TOP > プロジェクト > [復元報告]第四回映画の里親 霧隠才蔵[パテベビー版]の復元
2007年初夏にお預かりしたフィルムを《映画の里親》第4回作品として同年の秋にかけて復元しました。以下にご報告します。
オリジナル素材:
旧劇 霧隠才蔵
9.5mm パテベビー 約23m(70ft.)トップ欠落。エンドマークあり。黒いボビン(20m用大缶)側面に貼られた白ラベルに手書きで「旧劇 霧隠才蔵」とある。映画検閲時報(内務省警保局編)によると、伴野商店が1930年12月に家庭用パテベビー版「霧隠才蔵」を制作しており、1931〜37年の販売目録(パテーシネ掲載)にもその商品名が残る。
持ち主:
坂本頼光ネットオークションにて¥5,000-で落札したフィルムをFPSに貸与。
里親:
ソウル・チュンムロ国際映画祭
The Chungmuro International Film Festival in Seoul (CHIFFS)
http://www.chiffs.kr/(カタカナ表記を中黒でつなぐ)日本語表記はCHIFFS側の提案による。
復元版:
霧隠才蔵[パテベビー版]35mm 上映時間約3分 16fps使用ラボ:
IMAGICAウェスト
http://www.imagicawest.com/
東京光音
http://www.koon.co.jp/復元総費用:
約31万円35mm初号試写:
2007.10.22 10:00am-(於 渋谷某所)第5回映画の里親作品の発表/テレシネ版の上映を兼ねる。
お披露目上映(但しデジベータによる):
2007.10.30 第1回CHIFFS 中央シネマ1 11:00amより
出演 活弁・坂本頼光 伴奏・柳下美恵
2007年秋、第1回ソウル・チュンムロ国際映画祭(CHIFFS)が華々しく幕を開けました。ディレクターをつとめるのは映画史家、映画作家、大学教授と様々な顔を持つキム・ホンジュン(Kim Hong-joon)さんです。
出会いは2003年夏のプチョン・ファンタスティック映画祭(PiFan)に遡ります。韓国映像資料院の映像アーキビストで親友のオ・ソンチに「私の先生」と紹介され、以来、ソンチと共に来日される度にお会いするチャンスを得ました。常に新しいアイディアに溢れている方なのですが、FIAF東京会議の会期中にCHIFFS開幕についてはじめてお伺いしたときには、さすがに驚きました。なにしろテーマはフィルムの発見や復元だとおっしゃるのです。映画祭の増え過ぎた韓国で、これまでにないテーマに挑戦したい、自ら映画人としてのキャリアをスタートしたチュンムロ(忠武路)を舞台に、映画の過去にスポットを当ててみたいとのこと。そのような映画祭の出現はアジア初に違いありません。FPSの活動趣旨にぴったり添う映画祭ですから、その記念すべき第一回に何かできないものかと考えていたところ、絶妙なタイミングでちょっと面白そうなパテベビーが転がり込んできました。黒いボビンに墨書きで「旧劇 霧隠才蔵」と書かれています。入手のいきさつについてはこちらをご参照ください。
キム・ホンジュンさんよりCHIFFSへの正式なご招待を受けたのはまさにそのときで、カンヌ映画祭での記者発表を終えて5月に再来日された際、にわかに都内で打ち合わせとなりました。通訳を引き受けてくださった日本女子大学のキム・ヨンジョンさんの助けもあって、この入手したばかりのパテベビーのボビンをその場で「先生」にお見せしました。そして清水の舞台から飛び降りるような気持ちで「このフィルムをCHIFFSの資金で救っていただけないでしょうか?」とお願いすると、拍子抜けするほどあっさり「OK」という言葉が返ってきたのです。こうして、新たな復元プロジェクトが動き出しました。
《映画の里親》第4回を手掛けるにあたって、過去3回の反省を踏まえ、《映画の里親》制度の定義を改めました。この定義に則って作成した英文の協約書にキム・ホンジュンさんと小会理事長の永野武雄が署名しました。この協約書の日本語版は第5回以降にも準用するものです。
ご存知のように映画の〈復元〉とは、その作品が初めて公開されたときの状態にできる限り近づけること、つまり小会が扱う小型映画(劇映画)の場合はオリジナルの形状である35mmに焼き直すことを意味します。第1回、第2回は共に16mm松竹グラフ版から→デュープネガを作成し→35mmプリントを焼くというブローアップ復元でした(第1回のみウェット焼きを使用)。しかしパテベビーの場合はオリジナルをスキャニングして→デジタル修復を施し→35mmにレコーディングする方法が現在では奔流です。
