TOP > プロジェクト > [復元報告]第三回映画の里親『学生三代記 昭和時代[マキノ・グラフ版]』の復元
1930年 マキノ・プロダクション作品
原作・脚色 八田尚之
撮影 大森伊八
監督 川浪良太、滝澤英輔、久保為義
マキノ・グラフ版編集 田中十三
出演 「野球の巻」 横澤四郎、砂田駒子、山口タカシ、志茂山剛
「下宿の巻」 津村博、泉清子、寺井幾夫
里親 東京国立近代美術館フィルムセンター
立命館大学アート・リサーチセンター マキノ・プロジェクト
復元作業 株式会社IMAGICA
『学生三代記 昭和時代[マキノ・グラフ版]』は2006年冬に映画探偵が個人宅から発掘しました。オリジナルは16ミリのポジプリント2巻です。
公開当時の資料を見ると、『学生三代記』は、「天保持代」「明治時代」「昭和時代」の三部に分かれており、1930年春に封切られています。「天保持代」と「明治時代」はそれぞれ一作としてまとまっていますが、昭和時代は短編8作がオムニパス形式につらなっています。今回発掘されたのは、そのうちの「野球の巻」(182フィート)と「下宿の巻」(180フィート)です。「野球の巻」はトップタイトル部が欠けています。
オリジナルフィルムのインスペクションの後、テレシネを(株)育映社に作業を依頼しました(江古田にあった育映社のラボは残念ながら2005年11月に閉鎖されました)。
2006年5月に、『三朝小唄』の復元など、マキノ映画の調査・研究・復元に素晴らしい実績のある立命館大学アート・リサーチセンター マキノ・プロジェクト(以下ARC)の冨田美香さんに声をかけ、小会事務所で最初の打ち合わせをしました。その後、冨田さんから、このフィルムを東京国立近代美術館フィルムセンター(以下NFC)と共に、デジタル復元を行いたいと提案がありました。復元されたフィルムを保存するのは国の収蔵庫がよい、という冨田さんの思いからです。そこでNFCの板倉史明さんにもプロジェクトに加わっていただくことになりました。
しかし、実際にラボにフィルムが渡るまでに、非常に長い時間がかかってしまいました。それはFPS、ARC、NFCの三者による話し合いが長引いたためです。論点は主にトップタイトルの文字情報についてです。これまでの《映画の里親》プロジェクトでは、FPS会員が復元を担い、トップタイトルは「FPSロゴ」の後、復元に資金を提供してくださった里親の方に敬意を表してお名前をクレジットする形をとってきました。しかし今回の場合、ARCとNFCの立場からは三者が復元の主体であるため、おのずと見方が変わってきます。またトップタイトルが欠けている「野球の巻」をどのように提示するのかも議論になりました。三者からさまざまな提案が出されましたが、最終的に以下のようにまとまりました。
1.トップタイトルは、「三者共同復元」→「FPSロゴ」→「映画の里親クレジット」とする
2.二編の順番は、オリジナルの箱の記載に合わせて「野球の巻」→「下宿の巻」とする
3.「野球の巻」の始まる前に、「<野球の巻>」とタイトルを挿入する
「FPSロゴ」と「映画の里親クレジット」部は、(株)育映社で作成していただいたこれまでのタイトルのデザインやフォントをベースに、小会の郷田真理子が新たに作成しました。この議論に時間を費やしたため、実際の復元作業に十分な時間をかけることができなかったことが大きな反省点です。同時に、第三回は三者共同復元プロジェクトでもあり、映画の里親プロジェクトでもある、という、これまでとは違う形式になったため、《映画の里親》 プロジェクトの本来の形とはどんなものなのか、小会内で再考する機運が生まれました。(《映画の里親》の主旨についてはこちらをご覧ください)
11月末にNFC京橋での検尺作業後、12月に株式会社IMAGICAにフィルムを受け渡しました。そこでフィルムの状態調査や縮みの測定を行い、HDテレシネをすることになりました。復元の担当は越智武彦さんです。デジタル復元作業は以下のようになります。
(1)ウェットゲート(特殊な溶剤でベース面の傷を見えなくする方法)を使って、オリジナルの16ミリ・ポジプリントを解像度2Kでスキャニング
