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このボランティア・プロジェクトは、レイ・エドモンドソン、タイ国立フィルムアーカイブ(TFA)、タイ・フィルム財団と筆者の4者によって考案されました。その目的は、タイにおけるフィルムアーキビストの養成にほかなりませんが、筆者に課されている使命は〈映像アーカイブの運営〉、〈カタロギング〉、〈フィルム・インスペクション〉、〈ガイドラインや活動ルールの策定〉など、基本的な知識の提供です。
筆者が初めてTFAを訪れたのは2004年4月のことでした。4日間の滞在期間中、TFAのためにできることがあるとしたら何だろうかと考えを巡らせました。このようなプロジェクトに携わること自体まったく初めての経験だったので、当初掲げた目標や計画にはあまりに楽観的すぎる部分もあったように思います。というのも、いざ着手してみると、筆者の能力ではとてもカバーしきれないようなことが度々起こったからです。
筆者がこの2004年の訪問時にTFAの数名のスタッフと話し合ったのは、映画保存の重要性を社会に訴える術についてでした。その話し合いの成果は、予想を上回る成果を見せていました。今やTFAは毎週末に映画上映を企画しています。様々な理由から上映に使用するメディアはフィルムではなく、DVD又はVHSコピーのみです。とはいえこの上映会の開催によってフィルムアーカイブ活動の第一歩が踏み出されたことに疑いの余地はありません。さっそく私もその上映会に参加してみました。上映作品は有名なタイのゴースト・ストーリーで、これまでに20作以上が製作されている『ナンナーク』(1999)。最新作はタイ映画史上もっとも成功した作品で、興行収入は『タイタニック』さえ超えたといいます。観客の一人は、このシリーズの名場面やポスター、パンフレットなどをスキャンして作ったVCD(アジア圏で広く普及しているビデオCDのこと)を持参していました。一般の映画ファンはそうやって映画に夢中になっているわけです。ここ1年のあいだに博物館を開館し、館内で上映会を開催するようになったTFAですが、現在抱える問題点を広く訴えるため、6月25・26日にはワークショップも開催されました。タイという国の政治状況について筆者は詳しくありませんが、一般大衆の要望が一つの組織の問題を解決する手段になるような国ではないようです。ボランティア・プロジェクトは首尾よくいっていますが、その結果TFAにどのような成功がもたらされるのか、それはまだわかりません。それを知るには再びタイを訪れ、この目で確かめるしかないのです。これは長期的視野のもと、現在も継続中のプロジェクトですから、次回の報告書には何か素晴らしい結果を記すことができるかもしれません。もっとも、報告すべきことは良いことばかりとは限らないでしょう。
著者:ブリギッタ・パウロヴィッツ
フィルムアーキビスト。2001年、L. ジェフリー・セルズニック映画保存学校(米国NY州ロチェスター)を主席で卒業。ハーゲフィルム現像所(オランダ)品質管理部スタッフ、オーストリア映画博物館フィルムアーカイブ部門代表、ドイツ・フィルム・インスティチュート研究員を歴任。現在はフリーで活躍。AMIA、SEAPAVAA会員。80年代半ばからベルリンやパリの映画館に通いつめ、とりわけ無声映画/アジア映画を愛好する。
タイ国立フィルムアーカイブ(TFA)はタイ国立公文書館(National Archives of Thailand)美術部門に属します。筆者のボランティア活動はこのTFAのほか、総理府広報局(The Public Relation Department=PRD)の公文書館&博物館部門も対象となりました。TFAの職員はアーカブ部門の職員全体の中から勤続年数によって選ばれています。出世時期も年功序列で個々の能力が加味されることはありません。
TFAは<紙資料>、<アクセス&カタロギング>、<保存>という3つの係から構成されています。
紙資料係:バンコク市街にある国立公文書館の建物の中にあり、スチル写真等のコレクションも同じ建物に保管されています。現在7名がこの係で働いています。
アクセス&カタロギング係と保存係:7年前にサラヤにある5棟の建物に移転しました。サラヤとはバンコクから35キロ離れたところにある大学街です。ここでは13名のスタッフが働いていて、内4名が専任のポジションについています。残りのスタッフは1年ごとの契約です。
◎タイ映画博物館
