを直接のきかっけとして立ち上がったNFSA 友の会(Friends of the NFSA)という法人組織の第一の目標は、組織名を元に戻すためのロビー活動でしたが、次第にNFSAの未来に向けた大きな展望を描き、従来の「友の会」的な役割を果たすようになっていきました。2002年にはアーカイブ・フォーラムというもう一つの団体が加わりました。こちらは情報に基づいたNFSAの方向性を合法的に推進できるように、著名な研究者、映画人、NFSAのOBらを意識的に選び抜いた団体で、両団体の設立は、失速したNFSAが再び本来の構想を取り戻すことへの世間の関心の高さの表れでした。

2003年5月、政府は突如として30以上ある文化機関の見直しを行い、その結果NFSAとオーストラリア・フィルム・コミッション(AFC)を「統合する」と発表しました。AFCは製作費の助成や広報宣伝を担う組織です(後に、新設された「スクリーン・オーストリア」に吸収されました)。NFSAとAFCに「相乗効果」が期待されるというほかに、この統合には何の根拠も与えられず、未だに何を根拠にした決定だったのかわかっていません。AFC法は大急ぎで不当に改正され、統合は2003年7月1日付で現実のものとなりました。利害関係者の協議もなければ、表立った事前の議論や相談もないままの決定は、尋常なスピードではありませんでした。

NFSA 友の会、アーカイブ・フォーラム、そのほかの利害関係者は皆、疑わしい点を注意深くも前向きに受けとめて経緯を見守りました。AFCの考え方を探ってみたりもしましたが不安は募るばかりで、恐れていたことがついに2003年12月12日に起こりました。この日、AFCはNFSAに関する今後の処遇を発表しましたーこれが「ディレクション」としてあっという間に知れ渡った計画です。

「ディレクション」は組織の効果的な解体、組織としての記憶の破壊を予見させる寝耳に水の内容でしたが、大衆は敏速に反応しました。アーカイブズ機関が新聞の一面を飾ることなど滅多にないのに、NFSAは1週間に渡ってキャンベラの話題をさらったのです。今ご覧いただいているのがその紙面です。信じられますか?たかが視聴覚アーカイブを守るため、多くの市民が実際に街に出て声を上げてくれたなんて。嘘のようですが本当のことです。このおかげで、極めて厳しいAFCの方針を一部廃止に追い込むことができました。

当時のキャンベラ・タイムズ紙の記事:
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2003.12.12 Sackings at ScreenSound〔スクリーンサウンドの職員解雇〕
2003.12.17 AFC bows to people power ScreenSound backdown〔スクリーンサウンド問題、AFCは民意に降参〕
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2003.12.18 Cartoon by Ian Sharpe

AFCは「ディレクション」に対するパブリック・コメントを受け付けましたが、その締切は2004年1月23日に設定されました。この期日は奇しくもオーストラリアの「シリー・シーズン」—クリスマスから新年にかけてのバカンス・シーズン—に重なりました。そんなときに誰が方針に目を通してコメントを寄せたいなどと考えるでしょうか。ところが世間の反響は大きく、政府は締切を2月16日に延長させられました。130件の意見が寄せられ、圧倒的多数が「ディレクション」の意向に反対しました。量的にもっとも大きかったのはアーカイブ・フォーラムが寄せた意見書「Cinderella Betrayed: The Shoe Won’t Fit」〔裏切られたシンデレラ: 靴は合わない〕で、60ページに渡って「ディレクション」のセクションごとに反論するものでした。筆者が知る限り、いかなるコメントに対してもAFCは返事を出しませんでした。

続いて起こったことは、いわゆる泥沼の長期戦でした。AFCとNFSAの支援者—関心を持つ個人、組織、様々な専門職団体やアドボカシー団体—のあいだで3年に渡って攻防が繰り広げられました。マスコミ報道、提案、決議、署名運動、国会答弁、機関誌発行、意見交換などが綿々と連なる長丁場…… ちょとした大河小説が書けそうです。AFC は厳しい管理の下で「公開協議」なるものを何度か演出しましたし、反対意見を持つ相手には明らかに敵対的な態度を取り、躊躇なくメディアで直接的に、あるいはほかの方法で間接的に非難しました。2004年7月、NFSA 友の会とオーストラリア・アーキビスト協会がNFSAの今後に関する会議の場を持ったときにも、AFCはその会議の開催ばかりか、発せられた勧告も無視しました。

