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[復元報告]特急三百哩 よみがえった幻の鉄道映画

2004年9月16日

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1928年日活京都作品・監督三枝源次郎・主演島耕二・35mm サイレント・フルフレーム 82分(FPS=18) 93分(FPS=16)

プロジェクトの概要

2001年、私たちはあるフィルムアーカイブの調査の中でひとつの作品と出会いました。瀕死の状態にあった知られざるそのフィルムは、3年後、見事に復元され、映画祭のオープニングを飾ることになります。この復元プロジェクトで私たちの果たした役割はほんのわずかにすぎませんが、失われた映画がよみがえり、ふたたび観客の前で輝きを取り戻すまでのプロセスを経験したことは、映画保存の活動を本格化し、FPS設立へとステップアップする契機となりました。

h2_300_project『特急三百哩』がよみがえるまでの経緯と、その中で私たちの果たした役割について

瀕死の状態で発見された『特急三百哩』が命を吹き返すまでの一連の救出作業において、私たちの果たした役割はおもに三つあります。

フィルムの補修と調査

まず一つは、復元が正式に決定するまでの間の応急処置でした。

300mile01.gif私たちは2001年、プラネット映画資料図書館(大阪)の所蔵フィルムを対象に、試験的な調査プロジェクトを開始しました。具体的には、フィルムの状態チェック、缶の入れかえ、所蔵番号や倉庫番号の設定、ラベルはり、データベースの構築などを実際におこないながら、一定量のフィルム調査に必要な時間とコストを割り出し、そのほかのフィルム・コレクションにも広く適用できる「マニュアル」を作成したのです。このプロジェクトは2004年まで続き、合計で100巻程度のフィルムを扱いました。この中から後に復元され、東京国立近代美術館フィルムセンターやプチョン国際ファンタスティック映画祭で上映された作品もあり、プロジェクトの成果は、私たちのサポート会員による “Planetary Film Archives”(プラネット所蔵コレクションのフィルムアーカイブ化活動)に引継がれました。

『特急三百哩』も元はと言えば、このプロジェクトで扱った作品です。シナリオが残されておらず内容は不明でしたが、戦前の日活製作で、しかも完全版である可能性も高かったことから、すぐにも復元されるべき作品と判断し、作業にかかりました。まずは錆びついた缶を新しくし、正しい巻数順に並べ替え、フィルム表面の汚れを丁寧に拭き取り、激しく劣化して固まっていた部分を数日間かけて丁寧に剥がしました。続いて、挿入字幕のすべてをルーペで読み取ってデータ化し、破損箇所を補修しました。

歴史的価値が明らかに

作品の全貌があきらかになるにつれ、梅小路機関車庫を舞台とし、当時の鉄道省の後援によって製作された”鉄道映画”としての価値も次第に明らかになっていきました。

その事実を裏付けてくださった映画史家/SL評論家である畑暉男氏には、主演の島耕二が語る撮影時の思い出や、プロデューサー的な役目を果たした村尾薫(製作当時、鉄道省嘱託)による批評など、貴重な文献資料を提供していただきました。京都映画祭への出品を前提とした復元作業の実現を期待しつつ、収集した資料と挿入字幕の抜き書きを大阪芸術大学教授/京都映画祭実行委員の太田米男氏にお渡ししたのは2002年のことでした。いったんは財政難により中止に追い込まれた京都映画祭ですが、2004年には復活開催が決定し、『特急三百哩』はその晴れの場で、オープニング作品として上映されることになりました。復元作業は太田米男氏の監修のもとIMAGICAウェストにておこなわれました。発見されたオリジナル・プリントの状態でとりわけ目を引いたのは、部分的なピンクの染色が美しく残されていたことですが、残念ながら、この染色情報は復元版には生かされませんでした。部分染色の再現は、技術的にも予算的にもハードルが高いようです。