《映画の里親》は一般の映画ファンに復元を身近に感じてほしいがゆえの制度ですから、1本にかかる復元資金をいたずらに大きくするわけにはいきません。デジタル復元は話題性こそ期待できるものの、その費用は5〜10倍にまで跳ね上がりますし、果たして仕上がりにそこまでの違いがあらわれるかどうかも確信が持てません。今回は限られた条件の中で最善の成果を出すことをゲームのように楽しみながら、従来のブローアップ復元に臨むことにしました。
それにしても迂闊でした。デジタル復元をしないと決めた矢先に、国内のラボには発注できないことに気づいたのです。育映社の現像場が閉じると同時に現像職人・今田長一さんが開発した機械を引き取ったIMAGICAウェスト(大阪)によると、稼働までにはまだしばらく時間がかかるということでした。一度は顔面蒼白になりましたが、すぐに頭を海外へと切り替えました。
ホームムービーの日 Home Movie Dayのオフィシャル・メーリングリストには、日常的に小型映画を扱う映像アーキビストが多く参加しています。このMLから、米国ニュージャージー州のBBオプティクスまたは英国ロンドンのプレステック・フィルムがパテベビーの復元において信頼に足る実績を残していると教わりました。フランス(CineDia)を推す声もありましたが、仏語のみの対応のため候補から外しました。ちなみに復元ラボとして有名なオランダのハーゲフィルムに尋ねたところ、ハーゲの設備では16mmを介さないと35mmへのブローアップができないそうです。デジタル復元のコストも下がっている中で「今どきオプチカルなどおすすめしない」と、ある意味真っ当なアドバイスを頂きました。
低コスト高クオリティーとはいえ、いざ目の前のオリジナル素材を送り出すとき、言葉の問題以上に海外ラボを使用する不安は大きく、そう簡単に決断できるものではないことが今回身に染みてわかりました。なにしろこれが現存する唯一の素材かもしれず、かつ復元完了時には持ち主に(当然、お預かりしたときと同じ状態で)お返しするものです。ぐずぐずと迷っているうちにIMAGICAウェストから連絡が入り、7月に今田さんの機械のテストがはじまることを知らされました。
IMAGICAウェストに発注したことで、結論からいうと予想以上の素晴らしい仕上がりが得られました。ただ国内とはいえ東京から大阪は遠く、テストフィルムの確認や初号試写の実施は容易ではありませんでした。第1回の「モダン怪談100,000,000円[松竹グラフ版]」の試写とウェット焼きのテストフィルムの確認のため、バイト帰りに江古田の育映社に駆け付けた日のことが思い出されます。今更ながら気づかされることには、小会のような草の根団体にとって、その現像場の存在はあまりに大きいものでした。
実際の作業の手始めとして、フィルム・インスペクション及びインタータイトル計17枚の抜き書きと英訳をおこないました。パテベビーのインタータイトルはフィルムの回転を一時停止して読ませる仕組みのため、元々数コマしか付いていませんし、そのまま上映しても文字情報を画面上で読み取ることは不可能です。これはフラッシュタイトルと呼ばれ、35mmナイトレートの復元でも別の理由から度々問題になります。しかし読める長さにコマ伸ばしをするとパラ・キズが定位置で固まり、極めて不自然なフローズンタイトルになります。この不自然さをいかに回避するかが今回の復元を進めるにあたって、もっとも高いハードルになりました。
次に特殊クリーニング(画像右半分 before、左半分 after)とテレシネ*を東京光音に発注しました。東京光音との出会いも実はソンチがきっかけでした。都内で8mmのテレシネ業者を探していたソンチと2人で見学に出かけ、特殊クリーニングのデモもそのとき拝見していたのです。
*9.5mmのテレシネ発注先としては京都の吉岡映像設計事務所もあります。
テレシネ版はクリーニング前と後の2種作成し、かつコマ伸ばし作業もお願いしました。このとき伸ばしたタイトルの長さは持ち主であり弁士でもある坂本頼光さんに確認していただき、後の35mmの復元版にも生かしました。フラッシュタイトルのままテレシネしなかったことは失敗で、今となっては復元前の何も手を加えていない状態と復元後の比較ができません。この時点で(A)欠落しているトップタイトルを補うこと、(B)エンドマークの後に出る不明瞭な映像(画面が暗く内容は確認できない)を復元版から除くこと、そして(C)インタータイトルの位置調整をおこなうことを決めました。インタータイトルは全体的に左寄りでフォントが大きく、上下がフレームからはみ出すなどバランスを欠くものでした。