渦中にあったNFSAの職員にとって、これはたいへんな出来事だったでしょうか?もちろんたいへんでしたし、彼らは専門家としてどうにか乗り切らねばならない立場にありました。アドボカシー団体にとってはどうだったでしょうか?やはりたいへんなことでした。なぜなら、彼らは明らかに政府の方針と敵対している上に、公に名前を晒していたからです。そういったことには、相当の勇気が必要です。それにこの種の取り組みには熱意と忍耐が欠かせません。でも結局のところはボランティア仕事ですから、労多くして功少なしなのです。

独立に向けて……

限られた時間ですべてを語るにはあまりに複雑なストーリーですから、早送りして現在の展開をお伝えしようと思います。事実上、3年に渡る公的なアドボカシーをまとめたのが「Independent Statutory Authority Status(ISAS)for the National Film And Sound Archive」〔NFSA独立のための法定権限〕と題する声明で、20ページもあります。2006年7月に発行され、この時点で極めて重要な成果でした。NFSAがAFCの下部組織として機能しなかったこと、そしてもっと重要なこととしては、NFSAという視聴覚アーカイブの基本的な原則が侵害されていたから効果的に機能しなかったという極めて重要な議論や論証がここに—臨床的かつ冷静に—封入されています。

Independent Statutory Authority Status for the National Film And Sound Archive(PDF)

* 著者はアーカイブ・フォーラムの主事、NFSA 友の会とオーストラリア・アーキビスト協会の会員でもある。

オーストラリア・アーキビスト協会(The Australian Society of Archivists)
オーストラリア歴史協会(The Australian Historical Association)
アーカイブ・フォーラム(Archive Forum)
NFSA 友の会(The Friends of the NFSA)

上記4つのアドボカシー団体の共著となったこの膨大な草案を編むのに、半年を要しました。要旨は次の通りです。

  • AFC法は、記憶を扱う国立機関に適切な基盤を提供するものではない。この法律はNFSAの存在認識すらしていない。したがってNFSAの残存自体が危ぶまれている。
  • NFSAはそもそも永続的な存在だ。しかしその母体であるAFCは一時的な存在でしかなく、AFCの寿命が尽きるとNFSAの継続は担保されない。
  • AFCより規模の大きいNFSAがAFCの下部組織となるような再編は考えられない。
  • 主従関係の力学は、NFSAの組織としての整合性と自律性の保護に影響する。
  • NFSAはそのほかの記憶を扱う国立機関が手にしているガバナンスを失った。
  • AFC法の下では、法定納入制度が十分機能しない。
  • 現行の取り決めはNFSAの支持者をないがしろにした(重要なのは我々の見解だ!と特筆した)。
  • そしてその提言を行動へと移す際、NFSAには次のことが必要とされました。

  • 法律に定められた法人格を持ち、永続的で自立した国立機関。
  • それによって自らの役割・機能・アイデンティティ・法的権力が備わる。
  • これらによって正当化される自律性(1984年以来、2003年のAFCとの統合まで事実上機能していた)。
  • 政府に意志がある限り、この達成は難しいことではありません。なぜなら1984年にNFSAが〔国立図書館から〕独立した際、政府が意図したことと寸分違わないのですから、革新的でも何でもないのです。つまり、記憶を扱う国立機関には備わっていてあたりまえのことなのです。

    アドボカシー団体が政府に訴えたことを換言すると次のようになります。

    – 政府は、NFSAを不適切な組織に従属させるという根本的な過ちを犯した。
    – 政府がそのような過ちを犯したのは、NFSAの職員に相談もせず無断で決断したからだ。
    – 政府は説得力ある根拠や哲学基盤を—少なくとも、公衆と共有することが望まれるかたちでは—持たなかった。
    – 結果として政府は守れない約束をしてしまった。
    – この問題は、政府が過ちを認めて修正しない限り解決しないだろう。