公開に向けての広報活動

復元版の公開に向けて、私たちが果たした二つ目の役割は、主要な鉄道専門誌や新聞社に向けての広報活動でした。

「鉄道ファン」編集長の宮田寛之氏の力添えもあり、ほとんどの鉄道専門誌には上映についての告知が掲載され、さらには、毎日新聞でも復元にいたる経緯が大きく取り上げられました。オープニング上映で映写を担当されたのは田井利夫さん。田井氏ご自身の手による改造映写機で、適切な映写スピード(18fps)が実現しました。国内の映画祭において、映画の復元にここまでスポットがあてられるということは、これまでになかったことではないでしょうか。観客数は1,500名を超え、オープニング上映は大成功に終わりました。その後bの復元プリントはプラネット映画資料図書館に所蔵され、以来、山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー金曜上映会などにも貸し出されています。

300mile01.gifプラネット映画資料図書館によるオリジナル・プリントの保存、私たちによるフィルム調査プロジェクト、畑氏の鉄道映画への情熱、そして京都映画祭というお披露目の場、、、様々な条件が、まるで飛び石があらわれるようにうまく連らなって、このフィルムは無事、スクリーンに蘇りました。それらの条件の一つが欠けても、復元は手遅れになっていたかもしれません。オリジナル・プリントの劣化は2001年の段階で既にはじまっていたのです。多くの方に復元されたフィルムをみて楽しんでいただくという喜びは何ものにもかえがたく、その後の私たちの活動の原動力ともなっています。(K)

海外上映の夢

最後に、私たちの果たした三つ目の役割として、挿入字幕の英訳作業があります。英語版があれば海外での上映も夢ではありません。今後は『特急三百哩』の国際舞台への展開にも期待したいところです。

h2_kyoto_report復元された『特急三百哩』がオープニングを飾った第4回京都映画祭の報告

復元された『特急三百哩』は、2004年9月、第4回京都映画祭のオープニング作品として晴れて公開されました。ここではその当日の様子をお伝えします。(天野園子)

所属する映画保存研究会StickyFilmsが復元に関わった無声映画が上映されるため、9月18日~20日まで京都へ行った。 その映画の名は『特急三百哩(マイル)』。1928年(昭和3年)の日活京都作品。大阪のプラネット映画資料図書館にあったフィルムを、大阪芸術大学の太田米男先生が主導して復元した。この映画が、第4回京都映画祭のオープニングでついに上映されるのだ。

300mile00.gif9月18日、土曜日の夕方の京都。9月にしては蒸し暑い夕方。StickyFilmsのメンバーと私は京都駅にいた。京都駅の中央口コンコースをエスカレーターで登ると、そこは室町小路広場。4階のこの広場から11階の大空広場まで、空に続くような171段の大階段が今回の客席である。まるで『戦艦ポチョムキン』(1925)のオデッサの階段のようだ。しかし、今日は映画のお祭。残虐な政府軍も泣き叫ぶ市民も、もちろんいない。あるのは、前座のジャズライブで楽しく踊る小さな女の子。期待に胸を膨らませた熱烈な映画ファン。老夫婦からカップルまで、みんなが映画が始まるまでの宵を楽しんでいる。日が暮れて、すっかり辺りが暗くなった京都の夜の7時。『特急三百哩』の上映がついに始まる…と思いきや!映写トラブル。なかなか映像がスクリーンに映らない。ドイツ人伴奏者のブーフヴァルト氏も不安げに後ろを振り返り、映写機を見つめる。観客からは「早くしろー」と声。嬉しいじゃないの、待ちわびてくれるなんて。

およそ5分の沈黙のあと、タイトルがスクリーンにふわりと浮かぶ。協力のクレジットに「スティッキーフィルムズ」の文字が…!思わず叫びたくなるがそこはガマン。本当のオタノシミはこれから。

そして、映画は静かに始まった。

そして、映画は静かに始まった。昭和初期からずっと目に触れることはなかった。「キネマ旬報データベース」にも掲載されていなかった。湿気と埃にも耐えてきた。歴史からずっと忘れられていた映画が、今、やっとまた光を浴びる。

