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“… the Zimbabwe Archive is beyond the physical holdings of National Archives of Zimbabwe” – Ivan M Murambiwa
ジンバブエの長きに渡る混乱は、19世紀末、大英帝国のアフリカ大陸進出に端を発する。「第一次チムレンガ」(Chimurengaはショナ語で「武装闘争」の意)として知られる抵抗運動が制圧されローデシアの一部に組み込まれた後、「第二次チムレンガ」を経て、独立を勝ち取ったのはようやく1980年のことだ。ハラレ(植民地時代のソールズベリー)を首都に独立したジンバブエに君臨したのは、コンゴのモブツやウガンダのイディ・アミンと並び悪名高い独裁者ムガベだった。
ムガベは当初、白人大農場主に対する融和政策によって土地闘争を回避した。経済は奇跡的とも言える発展を遂げ、アフリカ諸国の中では比較的豊かで安定した国家が実現するかに思われた。しかし2000年、カビラ新首相を助けるという名目で実行されたコンゴ派兵により国家財政が傾き、派兵批判の回避のためでもあった「ファスト・トラック」(白人所有農地の強制収用)の開始を境に、ムガベ政権は舵取りを大きく誤る。
農業生産の停滞、極度のインフレ、南アフリカでのジンバブエ移民迫害といった政情悪化については、2010年のサッカー・ワールドカップ開催に関連して報道される機会も増えた。こうした現在進行形の混乱は「第三次チムレンガ」と呼ばれ、不正選挙に対しては国連が、激化する女性迫害にはアムネスティが勧告を発している。以下、前半はジンバブエ国立公文書館(1935年設立、現在は内務省の管轄)の所蔵資料について、後半はジンバブエを中心に、サハラ以南の視聴覚資料を巡る現状を概観する。
ミッション・ステイトメント:
“To acquire, preserve and provide access to Zimbabwean documentation in whatever format, in an efficient and economic manner.”ウェブサイト:
http://www.moha.gov.zw/naz_about.php部門構成:
① レコードセンター(半現用文書+非公開文書)
② リサーチ&パブリック・アーカイブズ(公開文書)
③ 国立図書館(出版物)
④ テクニカル・セクション(視聴覚、オーラル・ヒストリー、電子文書、修復室など)専門家(アーキビスト)養成:
ブラワヨにある国立科学技術大学のコミュニケーション&情報科学学部に「Records and Archives Management」コースが設置されており、マスターコースもある。
ジンバブエは、遺跡の名称を国名にしたおそらく唯一の国だ。この《グレート・ジンバブエ遺跡》の初期調査はかなり稚拙なものであったが、1929年になると考古学者ガートルード・ケイトン=トンプソンが本格的な発掘調査に赴いた。後の研究者がデータを検証できるように努めたこの調査法はフィールド調査の手本とされ、今日でも高く評価されている。調査を終えると彼女は各地において、「遺跡の建築者は優れた独創性と高い技術を持つ現地アフリカ人」だと論じた。しかし当時の白人社会において、アフリカ人建設説は受け入れ難いものだった。1961年に結成されたZAPU(ジンバブエ・アフリカ人民同盟)が「グレート・ジンバブエこそアフリカ人新国家の誇るべきシンボルだ」と主張すると、ローデシア政府は先住民のナショナリズム鼓舞を恐れ、「遺跡の建設者は謎に包まれている」という公式見解を発表した。そればかりか1965年、遺跡関連の文献を検閲し、白人の優越性の主張に不利な事実の隠匿まで試みた。
ローデシア・ニヤサランド(中央アフリカ)連邦の第2代大統領(任期:1956〜1963年)ロイ・ウェレンスキーは、1963年の連邦解体時に重要文書を国外に運び出し、後に、それらをマイクロフィルム化して提供することについては同意を示した。オリジナルは現在オックスフォード大学のローズ・ハウス図書館の所蔵となっている。初代大統領のゴッドフリー・ハギンス(任期:1953〜1956年)時代の文書と共に、連邦のオリジナル資料はジンバブエ国内にほとんど残っていない。