(A)タイトルを補うにはオリジナル題名を判別しなくてはなりません。「霧隠才蔵」という題名の映画は1930年以前に少なくとも5本製作されています。
1. 日活(京都)1915年 尾上松之助
2. 日活(京都)1919年 尾上松之助
3. 日活(京都)1922年 尾上松之助
4. 帝国キネマ 1922年 嵐璃徳
5. 国活(東京)1920年 沢村四郎五郎、市川莚十郎(「岩見重太郎と霧隠才蔵」)
小型化の際に改題されることはむしろ稀ですが、主演が明らかに尾上松之助でも嵐璃徳でもないことから、いささか製作年が古いものの5.の可能性が高いとの結論に一旦は達しました。そこで当時の国活(国際活映株式会社)や天活(天然色活動写真株式会社)作品を中心に、東京国立近代美術館フィルムセンターに特別映写を申請しました。費用の¥20,000-(¥5,000-/30分)もCHIFFSにご提供いただき、小会の会員及びこのプロジェクトに関わる外部の協力者の顔合わせも兼ねるものとしました。
しかし参加者のお一人である映画研究者・冬樹薫さんのご指摘で四郎五郎でないことは即時明らかになりました。プレスリリースの発行も迫っていたことからオリジナル題名の特定はあきらめ、補足題名として「霧隠才蔵[パテベビー版]」を採用しました(左画像参照)。これはラベルにある手書きの題名(旧劇 霧隠才蔵)とエンドマーク直前の17枚目のインタータイトル=「斯くして 霧隠才蔵は 己が急ぎの 旅を續けた」によるものです。
題名もわからない正体不明の作品にCHIFFSが納得してくれるのかと不安も過りましたが、冬樹さんの「あなた今、ご覧にならなかったの?これは復元しなきゃだめよ」というお言葉に勇気が湧きました。
一部の会員や協力者は改題を前提に文献調査を継続し、澤登翠さんほか多くの方に情報を提供していただきました。大阪芸大所蔵の題不明玩具映画の中に「霧隠か猿飛か?」という作品があったので、太田米男教授のご協力で内容を確認したものの、まったく異なる作品でした。努力虚しく、2007年11月の時点で公表できるのは、帝キネ(帝国キネマ演芸株式会社)による1920年代作品で冒頭の女優が潮みどりではないか、という心許ない推測のみです。
恨めしいのは映写速度です。CHIFFS側はフィルム上映を望んでいました。しかし適正映写速度(16fps)は実現不可能だといいます。適正映写速度でないとフィルム上映はできない旨主張し、最終的に上映メディアはデジベータに落ち着きましたが、映写速度さえ可変であれば35mm版の出品を最優先したことは言うまでもありません。後に今田さんが「それでいいよ、早送り気味で上映して無声映画ってこんなもんか、なんて思われるの悔しいじゃない」とおっしゃって、ようやく踏ん切りがついたものの……
映写機のメーカーと型式を確認し、改造についてはその分野に詳しい映像アーキビストの知人に調査を依頼する段取りまで万端でした(機種によってはそれほど難しくありません)。しかし会場が複数の映画館に分散していたことや、開催間際まで劇場が確定されなかったことなどから、この方法に現実味はありませんでした。通常営業が優先される小屋で勝手に映写機をいじるわけにはいきません。小会と同一プログラム(Tales about film preservation)のはずだったUCLAはどういうわけか出品をキャンセルし、上映回数も2回から1回に、上映日も週末から平日に、午後から午前にと、規模は縮小されました。その時点でフィルム上映は完全にあきらめました。
それだけに活弁とピアノ伴奏付きの上映だけはなんとしても実現したく、そのための調整には力が入りました。お忙しいスケジュールの中、坂本さんに続き無声映画伴奏者の柳下美恵さんもCHIFFS参加を快諾してくださり、度々の予定変更にも柔軟に対応してくださいました。手持ちマイク、台本を置く台、手元明かり、弁士登場の音楽、ピアノのあるリハーサル室の手配、万一アップライトのピアノが借りられない場合のキーボードとアンプの確認など、CHIFFS側との細かいメールのやりとりは延々と続きました。理想の上映形態に近づけるためにあらゆる手を尽くしてくださった事務局のキム・ユジュンさんはじめ映画祭スタッフの皆さんには感謝の言葉もありません。