(2)データ上で映像の揺れや明滅(フリッカー)を抑え、傷やシミを除去
(3)(4)のデータを35ミリのネガにレコーディング
(4)(3)のネガから35ミリ上映用ポジを作成
年も押し迫った頃、株式会社IMAGICAでHDテレシネを三者で見、今後の作業や予定の説明を受けました。映像を見て、最大の問題になったのは、あちこちに現れる斑点シミです。このシミは、空をバックにしたショットでは、まるで花火か水玉のようにパッと散ります。(2)の作業は最初にソフトで自動的に行い、再度人間の目で一つ一つをチェックして行くのですが、このシミを手作業でとっていくのは非常に時間と手間がかかるという説明でした。
しかし年を越して、2007年2月に最初のデジタル試写を見たとき、そのシミがかなり消えていました。デジタル上の消去作業ではなく、ウェットゲートスキャンの段階でシミが消えたそうです。それが溶剤の屈折率のためなのか、溶剤にこのシミを取り除く効果があったのか、今回の復元ではその点は明らかにはなりませんでした。さらに画面のガタツキや明滅も安定したものになっていました。この映像を見ながら、三者で以下のような意見を出しました。
・映像の粒状性が際立ちすぎている
・黒が引き締まりすぎて、特に字幕部分ではかえって映像が止まったように見える
これらの変更は、デジタル復元においてはその場で技術者の方に修正していただき、結果がすぐ見ることができます。
3月に再度デジタル上の試写を行いました。前回から、スプライスの跡や大きなシミ・キズが除去されました。登場人物のクロースアップが多い「野球の巻」では、その表情にドキッとするほど印象が強まり、「下宿の巻」はスプライスからはみ出したフィルムセメントの残りが取り除かれ、人物の姿が際立っていました。全体的に今まで見えなかったものが浮き立つようにはっきりして、作品の持つ力がぐっと引き出されました。ただし「下宿の巻」の画面下部中央にほぼ全編にわたってあるヒモのようなホコリの焼きこみは残りました。これを消すことは可能ですがボンヤリとした跡が残ってしまうという説明を受けたためです。これを最終版として35ミリネガにレコーディングし、35ミリ上映用フィルムを作成、3月末、フィルム試写を迎えました。フィルムで見ると印象が変わり少し柔らかさを感じました。この時点で作業は終了したため、オリジナルの16ミリフィルムは映画探偵の手によって持ち主に返却されました。
3月の株式会社IMAGICAでの試写では映写速度が24コマ/秒だったため、5月にNFCで16コマ/秒で再度試写を行いました。この際、フリッカーが強く表れ、映写環境について大きく考えさせられることになりました。この観点から2007年10月に立命館大学で復元成果の報告を兼ねてシンポジウムが行われました。またNFCでの試写の際に、立ち会っていただいたフィルム技術者の中村暢夫さんから、人物の黒髪や学生服の周りが白くなってしまう現象(マッキーライン)の指摘を受けましたが、これも16ミリのオリジナルからのものか、復元の段階でできたものかは判別することができませんでした。このときの試写は自由に意見を言い合えるような環境ではなく、このような重要な指摘も後から知ることになってしまいました。復元に関してもっと議論をできる場を作ることがいかに大事か、この経験から学びました。
2008年はマキノ雅広監督の生誕100年という記念すべき年です。2008年1月から、NFCにて特集上映「生誕百年 映画監督 マキノ雅広」が開催され、『学生三代記 昭和時代[マキノ・グラフ版]』も3月にこの特集内で上映されます。ぜひ足をお運びいただければと思います。
最後に、この復元にご協力いただいた多くの方々、さまざまなご支援・ご指摘をいただいた方々、そしてフィルムの持ち主の方に改めて御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
中川望
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