2001年に計画され2004年末に開館。映画の製作会社に外観を模した小さな建物の1階が企画展示室、2階が常設展示室です。ここには有名なタイ映画のセットが展示されています。例えば『ナンナーク』や、『地獄のホテル』(1957)のバー、『トロピカル・マラディ』(2004)に登場する「虎」などです。加えて映画製作の流れも展示物を使って解説しています。撮影機材や焼き付け機材の現物、そして小さな上映施設もあります。博物館の営業は毎週土曜日のみで、上映される古典映画の終映と共に閉館時間を迎えます。TFAは「すべてのタイ人がみるべき100本のタイ映画」という作品リストを発行していて、そのリストにあるフィルムをバンコクにあるTFAの建物の中でも上映しています。
◎新しい倉庫
2003年末に完成しました。事務所、ならし室、可動棚を備えた一室の倉庫、最大5名が作業できるインスペクション作業室から成ります。
◎古い倉庫
全体にビネガー臭が漂う3階建ての建物です。最上階はナイトレート・フィルムとアセテート・フィルムの倉庫。廊下にはビデオも積まれています。2階のデジタル部門ではフィルムをVHSに変換しています。1階は届いたばかりの収蔵品置き場で、巨大な1室に天井までぎっしりと様々なメディアが積まれています。1階にはインスペクション作業室も。数年前に完成したばかりですが、お世辞にも良い環境にあるとはいえず、改築のための費用も既に用意されています。新しい倉庫はすでに満杯ですが、すべてのフィルムを移し終えたわけではありません。
◎現像所
このフィルムアーカイブには小さな現像所もあります。但しスタッフは1名だけで、白黒フィルムの現像しか扱っていません。
◎アクセス&カタロギング
1階にはVHSコピーの収蔵室、カタロギング・カード置き場、事務所があります。4名分の事務机とVHS専用の閲覧室もあります。
ほかに物置も一つあって、中には機材コレクションが保管されています。
作業場を片付けてTFA所蔵のナイトレート・フィルムを巻き取るというのが1週目の計画だったのですが、以下の2つの理由からすぐさま変更を強いられました。
まず、過去1年の間に膨大な量のフィルムがフィルムアーカイブに届けられたため、それらのフィルムの処理がすっかり滞っていたのです。これは筆者の滞在中に片付けねばならない仕事となりました。
次に、ドーム・スックウォン(TFAの創設者)から直々に、筆者の到着と同時にここで仕事をはじめることになった新人にインスペクションの基礎とフィルムの扱い方を教えてほしいと頼まれました。新人スタッフのチャオは映画学科を卒業したばかりの、フィルムアーカイブの仕事に興味津々の女の子でした。ほかのスタッフに比べて英語が流暢だったので、通訳としても働いてもらうことにしました。筆者の滞在期間中ずっと彼女がいてくれたらどんなに助かったかわかりません。しかしそういうわけにもいきませんでした。もし彼女がずっといてくれたら、ほかのスタッフともっと情報交換ができたのに、と残念に思います。実際、フィルムアーカイブ内の現像所で働く計画は、通訳を見つけられなかったため、あきらめることになりました。
そういうわけで、まずはチャオと筆者が一緒に働くためのスペースを確保しました。たいていのフィルムアーカイブでは、次々に届くフィルムが山となって仕事場を占拠しているので、作業場を確保するのも一苦労です。ビネガー・プリントやカビの被害を受けているフィルム専用の部屋が、実際はその目的のためには使われていなかったので、作業場に転用することに決めました。通気性に優れていることもあって都合が良かったのです。
総理府広報局(PRD)公文書館&博物館部門にて
今から5年前に公文書館&博物館部門を創設したのはカニーカ・チヴァパックディーというアーキビストです。彼女の並々ならぬ情熱によって、PRDは歴史を守ることの重要性を理解するようになりました。この部門が面倒をみているのは83のラジオ局と11のTV局です。
筆者は、ここでインスペクションとフィルムの扱い方の基礎を教え、フィルムアーカイブの将来についてアドバイスを与える先生役を引き受けました。現状ではフィルムは収集・保管されてはいますが、それ以上のことは何もなされていません。初期的な所蔵品リストはいくつかありましたが、改編されていません。ですから確かにコレクションは存在するものの、「フィルムアーカイブ」と呼べるような組織ではないのです。全体のコレクションの中でフィルムの占める割合はそれほど高くはなく、核となっているのはLPレコード、ユーマティック・テープ、スライド・フィルムなどです。データベースの構築はボランティアの力によって既にはじまっていました。筆者の滞在の終盤になって、データベースとカタロギングのためのミーティングを改めて開いたのですが、以後、多少なりとも役に立っていることを願うばかりです。アクセス機能を高めれば、この組織の認知度は必ずや高まるでしょうし、それによってこの部門自体の地位が引き上げられるはずです。