上映媒体がフィルムでないと決まり、上映用データ制作の重要性が急遽増しました。このデータは35mm復元版をテレシネしたものではなく、より画質の高い東京光音のテレシネ版を小会が独自に加工したもので、これをDVDに焼いてIMAGICAウェストにも参考資料としてお渡ししました。
追加したのは小会ロゴ、里親クレジット、そして(A)欠落していたトップタイトルの3枚です。ロゴはともかくとして、続く2枚は最終的な版の決定まで各10種程度のバリエーションを制作し、CHIFFS側に選択をお願いしました。
そのほかの作業は予定通りです。(B)エンドマークの後に残る不明瞭な映像の削除、そして(C)インタータイトル17カ所の位置調整(センタリングとフォント縮小=上画像 before/下 after)、同じく17カ所についてはコマ伸ばしによるフローズンタイトルの不自然さを回避するため、レタッチをおこなってバックを黒ベタに。すると、パラ・キズが完全に消えることから違和感が和らぎ、予想以上の効果にほっと胸を撫で下ろしました。揺らしのテストも同時におこないましたが、わざとらしさが出てしまうので実際には使用しませんでした。
以上の加工はすべて小会正会員の飯田定信によるものです。
黒ベタに白抜きの文字が出るタイトルは、デジタル復元であれば(例えば黒をグレーがかった色にしてインタータイトルに切り替わったときの不自然さを取り除いたり、白だけが浮き上がらないよう抑えたりといった)調整が自在なのですが、オプチカル作業にはそうした自由度がほとんどないそうです。また、タイトル部分はハイコン(ハイ・コントラスト・フィルム)ネガ→ハイコンポジを使用したためジェネレーションを重ねることになり、クオリティーが落ちて一部の文字がつぶれてしまいました。
IMAGICAウェストでの作業を遠く離れて理解しようと努力する中で、京都文化博物館の学芸員・森脇清隆さんにいただいた情報がたいへん参考になりました。
パテベビーのパーフォレーションはフレームの中央(フレームラインの上)にあるため、フレームの一部が削られています。これをそのまま画面に出す復元の方法もありますが(縦合わせ)、今回は通常使われるという「横合わせ」にしました。
*画像は冒頭1枚目のインタータイトル「お女中 おけがは 御座らぬか」(4コマ付いている)。1コマ目のフレームのエッジに入っているノッチが回転の一時停止を知らせる役目を担う。
フレームの縦合わせ/横合わせ及び機械的にフレームを揺らすいくつかのパターンを示すテストフィルムも作成されました。35mmフィルムの場合の揺らし作業は、タイトルがせめて6〜7コマ残っていないと技術的にかなり難しいそうです。また、9.5mmでウェット焼きは不可能ということです。
どうにか都内で初号試写を実施できたのは、小会の元会員の御子柴和郎さんの尽力のおかげです。試写は復元の実現に向けて力を合わせた会員や、力をお貸しくださった外部の協力者へのお礼の場としても絶好の機会で、逆に言えば試写にご招待することでしか感謝の意を表せないことも多いように思います。広く参加者を募ることで、将来的に《映画の里親》を担う会員を増やすきっかけにもなり得ます。今回は残念ながら技術者の参加が困難になり、誰もが忙しい平日の午前中の開催ということもあって、参加者は10名にも達しませんでした。しかし、そこをなんとか1人でも多くの参加者を引っ張ってくるのが担当者の役目でもあります。そして作品について誰もが自由に意見を出し合える雰囲気をつくることも重要でしょう。
今後は、第三者的な立場でプリントの仕上がりを講評してくださる技術者の立ち合いはもちろんのこと、より多くの映画研究者、弁士、そしてマスコミの方にもお声掛けをしたいと考えています。
プレスリリースは2007年10月1日に発行しました。読売新聞夕刊の記事(2007年10月13日)をぜひご覧下さい。里親探しの段階ではとくに宣伝の必要がなく、CHIFFSでのお披露目上映をメインに広報することができました。同時期に共同通信が配信する「映画のチカラ」で《映画の里親》が大きく取り上げられたり、坂本さんがアサヒビール 青山ハッピー研究所のインタビュー記事の中でご紹介くださったり(同年10月19日)、柳下さんが朝日新聞夕刊の記事「カル業師 無声映画伴奏者 柳下美恵さん ピアノでスクリーンへ案内」(同年11月12日)の中でCHIFFSに触れてくださったり、ということもありました。