    当然ながらAFCは法律や政府の決定に縛られているので、この問題に手が出せませんでした。AFCが説明責任を負うのは、その使命を実行することにおいてのみであって、その使命の形成ではないのです。間違いを根本的に正すことができるのは〈政府〉だけです。

    この声明はすべての国会議員に届けられました。もちろんマスコミなど興味を持ちそうな相手にもです。すると、ここに書かれている通りのことが起こりました。新しい政府の見直しによって、AFCの先行きの不透明さが明るみに出たのです。AFCはほかの2団体—フィルム・ファイナンス社と国立の映画製作会社「フィルム・オーストラリア」—と共に「スクリーン・オーストラリア」という新しい団体に吸収されることになりました。そしてNFSAも、この団体の一部になるかもしれなかったのですから、アドボカシー団体にとっては予断を許さない状況でした。

    英国の事例

    オーストラリアで展開されたNFSA物語の一員でありながら、筆者は英国にも似たような場面が展開していて、英国映画協会(BFI)傘下のNFTVAの存続が危ぶまれていることに気付きました。NFTVAといえば、もっとも規模が大きく、歴史が長く、この領域のアーカイブ機関の象徴的な存在の一つです。

    NFTVAとNFSAの歴史には興味深い類似点があります。近年、だいたい同じような時期にこの二つの機関は改名され、母体組織によって抜本的に再構築されました。何れも国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)に入会しているので、FIAFがその状況を調査しました。何れのアーカイブも、残存の危機に対して世間や国内外の専門家たちの反響が大きく、また人員・予算の削減や専門知識の流出に見舞われたのも同じです。

    NFTVA(旧国立フィルムアーカイブ、現BFIアーカイブ)は、1938年のFIAF創設メンバー4団体の内の一つ。NFTVAとNFSAの歴史に関しては同じ著者による「Parallel Lives: Britain’s National Film and Television Archive and Australia’s National Film and Sound Archive Under Threat」(Senses of Cinema 33. 2004) に詳しい。こちらで読むことができる。

    しかし相違点もあります。NFTVAは非政府組織ではあるけれど政府の予算で運営されている動的映像アーカイブです。NFSAは視聴覚記録全体を扱う政府機関、つまりその職員は公務員です。NFTVAのもっとも最近の災難は、BFIの序列の降格—現在は政府予算で運営されている英国フィルム・カウンシルという別の機関の傘下にあります—の影響を受けたようです。予算削減によって、NFTVAは一部コレクションの解体が求められ、将来に向けた保存戦略の提案もあきらめることになりそうです。オーストラリアと違って、NFTVAは英国各地の地域フィルムアーカイブと結びついていて、各地域フィルムアーカイブもまた国家予算に依存しています。

    行動主義の駆け引きは、オーストラリアと英国とでは異なります。NFSAにおける対話—これが正しい言葉かどうかわかりませんが—では、政府与党、野党、AFC、そして有権者団体の存在が顕著でしたし、議会でNFSAを法的に独立させるという単一の明快な目的に向かう専門家の組織と共に、参画団体がはっきり認識されていました。

    NFTVAにとっては、参画団体やその目的はそれほどはっきりしているわけではありません。多分もっとも重要な進展を一つあげるとすれば、「Custodes Lucis」というウェブサイト(http://www.filmarchiveaction.org)が2004年5月に開設されたことです。このウェブサイトは行動主義のためだけでなく、BFI、政府、そしてそのほかの報告やドキュメントなど歴史的記録への窓口としての役割を果たしました。管理者は匿名で、その論拠は次の通りです。

      匿名で運営していることで厳しく批判されてきたが、「Custodes Lucis」はBFIの職員やBFIと仕事上の関わりを持つメンバーで構成されている。個人名を明かしてもBFIでの雇用やBFIとの仕事が継続されるとは思えない。従って個人名を明かすことはしない。