まず、どのような機材が所蔵されているかを初日に調べて、足りないものを把握しました。次に買い物です。午後は掃除、それから作業場のセッティング。火曜に映画保存の概論とフィルムの扱い方を教え、水曜と木曜にはフィルムの巻き取りをしました。3名のスタッフが参加し、通訳はチャオが引き受けてくれました。3人とも映像素材を扱った経験は皆無でしたから、3人のうちせめて1人でも、TFAもしくはSEAPAVAAを介して、これからもフィルムの勉強を続けてほしいという筆者の希望を伝えました。
通訳のチャオがTFAでのドキュメンテーション関係の仕事でバンコクに戻らねばならず、筆者は手つかずのフィルムの調査に取り組むことになりました。ここぞとばかりにドームとトング(フィルム技術者)が、ひどく劣化した危険なフィルムを用意してくれました。まずは70年代の35mm劇映画でした。かなり痛めつけられた上に褪色も進行しているプリントでしたが、とにかく現存する唯一のプリントです。23日が祝日だったこともあって、1週間はあっという間に過ぎてしまいました。週末になって、筆者の滞在期間の終わり頃に2日連続のワークショップを開催することが決まりました。TFAを助けるためにボランティアで働くことを希望している人たちが、その対象です。
ビネガー専用室はごく一般的なインスペクション作業室へと変身しました。インスペクションの担当者は、ほかに仕事があって席を空けていることが多いので、常に作業台が一台は無駄になっている状態でした。そこで筆者はその台で作業することにしました。ほかのスタッフと同じ部屋で働けるなら好都合です。その台で16mmフィルムのインスペクションを続行しました。火曜に調査したのは、1997年製作の「THE KING OF MUSIC」という作品。この映画のプリントは34本も寄贈されていました。王族に関係する大切な作品ということで、優先して作業にとりかかったのですが、そうはいっても収蔵スペースが限られていますから、状態のもっとも良い3本だけを残すことにしました。
この作品の最初のリールを調べていたときに、これまでに経験したことのないような劣化に出くわしました。
アグファのエスターベースを使用したフィルムが、巻き取っていくうちにぼろぼろと崩れ落ちてしまったのです。このため、すべてのプリントの1巻目だけを素早く巻き取って、もっともコンディションの良いプリントを3本選び、状態の良いものは後でじっくり調べ直すことにしました。しかし結局3本を除いて、残りすべてのプリントにこの不可思議な劣化の症状が見受けられました。状態の良い3本はコダックの1997年製造のエスターベースで、劣化の兆候は微塵もありません。乳剤面にはピンク色の層が形成されていて(映写油のようでもありましたが、成分は不明です)、部分手に赤い斑点も見つかりました。すべてのプリントはまったく同じ環境に置かれてきました。窓が多く、エアコンもないバンコクのフィルムアーカイブ内の保存庫は、気温も湿度もきわめて高く、言ってみれば、わざわざ劣化を進行させるために用意されたような環境なのです。シアン層の褪色という可能性もありますが、詳しくは現在調査中です。サンプルとしてこのフィルムをオーストラリアのミック・ニュンハム(スクリーンサウンド・オーストラリアのアーキビストで、映画フィルムの保存科学の研究者としては世界的権威)に送り、原因を究明してもらっています。
コダクロームがいっぱい詰まった箱がシロアリの被害を受けたとドーム・スックウォンが教えてくれました。中には失われたとされている1964年の作品「NOKNOI(Little Bird)」も含まれているとか。ミット・チャイバンチャーとペッチャラー・チャオワラートという、恋人役で人気を博した、いわばタイ映画史上最も有名なカップルが出演している作品です。実はタイ映画史上1947年から1972年にかけては、「16mmの時代」と呼ばれています。ほとんどの作品は16mmリバーサルで撮影され、コストを抑えるため後で音声が加えられました。ですから、生き残っている素材はすべてサイレントなのです。
状態の異なる92本のフィルムのうち、19本は劣化がかなり進行しているようでした。59本は外から見た限りはきれいでしたが、残りの14本は箱すらなく、裸の状態でした。これらのフィルムにインスペクションを施しては、新しいケースへと入れ替えていきました。クリーニングの方法は色々と試して、なんとかシロアリ被害の跡を消そうとしましたが、うまくいきませんでした。夜になってさらに調査を続け、結局シロアリの被害には打つ手がないとあきらめ、もっともひどい部分を切断して別の缶に保管することにしました。どうにか見られる部分だけでもDVDにメディア変換し、閲覧できるようにするためです。