2007年10月30日午前11時からの《映画の里親》上映は、キム・ホンジュンさん自らの司会で進められました。坂本さんの着席位置は通常通りスクリーンに向かって左手、そして柳下さんが演奏されるアップライトのピアノが右手に置かれました。上映前に小会から《映画の里親》制度を説明し、里親PRの最新版を上映しました。その後、弁士&ピアニストのお二人が客席後方から拍手に迎えられて登場という流れで、復元順に「モダン怪談100,000,000円[松竹グラフ版]」、「海浜の女王[松竹グラフ版]」の上映があり、最後が「霧隠才蔵[パテベビー版]」のお披露目となりました。現地の映画雑誌の取材も受けましたが、その後何らかの記事が掲載されたかどうかはわかりません。CHIFFSのスタッフの方には、日本の常識では考えられないような手厚いおもてなしを受け、上映後にも通訳の方や映画祭スタッフの方に豪勢なランチをご馳走になりました。ソウル滞在の4日間についてはメルマガFPSの30号と31号に別途報告の予定です。
2007年11月の時点で「才蔵」は国内で以下の通り上映が決まっています(すべてDVD上映)。
・2007年11月25日
FPS ちいさな上映会Vol.15 日本映画正体不明
・2008年1月6日
活動倶楽部/FPS 年初め お宝映画上映会 Vol.1 ソウル・チュンムロ国際映画祭 凱旋公演
・2008年1月13日
FPS 谷根千無声映画の会
小会では国内で「才蔵」ほか映画の里親作品を上映してくださる団体を随時募集しております。ちらしなどに明記していただければDVD上映でも構いません。また、事務所でも映像ほか復元に関わる書類一式を閲覧していただけます。お気軽にお問い合わせください。
正直なところたった3分の作品の復元にここまで手こずるとは予想もしておらず、考えが甘かったことは否めません。過去に復元された9.5mmフィルムについて予習も不十分で、フィルムを受け取った5月から復元版の完成した10月まで半年も要してしまいました。すべての作業が慌ただしく、先走ったりお待たせしたりうっかり忘れたり突然思い出したりの連続でしたが、結局のところ1本のフィルムの復元に対する決めごとの数は、必ずしも本編の時間の長短に比例するものではないのです。
海外出品の場合は英文の資料の提供や字幕制作など、よりきめ細かい気配りが必要でした。インタータイトルの英訳は終えていただけに、最後に手を抜いてしまった事が悔やまれます。具体的な目標を設定することの大切さにも気づかされました。妥協を強いられはしますが、10月末というCHIFFSの開催時期が「〆切」であったことに、ある意味助けられました。
第3回作品とは連携できませんでしたが、第5回作品とは試写やPR映像の上映、プレスリリース発行(取材対応)等でうまくつながることができました。映画の里親はこれからも続いていくプロジェクトですので、今回の失敗が繰り返されることのないよう、この報告が少しでも役立てば幸いです。
2007年11月現在、長期的な保存のため復元版35mmプリントとネガの寄贈先を探しています。
・「Introducing Film Preservation Society」THE 1ST CHUNGMURO INTERNATIONAL FILM FESTIVAL IN SEOUL(CHIFFS公式カタログ)
《映画の里親》はフィルムの持ち主と里親さんがいらしてこそ成立するプロジェクトです。坂本頼光さんとソウル・チュンムロ国際映画祭ディレクターのキム・ホンジュンさんには記してここに感謝いたします。どうもありがとうございました。
(石原香絵)
映画の里親第4回作品『霧隠才蔵[パテベビー版]』は、同意書に従って、上映用ポジ1本を里親である〈ソウル・チュンム国際映画祭〉にお贈りしました(2008年5月にFPSがソウルに持参、韓国映像資料院にて、映画祭ディレクターに手渡ししました)。
2007年5月某日、ご近所にお住まいの活弁士・坂本頼光さんが、お土産を携えてふらりと事務所に立ち寄ってくださいました。気になるそのお土産の中身はといいますと… なんと映画フィルムが10ロールも!
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