[作品解説]新発掘・映画『黒手組助六』をめぐって

新発掘・映画『黒手組助六』をめぐって――若き日の林長二郎とその時代――

冬樹 薫(映画史家)

今回、NPO法人 映画保存協会のご尽力により、新発掘された映画『黒手組助六』(1929年[昭和4年]・松竹下加茂・監督冬島泰三、古野英治)は、林長二郎(長谷川一夫)主演。デビュー作の『稚児の剣法』から数えて、31作目。珠玉のフィルムである。

――先ずは、話をその少し前に戻す。
昭和元年。この年は、改元初年とはいえ年末の大正天皇崩御のため、旬日(7日間)にすぎなかった。したがって、昭和2年(1927年)が、《芥川龍之介の自殺》に象徴されるような不安と波乱の《昭和時代》のスタートの年であり、近代史のなかでも《ターニングポイント》として、銘記すべき年であった、と言えよう。
その3月に――、
①3月10日 『忠次旅日記・第一部甲州殺陣篇』(日活大将軍・監督伊藤大輔・主演大河内伝次郎)封切
②3月12日 『稚児の剣法』(松竹下加茂・監督犬塚稔・主演林長二郎)封切
③3月14日 片岡蔵相、衆議院で東京渡辺銀行が破綻と失言。この舌禍により、翌15日から銀行取り付けが全国に波及。金融恐慌が始まった。

 この一日おきに起きた《三つの出来事》は、偶然の一致ではあろうが、今日振り返ってみると、《歴史の必然性・神秘性》を感じ、つとに、戦かされてしまう。すでに言い尽くされていることだけれど、『忠次旅日記』が、昭和初期の不安な時代を象徴している《影》とするならば、一方の『稚児の剣法』は、暗闇の中から突如躍り出た感のある梨園の優――若き林長二郎(以下長二郎と略)の《甘いマスク》に酔うことで、民衆に《この世の憂さ》を忘れさせた《光》と、言えるのではないか。この《光と影》、その歴史の根っこを辿ると、まこと同根ではあった。
 その『稚児の剣法』は、松竹の空前絶後の宣伝力と、長二郎の甘いマスクにより、天下の子女を魅了。《長さま。長さま。》の嬌声は、長屋の隅々にまでも響きわたる。昭和初期の活動写真は、《長二郎さま、ポイントさま。》でなければ、夜も昼も明けぬ《長二郎時代》に塗り込まれてしまうのであった。
 さて、松竹下加茂時代の長二郎映画だが、デビューの昭和2年から、彼が東宝移籍にともない、暴漢に顔面を斬られる《刃傷事件》の起った昭和12年まで――松竹在社11年間の作品本数は、116本(蒲田作品は除く)。年10本強の活躍ぶりだ。年間本数の最高は、デビュー翌年の16本。当時は、全てサイレント、一作品の長さは短かったとはいえ、長二郎は随分と酷使されたものだ。若さ(デビュー当時19歳)ゆえに、体が耐えられたのだろう。反面、松竹は彼の作品で莫大な利益を揚げる。このような積年の所業が、後年長二郎に松竹のライバル東宝への移籍を、決意させるに至らせるのである。

◇         ◇         ◇

前に述べたように量産された下加茂時代の《長二郎映画》だが、残っているフィルムは、誠に少ない。断片、不完全を入れても、現存作品は《25タイトル余》か?
そんな訳で、現存する作品は、それが例え《断片》であっても、文化財として、《光り輝く宝石》にも勝るものであろう。
このたび、NPO法人 映画保存協会のご努力で、新発掘された『黒手組助六』は、前述の趣旨に沿った誠に貴重なフィルムである。現存作品25タイトル余と前に述べたが、『黒手組助六』以前に製作された現存作品は、昭和2、3年に製作の30タイトルのうち、わずか《5タイトル余》のみの寂しさだ。しかも、その5タイトル余のうち、ほぼ完全なフィルムは、デビュー作から数えて18本目の作品『風雲城史』(1928年[昭和3年]・監督山崎藤江)のみ。あとの4本余のフィルムは、断片または部分だ。『風雲城史』は、NFC所蔵。ベルギーのシネマテークにあったものを収蔵している。
ちなみに、現存25タイトル余のうち、『風雲城史』以外の長尺フィルムは以下のとおり。
『忠臣蔵・前後篇』(1932[昭和7年]・監督衣笠貞之助・オールスターキャスト)
『刺青判官・総集篇』(1933年・監督冬島泰三・共演飯塚敏子)
『雪之丞変化・総集篇』(1935年・監督衣笠貞之助・共演千早晶子)
『かごや判官』(1935年・監督冬島泰三・共演飯塚敏子)
『土屋主悦・落花篇/雪解篇』(1937年・監督犬塚稔・共演北見礼子)