この週も手つかずのフィルムのインスペクションを続けました。その後、ホームムービーのコレクションを調査しました。もう誰も筆者にフィルムを運んでくることはなかったので、できる仕事を可能な限り進めていこうと頑張りました。とはいえ、言葉の壁は悩ましいものです。フィルム缶のフタに処方箋を記したメモを残しても、言語が理解できなければ何も伝わりません。問題点は山積していて、その上、急を要するものばかりなので、優先順位を付けようもないのです。来年こそはリスク・アセスメントにも取り組もうと考えています。そうすることでTFAのスタッフが、もっと効率的に仕事をこなすことができるようになると思うからです。
有名なタイの歌手、クリスティーナ・アキラーのホームムービーのインスペクション、クリーニング、缶の入れ替えをしました。それからワークショップの準備もこなしました。
6月22日、「TFAに救済の手を」と題して開かれた記者会見に参加しました。
トムソン・サービスに買収されたタイ最大のフィルム現像所は、今日ではテクニカラー傘下となっています(テクニカラー・タイランド)。経営責任者であるポール・スタンバーが映画保存や復元に情熱を傾けていることはよく知られています。テクニカラーは特別なプロジェクトを立ち上げ、タイのフィルムアーカイブのスポンサーに名乗りを上げました。これから毎年2本のフィルムアーカイブ所蔵作品について、復元作業をおこなうそうです。フィルムアーカイブの現像所は白黒フィルムしか扱えないわけですから、この協力関係はひじょうに重要な意味を持ちます。この発表と宣伝を兼ねて記者会見が開かれたわけですが、詳しくは、以下の新聞記事を参照してください。
Bangkok Post (www.bangkokpost.net) 2005.06.23: First two films chosen for restoration
The Nation (www.nationmultimedia.com) 2005.06.24: Technicolour to the rescue of old movies
(映画保存ニュース・アーカイブ 2005年6月23日、6月24日付データ)
初日の参加者は14名でした。まずは上映時間10分の「復元」されたタイ映画『THE BANDIT』(『怪盗ブラック・タイガー』のモデルになった作品)のVCDを鑑賞しました。主演はまたしてもミット・チャイバンチャーです。「復元版」と言う言葉がパッケージに使われています。しかしこれは傷んでいる上に褪色したプリントから変換して、新たに音楽を加えたものです。 筆者は参加者に、このプリントの持つ問題点を書き出すよう指示しました。それからもう一度同じ作品をみて、問題点について話し合いました。続いて映像アーカイブの歴史を大まかに教えました。各国の例を出したり、代表的なフィルムアーカイブの名称や、国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)、 東南アジア太平洋地域視聴覚アーカイブ連合(SEAPAVAA)、動的映像アーキビスト協会(AMIA)といった団体の名前も挙げたりしました。国による映画保存活動の違いや、文化遺産として映像を守ることの大切さなども話題にしました。後になってわかったことですが、こういった事柄について考えること自体、タイ国内では比較的新しい試みだったようです。その次に、視聴覚アーカイブが扱う様々な仕事の領域、職種、責務等についても話しました。ドーム・スックウォンが参加者にフィルムアーカイブの内部を見せてまわりました。見学の後で、今度は倫理的な話題に移りました。ここで本格的な討論が可能になったのは、通訳を引き受けてくれたタイ・フィルム財団のチャリダー・ウアバムルンジットのおかげです。彼女が私の話にタイでの事例をたくさん追加してくれました。考え方がまったく異なることから、いくつかのテーマはとても複雑な議論に発展しました。例えば、各自の嗜好が対立し合うというような問題ですすが、これはタイの言語には置き換えようがない概念のようでした。タイの人たちが仕事と家庭を分けて考えられないのと同じように、ヨーロッパとは何かが根本的に違うのかもしれません。2日目の午後はフィルムとマグテープを実際に扱ってみました。時間とスペースの不足から、デモンストレーションだけになってしまいましたが、結果としてほとんどすべての参加者が、ボランティアとしてTFAで働いてみたいと心を決めてくれたようです。翌週から働き始めたいと、早速予約を入れた参加者も2名いました。このようなワークショップが、今後毎年開かれるということも決まりました。残念ながらフィルムアーカイブのスタッフは、このワークショップには興味を示してくれませんでしたし、PRD公文書館&博物館部門の面々もそれは同様で、この週末、彼らは職員旅行に出かけてしまいました。