ジンバブエ国立公文書館には1962〜79年の内閣文書が存在しない。なぜなら、一旦レコードセンターが取得した1974年までの公文書は1978〜79年にかけて政府に返却され、以降、1979年まで一切の公文書が移管されなかったからだ。イアン・スミス政権時代のこれら公文書は、1980年のジンバブエ独立に際してローデシア政府が焼却処分したと信じられていたが、実際には南アフリカ外務省の働きかけにより、ランカスターハウス和平交渉直前にローズ大学に秘密裏に送られていた。1994年(アパルトヘイト終結の年)、国立公文書館の館長がローズ大学を私的訪問し、その存在を確認。イアン・スミスと大学との取り決めにより2009年1月まで非公開とされていたこれらの公文書の3/4は公開資料となり、1/4はジンバブエに返還されることになった。
・ 内閣議事録、決議(1962 – 1974)
・ 内閣メモ(1963 – 1974)
・ 安全保障委員会議事録(1967 – 1974)
・ 安全保障委員会メモ(1967 – 1974)
・ 政府調整委員会議事録(1967 – 1974)
・ 政府調整委員会メモ(1967 – 1974)
・ 内閣委員会 法律案(1964 – 1974)
・ 内閣委員会議事録(1964 – 1974)
・ 内閣地名委員会議事録(1964 – 1974)
・ 内閣地名委員会メモ(1964 – 1974)
1960年代初期から1970年代後半にかけての諜報活動、テロ、外交関連記録が南アフリカ防衛省に収蔵されていることが2003年に判明した。「南アフリカ歴史アーカイブ」の働きかけもあり、これらは2006年に無事ジンバブエに返還された。
・ 独立運動に参加したジンバブエ・ナショナリストの個人ファイル
・ ZAPU/ZANU(ジンバブエ・アフリカ民族同盟)の構成、方針、活動に関する組織ファイル
・ ローデシア警察による報告、経済調査報告及び移民、脱国、密輸ルート
国立公文書館は2003年に “Capturing a Fading National Memory〔色褪せた国家記憶の捕捉〕” プロジェクトを立ち上げ、第2次チムレンガ体験者の証言収集を試みた。地方の行政区画ごとに調査を開始したが、情報提供者は役人を恐れて発言を躊躇しがちで、その上、既にインフレ率が150,000%に達する中、社会生活も破綻しつつあったため、実際に実施できたのは僅かな地区(北マタベラレランド州のグワンダ、タショロトショなど)だけだった。発言の中には、第2次チムレンガと「グクラフンディ」の混同も見受けられた。
国立公文書館は2004年頃から、ローデシア軍協会のコレクションがブリストルに存在することを認識していた 。館長自ら、西イングランド大学のカタロギング・プロジェクト主催のワークショップ(2007年)に招待を受けたチャンスを活かして(私的に)アクセスを試みたが、方針として国外居住者には(あるいは黒人である館長に対しては意図的に?)アクセスが許されなかった。
→ 保留(1935年の公文書館設立に関する文献は数多いとのことで、その題名リスト及び国立公文書館の全文データをリクエスト中)
ジンバブエ1935年、マラウイ1947年、ザンビア1954年、レソト1958年、モザンビーク1963年、ケニア1965年、ボツワナ1967年、スワジランド1971年と、アフリカ南部諸国の国立公文書館設立年は比較的はやい。その発展には、ESARBIC(ICA東・南アフリカ地域部会)が多大な貢献を果たした。しかし、紙資料に比して扱いがより複雑で高額な予算を必要とする視聴覚資料に関しては、未だ十分な収集保存がなされていない。ESARBIC加盟組織の中で、視聴覚資料を網羅的に収集するための根拠法(例えば中、仏、露、米のような法廷納入制度)は南アにしかなく 、ミッション・ステイトメントでも視聴覚の存在をカバーできていないことが多い。しかし、主に自国のTV/ラジオ局との協働により、資料散逸を防ぐ努力は続けられている。ナミビアの国立公文書館も映画フィルム700本、ビデオ250本、カセットテープ1,000本、そして100枚以上のスライドから成る規模は大きな視聴覚コレクションを持つ。
ジンバブエの場合、視聴覚部門はようやく1988年に設けられた。それまでは国立公文書館傘下の国立図書館の管轄であったが、1987年に収蔵量が急増したことから救済の緊急性が認識され、急遽独立した部門となり、低温度設定の収蔵庫も完備した。同時に、インスペクション・テーブル、超音波クリーニング機材、編集機(スティンベック)、16mm/35mm兼用テレシネ機材、フィルム・スプライサー、35mm映写機2台、TVモニタなども新規購入した(機材はすべて日本からの資金援助による)。コレクションの内訳は以下の通り。
・ 情報局から移管された1940年代以降の16mm/35mm映画フィルム(原版数千本、上映用ポジ2,500本、ナイトレート・フィルムの所蔵はなし)