    対照的に、こちらで読むことのできるBFI自体の説明も興味深い内容です。

    何れの国でも、その国の状況においてもっとも適切な戦略を選択する上で、行動主義にリスク評価が影響しました。この意味でオーストラリアと英国はやはり国が異なります。

    5つの教訓

    我々皆ためにも、この経験のより広義の教訓について省察させてください。

    1 倫理 – 視聴覚アーキビストには、組織の構造を守るという倫理的義務があるのではないでしょうか。組織がいつまでも存続すると思ったら大間違いです。我々が保存について話題にするのは技術的なこと、収蔵庫の環境設定、整理整頓、職員の技能などですが、保存の要は組織の安定性と継続性なのです。コレクション資料の寄贈や寄託を促すというのは、暗に「この資料は永久に保存されますのでご安心ください」と約束をするのと同じです。その信頼を裏切らないためにも、我々は組織の安定性を守るという倫理的な責任を担います。

    2 与力 – 信念だけでなく、我々—共に働く専門家—は知識や証拠も役立てることができます。アーカイブ機関は大臣や公務員がある日「よし、視聴覚アーカイブを設立して予算をたくさん与えよう」と言ってどうにかなるものではありません。我々自身が視聴覚アーカイブを成長させるのです。オーストラリアの視聴覚アーカイブの全ストーリーは—他国も同じではないかと筆者は思うのですが—草の根運動に応える機関や政府のストーリーです。その発展は段階ごとに辿ることができます。

    3 相談と約束 – あらゆるアーカイブ機関の周囲には支援者、つまりその機関の存在を重視する個人や組織の総体が存在しています。そして、必要とあらば彼らが守ってくれます。彼らの善意はとても大切です。アーカイブ機関は彼らとこまめに連絡を取り合わなくてはなりませんし、母体組織は—政府であれ、何であれ—過ちを犯したくないなら、彼らに相談するのが賢明です。

    4 警戒 – アーカイブ機関の完全性についてはいくら警戒してもし過ぎることはありません。一見したところ安全そうだからといって安心できません。

    5 リスク負担 – アドボカシーにはある程度のリスクが伴うかもしれません。例えば乗り越えられないような高い壁にぶち当たることもあれば、冷笑を受けるようなこともあります。我々は無意識に毎日リスクを犯しています…… 道路を横断するのだってある意味リスクです。我らが専門職を支援するために、望んでリスクを負担できるでしょうか?以上のことから、政府の誤った行動と対立したときに我々に残されれる選択肢を考えると、次のようになります。

    ・何もせずに、ただそれを受け入れる。
    ・聞こえないように不平不満を漏らす。
    ・凶暴になって公然と非難する。
    ・先見性のある建設的な対応を、自分自身で、あるいは他者と共に考え出す。

    最後の選択肢がもっとも適切で効果的かつ倫理的であるとことにご賛同いただけるとして、では、いかにして変化はもたらされるのでしょうか?いや、言い方を変えてみます。いかにして間違いを正すのでしょうか?

    間違いを正す方法

    ゲリラ的ガイド
    活動内容の選択は、国や文化によって異ります。行動主義やアドボカシーはどの国でも同じような効果を発揮するわけではありません。オーストラリアでは、例えば政府 vs. 反政府、マジョリティ vs. マイノリティなど二項対立になりがちですが、コンセンサスを通して変化を求める国だってあるでしょう。またオーストラリア文化では、誰もが(論理上は)平等との考えから「出る杭は打たれる」傾向にあります。一人のときはタクシーの後部座席でなく前部座席、つまり運転手の隣りに座る習慣があるのはそのためですが、国が違えば階層・地位・年齢を尊重することのほうが重要になります。したがって、続いて述べることはオーストラリア独自の状況や経験に基づくものです。そうは言っても、皆さんにも共鳴していただけると良いのですが。