ブーフヴァルト氏はピアノとバイオリンとビオラを使い分けて、機関車の暴走からサーカスに売られた哀しい女の涙まで、幅広く表現した。アップテンポのパッセージ、緩やかなレガート、バイオリンのピチカート。さまざまな音が、映像にみるみる命を吹き込む。

日本ではもう見られないというSL機関車が煙を上げて、奥から走ってくる。ホームに滑り込む。行き交う人びと。リュミエールの『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895)を思い出す。映画が発明されたばかりのあの時は、列車に驚いて逃げ出す観客もいたというが、今は逃げ出す人など、もちろんいない。布を広げた野外のスクリーンで、映画が発明された時と同じような映像を目にしても、今はもう21世紀。なのに、もっともプリミティブな映画体験。

古い映画を守ろうとする中で、映画の最初に行き着くとは。

映画が本来持つ魅力

私はすでに、『特急三百哩』をビデオで2、3回見ている。実は、正直に白状すると…この映画は前半の機関車暴走シーン以外、あまり面白くないと思っていた。ヒロインを追ってくるサーカス団長とのサスペンスも中途半端だし、島耕二も大してカッコよくない。滝花久子もあまり華がない。 しかし、これらはすべて私の誤解だった。家の小さいテレビなんかで見たからそう思ったのだ。主人公の機関士役の島耕二。後に日活多摩川から香港のショウ・ブラザーズまで、95本の映画を撮る監督となった彼は、こんなにも頼もしい男だったか。ヒロインの滝花久子。『五人の斥候兵』『土と兵隊』の監督、田坂具隆夫人といった方が有名かもしれないこの日活の女優は、こんなにも可憐で守りたくなるような女性だったか。島耕二の下宿屋のおやじさんやおかみさん、子役まで、こんなに生き生きと動いていただろうか。

大きなスクリーンと光を放つ映写機。この二つがなければ、映画が本来持つ魅力は引き出されないことに、私は改めて気付いた。同じ映像なのに、なぜ“映画”は“スクリーン”で見ると、こんなに画が深く、ダイナミックなテンポが生れるのだろう。奇術と言われて見世物から始まった映画は、やはり光のマジックだった。技術や理論で説明できない何かが映画にはあるということは、今までいろいろな人の話や読物で知ってはいたが、実体験するのは初めてだった。

デジタルやCGなど映画技術の発達はもちろん歓迎しよう。しかし、それはきっと表面だけのこと。映像の下に潜む光の魔物は、きっと1928年の昔からずっと変わっていないんじゃないだろうか。

「映画って、何が楽しい?」

カッコいい俳優、惚れ惚れする女優、胸ときめくラブロマンス、危うい気分のエロス、心臓バクバクしっぱなしのスリル、涙が自然に込み上げる感動ストーリー…十人十色の思いがあるだろう。

その思いを持つ時、あなたは前を向いてスクリーンを見ている。だけど、時々、後を振り返ってほしい。埃がチラチラ舞う光の根っこを。カメラの奥にあるセルロイドの帯を。その帯に記憶されたさまざまな人々の思いを。笑い、涙、怒り、寂しさ、喜び。色とりどりの思いを生み出すフィルムの存在を。

82分にわたる機関車大暴走の映画は、大きな拍手を貰って上映を終えた。

300mile00.gif『特急三百哩』は二度、生まれた。一度目は1928年の製作時。二度目は、忘却という川の底から拾い上げられ、再び蘇った2004年の今だ。この映画は本当に運の強い作品だったのだろう。長い間、コンクリートの階段に座っていたせいか、お尻が痛い。でも、その痛みも心地よい。楽しい映画だった。いい映画だった。映画はそれで、充分だ。上映が終わり、スクリーンの白い布は次々と取り外されていく。映画復元のお祭りは終わった。ふと目を向けると、駅の建物の隙間から、京都タワーがぼんぼりのように、柔らかく光っていた。

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