・ 民間放送局から寄贈されたSPレコード(10,200枚)、ビデオ(VHS及びUマチック250本)、スライド(1,045枚)、カセットテープ(音楽テープ及びオーラル・ヒストリーのインタビューテープ600本)、オープンリール(386本)、CD、ビデオ(Uマチック、VHS)
映画フィルムの多くはCAFU=Central African Filming Unit(1948〜1963年)が制作したものだ。CAFUは、白人入植者向けと黒人向けに分けて、2種類の映像作品を供給していた。前者はニューズリール、トラベローグ、ドキュメンタリーを通してローデシア・ニヤサランド連邦の歴史、経済、社会の様相を伝え、入植を奨励する内容で、音付き35mmプリントが主であり、後者は無声16mmプリントを用い、新たな道徳観を植え付ける内容の劇映画だ。そのほか仏パテ社、ローデシア情報局、米国ABC、ZBC、ジンバブエ情報局/情報省などが制作したものも含まれる。
2002年、オランダ映画博物館の資金提供により、ジンバブエ国立公文書館において、ESARBICA加盟アーカイブズの視聴覚担当者を集めたワークショップが初開催された。このとき、オーストラリアのレイ・エドモンドソンも現地に招かれた。英国のイーストアングリア大学、オーストラリアのチャールズ・スタート大学、米国ジョージ・イーストマン・ハウスのL. ジェフリー・セルズニック映画保存学校などで正規の教育を受けたアフリカの視聴覚アーキビストはごく僅かで、国際フィルムアーカイブ連盟が毎年主催するFIAFサマースクールへの参加者も、アフリカからは未だ少ない。専門教育が受けられるだけの奨学金や視聴覚保存関連団体からの国際的なサポートが期待される。(K)
参考文献:
I+II 前半
・ Ivan M Murambiwa “The Zimbabwe Archive” Expatriate Archives in Museums Workshop, British Empire and Commonwealth Museum, Bristol, UK, 19 April 2008
・ Violet Matangira “A Nation on how it conserves its archives. Our Future depends on our past – Archives, Politics, Good governance and reality!” ESARBICA Conference Maputo, Mozambique, July 22-26 2003
・ Violet Matangira “National Archives of Zimbabwe (NAZ) Automation Position” 2002
II 後半
・ Ishumael Zinyengere “African Audio-Visual Archives: bleak or Bright Future: A case study of the situation at the National Archive of Zimbabwe” International Preservation News IFLA PAC No.46 December 2008
・ Violet Matangira “Audiovisual Archiving in the Third World” 2003Journal of Film Preservation N°62 (4/2001):
Film Archives of the National Archives of Zimbabwe
M.C. Mukotekwa
The Central African Film Unitas a Vehicle for African Development in Zimbabwe,1948-64
M.C.Mukotekwa・AFRICAN JOURNALS ONLINE[http://ajol.info/]
ESARBICA Journal:
Journal of the Eastern and Southern Africa Regional Branch of the International Council on Archives(未読)
2005 Volume 24:Rosemary Sibanda: Moving Toward Delivering “Service Quality” – Challenges Facing Public Archival Institutions in Zimbabwe