    1 目的とそのと実現性・必要性を明確に。自分の正当性に自信を持つことです。目的は理にかなう/信念を伴う/公益に供する/知的な審判に十分耐え得るものでなくてないけません。不信感を抱かせてはなりません。この知識を決して忘れないでください。

    2 自分の目指すものこそが〈規範的〉状況であり、現状は—いかに永続的なものに思われても—実際には〈一時的〉なもでしかありません。そう考えて行動しましょう。相手に対しても(そして特に)自分に対しても、満足できない一時的な状況を認めたり、認めるているような態度を取ったりしてはいけません。自分自身の信念を持つには、このことが極めて重要です(スクリーンサウンド・オーストラリアという名称になって5年以上、筆者は出来る限りその使用は避け、例えば電子メールの署名などにも使いませんでしたし、それが正式名称だと考えたこともありませんでした。ほかの多くの仲間と同様に、NFSAという名称にこだわり続けたのです)。

    3 対抗勢力とその動機を理解する。できる限り対立は避けましょう。感情的なリアクションもだめです—どんなに挑発されても冷静沈着に。彼らの意見ではなく、標準や原則を客観的に追求しましょう。対立者を窮地に陥れるのではなく、逃げ場も与えましょう。それが相応しいと思えばあくまで礼儀正しく賛辞を与えましょう。人格ではなく主張に焦点を絞りましょう。あなたは目標を達成しようとしているのであって、得点を稼ごうとしているのではありません。

    4 コストを知る。活動はストレスになり得ますし、ストレスは家族・友人・同僚といったあなたの身近な人に影響します。一般市民から反対されることもあれば、反対者があなた信用を傷つけたり、議論を取り違えたり、動機に疑問を呈したり、悪意ある噂を広めたりするかもしれません。対立から心が傷つけば、二度と修復できないほど人間関係がこじれることもあるでしょう。

    5 自分の能力を信じる。言い訳はなしです。もっとも雄弁で/人前で輝き/経験豊かで/聡明な提案者こそ自分だとは到底思われません。でも困っているのは自分自身です。信念を持てば、いかに優美な散文やインタビューにも負けず劣らぬ意思伝達ができるでしょう。

    6 貫徹する。 遅延と難読化はいかにも公務員的な武器です。反対者はあなたを疲れさせ、うんざりさせて、こんなことをしても無駄だと思わせようとします。ロバート・タウンゼント曰く「さすがに公務員もそれが死んで埋められたのを見てホッとするまでは名案を先延ばしできないのだから哀れなことだ」(Up the Organisation. Coronet Books, 1970. p. 51.)

    7 団結すれば栄える。同盟を築きましょう。同一の目的を目指す複数のグループが集まれば、単独のグループより力強い声明を掲げられます(規模はどれだけ大きくなっても構いません)。しかし不統一は死にも等しく、他のグループと共通の目的や戦略を持てないグループに成し遂げられることなど、ほとんどないでしょう。

    8 日程を組む。機会を作っても、ただ待っているだけではだめです。記事を書き、マスコミと話をし、対抗勢力が議論を回避したいと思うような問題を敢えて提起しましょう。自らの論拠を明確にしましょう。目的は、必要なら第一原則から、あらゆる状況において相手を納得されられるよう準備を整えましょう。嘲りに対してまともに反応することなく、可能な限り適正な手続きを取りましょう。

    9 問題点ではなく、解決法を提示する。目的達成のための実践的な方法を提案できるよう準備しましょう。可能であれば、ウィン/ウィンの結果を目指しましょう。用意周到かつ戦略的に思考しましょう。立場的に、何が妥協できることで何が妥協できないことでしょうか?偉ぶらないで、語りかける気構えを持ちましょう。

    10 記録をしっかり残す。あらゆるドキュメント、記事の切り抜き、文書のやりとりのコピーを残しましょう。会合や会話、とりわけ約束事や議論は文字に起こしましょう。記録は安全なところに置き、重要なドキュメントは複数のコピーを残して分散保存しましょう。そうすれば、どこに行ってどんな発言をしたのかすぐに知ることができます。