ワークショップの参加者から、さらに3名が研修生としてTFAに加わりました。フィルムの扱いの基礎からはじめて、ドーム・スックウォンはカタロギングとフィルムの登録方法についても彼らに教えました。カタロギングの分野でもTFAはかなり遅れています。
残りの2日間は片付けや掃除に終始し、さよならパーティーでは豪華な食事を用意していただきました。
何らかのプロジェクトを推進している組織にとって、組織の安定した運営と成長、そしてプロジェクトに対する社会の認識を高めることは重要です。タイ国立フィルムアーカイブ(TFA)はそのことを改めて教えてくれます。広報・宣伝活動なくしてプロジェクトは成立しません。思うに、最大の問題が潜むのは政治的なことの中、つまりTFA自身の決定権の欠如であり、そのために本来あるべき組織構築や必要な機材の購入がうまくいかないのです。例えば、所蔵品へのアクセスを確保すると同時にオリジナル素材を守り抜くのがフィルムアーカイブの役目です。したがって、フィルムから他メディアへの変換・複製作業は欠かせません。TFAにはテレシネ用の編集台が1台あるので、ほとんどの所蔵品はビデオに変換されています。ストック・フッテージの顧客であるTV局が必要としていたのは、以前はベータ・テープでした。ところがそのための予算を組むのに15年もの歳月が費やされたのです。ようやく許可が下りたとき、すでにベータはフォーマットとして時代遅れになっていて、新たな機材を購入し直す必要に迫られる、という悪循環に陥りました。
一ボランティアが政治状況にまで口を挟むべきではないでしょう。ボランティア活動の意義は、意見交換をしてスタッフのモチベーションを高め、そこにいることの意義を再確認してもらうことにあります。独立に向けて様々な困難に立ち向かうTFAには精神的な支えが必要です。現在TFAの存在自体を脅かすような決定が次々と下されている中で、TFAを訪れ取材することで、あるいはボランティア活動を申し出ることで、国際社会が手を差し伸べることは可能です。しかしここでいうボランティアとは、TFAにとっての急務を現地で遂行できる人材を指します。つまり、それなりの技能を擁するボランティアが求められている、ということです。仮に筆者が現像所の技術者、つまりその分野の専門家であれば、たとえタイ語が話せなくてもNFAの現像場の技術者と協力して働くことができたはずです。
作業の流れの中で、あるいは組織的な問題に直面したり解決策を提案していく中で、筆者が直面したもう一つの問題点は、保存活動の管理・運営方法です。ときに外部の者の視点は、問題解決に向けた有効な手段を提示してくれるものです。そういった意味で、リスク・アセスメントが有効なのではないかと考えはじめています。この点にもう少し踏み込んで、これからTFAのスタッフと話し合っていくつもりです。
予想していたこととはいえ、最大の問題は言葉の壁でした。知識や経験を与えたり交換したりということを目指しているだけに、あらゆる場面でコミュニケーション不足を痛感しました。この点も次回は改善せねばと思っています。お互いが慣れてくれば共通の言葉を持たずともわかり合えるようにはなるものです。文化的な差異もあり、何か失礼があってはならないという思いから過度に慎重になってしまうこともありました。そうなると筆者はフィルムアーカイブの日常に溶け込んでいるというより、むしろ少し距離をおいて彼らを観察しているという立場に置かれてしまいます。2ヶ月の滞在の間にかなり親密にはなりましたが、まだ十分ではないと感じています。
あらゆる種類のボランティア活動に共通することかもしれませんが、実際に活動をはじめる前に明確で理路整然とした達成目標を掲げるというのは、容易なことではありません。TFAは政府組織の傘下にある小さな組織ですが、現在、大掛かりな挑戦をしようとしています。まずはTFAという組織が掲げる目標の達成に向けて何がなされるべきか、また何を避けるべきかを考えねばなりません。大切なのはボランティアの力が必要とされている領域で、その力を最大限に活かすことなのですが、このTFAという組織が真に求めているものを理解するには、あと少し時間がかかりそうです。筆者にわかる範囲で以下に3点、現在のTFAに必要なことをあげて、この報告を終えます。
このプロジェクトは、レイ・エドモンドソン、パオロ・ケルキ・ウザイ、チャリダー・ウアバムルンジット、ドーム・スックウォンの協力によって実現しました。また FIAF(国際フィルムアーカイブ連盟)とSEAPAVAAからの資金提供に深く感謝いたします。
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