2004 Volume 23:Mukundi Mutasa and Bongie B. Ncube: Zimbabwe Refuses to Lag Behind: The Introduction of an Information Management Degree Programme at the National University of Science and Technology
2002 Volume 21:MC Mukotekwa: Film Archives of the National Archives of Zimbabwe
2001 Volume 20:Nicholas Vumbunu: Disaster Preparedness at the National Archives of Zimbabwe: An Appraisal
1999 Volume 18:Patrick Ngulube: Looking into the crystal-ball: The National Archives of Zimbabwe in the next millennium
1996 Volume 16:Emilia Madanha: Appraisal Practice and the Experience of the National Archives of Zimbabwe
1994 Volume 14:Blessing D. Maringapasi: Oral History-Principles and Techniques:The Experience of Zimbabwe National Archives、Mathias Chida: Preservation Management in Tropical Countries: A Challenging Responsibility and Limited Resources: The Case of Zimbabwe National Archives
1991/92 Volume 13:T. D. Tela: Records Management in Government, Local Authorities and Parastatals in Zimbabweそのほか
・ 吉國恒雄(著)燃えるジンバブェー南部アフリカにおける「コロニアル」・「ポストコロニアル」経験ー 晃洋書房 2008
・ ブラック・アフリカ諸国における文書館とアーキヴィスト養成課程 史料館研究紀要/文部省史料館198? 安澤秀一(著)
・ 小川千代子(著)世界の文書館 岩田書院ブックレット5 2000
・ 新書アフリカ史 講談社現代新書 1999
19世紀末
英国による植民地化(南ローデシア自治政府)
1935
★ 公文書館設立
1953
ローデシア・ニヤサランド(中央アフリカ)連邦成立(1963年解体)、人種差別政策
1960
黒人による独立運動始まる
1961
ジンバブエ・アフリカ人民同盟(ZAPU)結成
★ ローデシア国立公文書館へと改組
1965
白人によるローデシア共和国独立(イアン・スミス政権)
1979
ランカスターハウス平和会議
1980
選挙、ジンバブエ独立
ムガベ(ZAPU)、初代大統領に就任
グクラフンディ (独立当初におこなわれたンデベレ人の虐殺)
1986
★ ジンバブエ国立公文書館法
グレート・ジンバブエ遺跡の世界遺産登録
1987
ZANU/ZAPU合併 ⇒ ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU-PF)、白人議席解消
(イアン・スミス引退)
1989
★ ジンバブエ国立公文書館視聴覚部門誕生
1999
コンゴ派兵 ⇒ 国内情勢の悪化
2000
白人所有大農場の強制収用を政策化 ⇒ 「ファスト・トラック」=黒人への土地再分配
インフレーションのはじまり
2002
★ ジンバブエ国立公文書館にて視聴覚アーキビストのためのワークショップ初開催
大統領選、ムガベ再選
野党 民主変革運動(MDC)議長のモーガン・ツァンギライが激戦の末敗れる
2004
情報アクセス・プライバシー保護法、治安維持法、選挙委員会法
2005
女性弾圧および野党党員弾圧の激化
2007
活動家ギフト・タンダレ暗殺
(イアン・スミス死亡)
2008
大統領選挙、ムガベ再選 ⇒ 国連安保理、選挙の正当性が疑わしいとしてジンバブエ政府批判
コレラ大流行、年間インフレ率 約2億3000万%
2009
連立政権樹立、モーガン・ツァンギライが第2代首相に就任、ツァンギライ夫人事故死
ムガベ(85歳)は独裁体制を維持…
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