    そして目的が達成されたら、それが誰の功績になろうと大した問題ではありません。

    記録を確認している途中、AFCが「ディレクション」を公表した12月11日は、NFSA職員のクリスマス・パーティーの前日だったことを思い出しました。普通だったら年に一度のお楽しみですが、12月11日にAFCの代表キム・ダルトンはキャンベラにやって来て、心ない「ディレクション」の内容を役員全員の前で発表し、翌日のパーティーを待たずにキャンベラを後にしました(出席したくはなかったのでしょう)。職員から成る合唱団のクリスマス・キャロルはパーティーの恒例ですが、この年の12月12日はキャロルだけでなく、次の曲も追加されました。

    The Archive’s Wassailing Song〔我らアーカイブのクリスマス祝歌〕

    So here’s to the Archive and to our collection
    Bring on the curators, send out the selection
    And if you want access in Canberra town
    Well, come the new year, you’ll be on your own….
    So here is to Mary, and Pam and Dave
    Pray God for the Archive they’re trying to save
    And for those who are leaving, no longer to see
    If you get a VR*… we’ll drink to thee….
    Good luck to us all in 2004
    Pray God for the Archive that we’ve all worked for
    So now it’s all on, with the new AFC
    All power to the workers in Unity!
    With the wassailing bowl. let’s drink to us!

    *VR=voluntary redundancy〔希望退職〕

    リスクを伴う行動主義なくして、ものごとの発展はありません。たとえ目的が達成されなくても、あなたの行動は誰かに刺激を与えるでしょう。それはあなたの知らないところでも、影響を与えているかもしれません。

    またしてもロバート・タウンゼントを引き合いに出しますが、彼は米国人の視点から次のように言っています。
    州あたり1.5ドルで空気汚染を取り除く方法を発見したら、最悪なのはその発見を公表することです。どれだけの人間がその方法に反対するか、わかったものではありません。最善策は、つまり逮捕されることもなく無事でいたいなら、とりあえず一州、一州、汚染を取り除いていくことでしょうね。
    何かを成したいなら、黙っていくつもの部署、部門、組織等に関わることです。可能な限りの事実を入手し、協力者を集め、反対者の答弁をよく検討して、それから行動に移しましょう。

    結論

    これまでのところ、筆者はNFSAにもNFTVAにも暗い見通しを描いてきました。NFSAの独立に向けた突破口は開けず、NFTVAの置かれた状況も悪くなるばかりのようでした。アドボカシーは結局何の成果にもつながらなかったのでしょうか?絶望の中のあきらめどころ、あるいは、自分の目的は合法的に達成可能ではなかったと結論付けて、せめて損失を食い止めるタイミングは、いったいどこにあるのでしょうか?

    まず、専門職の問題を提起し続けることはそれだけでも有意義なことです。それによって見通しや前提が、時に迅速に、大抵の場合は緩慢に、決定事項の風向きを変えていきます。影響力のある地位にある人たちは時間が経てば交替します。これがアドボケートにとってうまく作用することは少なくありません。その時が到来したら、正しい決定を持続できるような雰囲気作りも必要ですし、それが事実上、正しい方向に向かう変化になり得ます。ウィリアム・ウィルバーフォースは20年以上かけて同盟を築き、キャンペーンを打って、英国の奴隷貿易(奴隷売買)を公式に廃止しましたが、その前から既に変化は少しずつ起こっていました(The Slave Trade Act〔奴隷貿易法〕1807.3.25)。

    そして、敗北続きなのかどうかも考え方次第です。つまり、自分がやっていることの正当性をどれだけ強く信じられるかによります。解決はある日突然に、あるいは偶然にやってくるかもしれません。何れにしても、その結果に対応できるように準備を整えておく必要があります。