『黒手組助六』に話を戻す――。
先ずは、公開当時のデータを、次に記す。

『黒手組助六』(松竹下加茂作品) 
原作・脚色 前田弧泉/監督 冬島泰三・古野英治/撮影 杉山公平/
出演者 林長二郎、高田浩吉、坪井哲、中根龍太郎、若水絹子/
公開昭和4年1月5日 浅草観音劇場 無声5巻966㍍

◇略 筋 黒手組助六は、芝居小屋で鳥井新左衛門一味の不良浪人を懲らしめて以来、三浦屋の揚巻大夫を中心に鳥井と反目し合った。助六は亡父の仇と家重代の宝刀、友切丸の行方を発見するまでは刀を抜かない、と誓って封印をしていたので、鳥井一派に様々の侮辱を受けた。紀伊国屋文左衛門は、助六のためを思い鳥井に先んじて揚巻を受け出してやったが、男伊達の助六はそれを受けなかった。鳥井が揚巻を襲った時、初めて亡父の仇、友切丸の所持者が鳥井と知って、助六は一世一代の大乱闘を演じ、見事、仇を討って揚巻を抱くのだった。

 ◇         ◇         ◇

 今回新発掘された復元前オリジナルフィルム(マーヴェルグラフ版)からの『黒手組助六』(以下《黒手組助六》と表記)を、観た。
 トップ・メインタイトルは無い。クレジットは2カットのみ。第①②カットの表記(タイトルは、すべて縦書き)は、下記の通り。
①監督 古野英治 / 16ミリ編輯 内藤友弥
②黒手組助六 林長二郎/傳次 高田浩吉/紀伊国屋文左ェ門 中根龍太郎/揚巻太夫 若水絹子
《黒手組助六》は、当時家庭用に発売された16ミリ短縮版で、一般家庭から発見されたそうである。保存状態も良く、映写時間は約16分だった。封切当時の『黒手組助六』は、966㍍だから、無声の映写速度で上映時間は、約53分である。したがって、《黒手組助六》は本編の約3分の1弱の長さに過ぎないのだが、そのカットとスポークンタイトルで、話の筋は明解、クライマックスも《手に汗》。ノーカット版を見たような、充実感で一杯だ。

その充実したストーリイを構成しているシークエンスは、3つ。次に記す。
①芝居小屋の溢れる観客の面前で、町奴と旗本のいがみ合い、そしてお決まりの乱闘。
②お江戸吉原は三浦屋の場――助六と揚巻大夫の《しっぽり》とした濡れ場。揚巻は助六に短気を起して刀を抜かぬよう、諌める。
③ここで、紀伊国屋文左衛門登場――。文左衛門は、助六のため揚巻を請けだしてやるのだが、旗本鳥井一味に奪われようとする。まさに《危機一髪》。助六のもとに疾風のように、《ご注進!ご注進!》。けれど助六は、愛する揚巻の諫言を思い、じっと堪えること、しばし……。やがて耳に飛び込む、恩人《文左衛門危うし!》の報せ。助六――宙を切って、《駆ける!駆ける!》。飛んできた小柄に、家重代の宝刀盗みしは、鳥井新左衛門!《彼奴だったか、父の仇!》 抜かぬと、《こらえたわが刀》、初めて抜いての、大乱闘!
キャメラは、名手 杉山公平。衣笠・溝口監督の世話女房として、著名だ。杉山、このとき弱冠30歳。活動写真の黎明期――誰もが若かった。その杉山のクランクを握る手が、踊る踊る。走る長二郎を追うキャメラのスピード感、そして長二郎の100万ドルの笑みを、《ばっちり》と捉えたバストショット。さらには前記②の濡れ場――長二郎と若水絹子の見事な《どアップ》ショット。
長二郎の爆発的な人気を、陰で支えた《杉山の力量》と、杉山のキャメラにより捉えられた若き日の《長二郎はん!の光輝く魅力》を、新発掘の《黒手組助六》により、たっぷりと《心ゆくまで堪能》していただきたい。

(ふゆき かおる)

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