    後日談: トンネルの先に見えた光

    NFSAがその傘下に入るとされた「スクリーン・オーストラリア」の設立法案の草案は、芸術大臣のジョージ・ブランディスによって2007年9月に公表されました。事前にアドボカシー団体と大臣とが話し合いの場を持ったというのに、草案にはその痕跡すらありませんでした。草案の策定者はISASに目を通しはしたのですが、その内容は考慮せず、表層的な意味のない調整が成されたに過ぎなかったのです。草案はAFC法の下でその存在が危ぶまれているNFSAの現状を変えることもなければ、ましてや改善もしませんでした。

    しかしながら11月24日の国政選挙の結果、オーストラリアに政権交替が起こりました。政権を奪取した労働党は、NFSの法に基づいた独立を長年支持していました。この選挙の政治要綱には、文化施設全般に関連して、そしてとくにNFSAに言及する次の約束が含まれていました。

      [労働党は]国立の[文化]機関を政治的影響から解き放ってより充実させることを約束する。我々は国立フィルム&サウンドアーカイブをAFCから分離し、法的に独立した機関とする。
      (ピーター・ギャレット「New Directions for the Arts: Supporting a Vibrant and Diverse Australian Arts Sector」2007.9)

    この名前に見覚えのある方もいらっしゃるかもしれません。若かりし頃のギャレットは、ミッドナイト・オイルというバンドのボーカリストでした。 オーストラリア自然保護財団の元代表にして、彼は現在、環境・自然/文化遺産大臣を務めています。

    アーカイブ・フォーラムとNFSA 友の会は即座に新しい芸術大臣ギャレットに連絡を取り、NFSA法の中身と独立に向けての手順を提案しました。そこには内部的な駆け引きがあり、大臣室においてAFCと—今や野党となった議員たちも誘って—共に協議しました。なぜ野党議員まで誘ったのかというと、野党がこの独立法案に反対しないように説得する必要があったからです。当時の上院の状況では野党議員に法案を阻止する力がありました。しかし二大政党はNFSAの長期的な未来のために、もっとも確実な方法を支持しました。

    こうして法案は上院も下院も無事通過して、NFSA法は2008年3月20日に成立しました。喜ばしいことに、野党の影の内閣の芸術大臣シャーマン・ストーンは、明らかにアーカイブ・フォーラムとNFSA 友の会の策定した文書に基づいた演説を行いました。ISASの目的は達せられ、予想もせぬスピードで新しい政府は選挙誓約を守り、その決定を野党も支持したのですから、誰も敗者にはなりませんでした。

    さて、たいへんなのはまだこれからです。この法律は、新たにNFSAの運営を司る理事会を始動させることによって、2008年7月1日に施行となります。友の会やフォーラムはというと、NFSAの新たな使命を達成するため、その努力はその理事会に手を貸すことに向けられています。

    しかし、いったいどうして前政権とここまで異なる方針を労働党政権が採用したのか、疑問に思われる方もあるでしょう。決して偶然の産物ではありません。しかしこれはまた別のストーリー、また別の機会にするとしましょう。

    おわりに

    Platform Papers(「Issue 18」2008年10月)という論文集の中でクリス・パプリック上院議員が発表した「Getting Heard: Achieving an effective arts advocacy」〔知られつつあること:効果的な芸術アドボカシーの達成〕は、「free the NFSA」キャンペーンを例に引いていますが、その結論部分にこうあります。

    博識で献身的な個人から成る決意の固いグループが、政府の芸術分野の重要方針を覆すためのキャンペーンに乗り出しました。政府内部の支援者探し、外部の支援金、支援団体の動員、質問や疑念を投げかけるため議会の委員会の利用、好意的な報道の植え付けや働きかけといった伝統的なロビー活動によって、この方針の完全なる転覆が成し遂げられたのです。そればかりか、密猟者が狩猟番人として雇われることになったので、当然ながら望ましい行動指針の利点について彼らが要求してきたことが、これから約束通り実行されねばなりません。

    最後の一文は、活動家の何名かが新生NFSAの理事として招かれたことを指しています!

    そしてマーガレット・ミードの有名なこの言葉もお忘れなく。
    思慮深い市民の小さな集まりは、間違いなく世界を変えることができます。実際のところ、世界を変えてきたのは彼らだけなのです。

    Language: English

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