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第24回ポルデノーネ無声映画祭 報告

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第24回ポルデノーネ無声映画祭 報告

「ポルデノーネ無声映画祭」(Le Giornate del Cinema Muto)は北イタリアのポルデノーネ(劇場改装中はサチーレ)で開かれる映画祭で、今年(2005年)で24回目を迎えます。この映画祭には地元住民のほか、世界中から多くの映画研究者やフィルムアーキビスト、映画愛好家らが集まり、意見や情報を交換する重要な場ともなっています。今年のポルデノーネ無声映画祭は「La luce dell’Oriente / Light from the Ea st Omaggio al cinema giapponese / Celebrating Japanese Cinema Shochiku 110 – Naruse 100」と題して、今年創立110周年を迎える松竹と生誕100年の成瀬巳喜男監督の特集上映が組まれました。以下はフィルムアーキビスト、ブリギッタ・パウロヴィッツ氏による映画祭の報告です。アジア映画をこよなく愛するパウロヴィッツ氏、いったいどんな思いで映画祭へ臨んだのでしょうか?

北イタリアで観客を熱狂させた輝かしき日本の無声映画たち

私にとってのポルデノーネ無声映画祭は、ウィーン発ヴェネチア行の列車に乗り込むところで毎年その幕を開けます。列車はオーストリアの山々や名高いゼンメリング峠を抜け、カーブを一つ曲がる度にあらわれては消える予測できない景観―渓谷、城跡、壮観な鉄橋など―を次々と眼前に見せてくれます。いつの日か蒸気機関車に乗ってポルデノーネに出かけてみたいと私は密かに夢見るのでした。

何はさておき到着後はオープニング・イベントのチケットを求めるのが常です。幸い入手しそびれたことは一度もありません。今年のオープニングはジャック・フェデーの『CRAINQUEBILLE』(1922)をアントニオ・コッポラのスコアと共に上映するというので、とくに楽しみにしていました。チケットが確保できたことは何よりの喜びでしたし、美しい作品の非の打ち所のない復元版を素晴らしい楽曲がさらに際立たせ、決してがっかりさせられることはありませんでした。

この作品は今年の特集のひとつである「アンドレ・アントワーヌとフレンチ・リアリズム」【Andre Antoine and French Realism】の中の1本でした。アンドレ・アントワーヌ(1858-1943)は自然主義に傾倒し、演劇界ではイプセン、ストリンドベルグ、トルストイなどをフランスの観客に紹介したことで有名な人物です。1914年に映画界へ進出し、シンプルかつ類い稀な手法でフランスの風物を美的に描き出しました。

hirondelle.jpg船上生活の映画が好きな方に―否、とくに好きではない方にも―お勧めしたいのは、『L’HIRONDELLE ET LA MESANGE』〔ツバメ号とシジュウカラ号〕です。撮影は1920年ですが、6時間にも及ぶフッテージをアンリ・コルピが編集し、1984年になって漸く公開された作品です(78分/18fps)。コルピを助けたのがフィリップ・エスノでした。二人はできる限りオリジナルの脚本に忠実に、監督の本来の意図に作品を近づけるよう腐心しました。この映画祭でアントワーヌの映画を堪能できるのも、1955年以来アントワーヌを研究しているフィリップ・エスノの弛みない努力のおかげです。

ほかにアントワーヌの影響を受けた作品群として、同じく船上生活を扱ったジャン・エプスタインの『LA BELLE NIVERNAISE』(1923)、先に述べたフェデーの『CRAINQUEBILLE』(1924)、ジュリアン・デュヴィヴィエの『AU BONHEUR DES DAMES』(1930)、そしてレオン・ポワリエの『LA BRIERE』(1924)なども上映されました。描かれる人物や風景、そして物語自体も、11月の冷たい霧のように深みのあるフィルムです。

日本の無声映画のプログラムは松竹の110周年を記念したものでした。素晴らしい上映作品を用意してくれた同社に感謝の念を惜しむ参加者はいないでしょう。いくつかの復元版の中でもとりわけ『不壊の白珠』(清水宏、1929)と『斬人斬馬剣』(伊藤大輔、1929)は美しい仕上がりでした。

『斬人斬馬剣』を絶賛していた人物といえばデイヴィッド・ボードウェルです。何パターンかの英題の1つに【MAN-SLASHING, HORSE-PIERCING SWORD】というものがあり「こんな題名の映画を見逃してなるものか!」というのが彼の言でした。そして彼は確かに正しかった!月形龍之介の素晴らしいことといったらないのです。この作品は9.5mmからフレームをスキャニングして35mmにブローアップ復元したものです。私が知る限り、デジタル処理の度合いはそれほどでもなく、ごくベーシックなガタつき補正と少々の傷・パラの除去がなされたのみで、あちらこちらに古い世代のプリントの経歴が残されたままでした。ここでいう経歴とはもちろん、このプリントの経歴ということです。

一方、染色/調色に驚くべき技術を誇るプラハの現像所で復元された『不壊の白珠』は息を呑むほどの美しさでした。このようなフィルムを目にするのは生まれて初めての経験でしたし、いつの日か輝度の高い映写機を備えた劇場で再見し、その喜びを噛み締めたいものです。つまり今回の映写環境では画面が暗すぎたわけですが、しかしそのためにこの作品の素晴らしさが陰ることはありませんでした。

個人的には英語字幕版が上映されたことにひどく感激しました。2001年の映画祭では日本の無声映画の上映中、ヘッドフォンを使った同時通訳によって混乱させられることも度々だったのです。逆にがっかりしたことは活動写真弁士が登場しなかったことでしょうか。私がとても気に入った(数多の)作品の一つである『勝鬨』(1930、冬島泰三)などは、弁士の説明が付いたらかなり面白くなったはずです。

どういうわけか私のお気に入りは朝一番に上映されることが多く、『限りなき舗道』(成瀬巳喜男、1934)、先に述べた『勝鬨』、『不壊の白珠』のいずれも上映開始は朝の9時半でした。そして待ちに待った『特急三百哩』(三枝源次郎、1928)もついに上映されました。とくに素晴らしかったのはギュンター・ブーフヴァルトによる音楽、そして何といっても蒸気機関車の数々!待った甲斐があったというものです。この作品はすぐにでもDVD化して販売されるべきではないでしょうか。鉄道ファンは大喜びに違いありません。鉄道ファンの数は侮れませんし、これだけ多種多様な蒸気機関車が一度に登場する映画が、ほかにどれほどあるというのでしょう!?

観客にとっては予想外だったであろう二つの出来事をここで紹介します。一つ目は『公衆作法 東京見物』(1925、文部省)の上映です。昨年とは対照的に今年のプログラムにはドキュメンタリーがとても少なかったので、そんな中で上映された数本はとりわけ注目を浴びることになったわけですが、中でもこの作品は観光という視点とユーモアが混ざり合い、異彩を放っていました。二つ目は『生さぬ仲』(1932、成瀬巳喜男)に出演している岡譲二の発見です。この役者が最初に登場する場面で、劇場にはとても静かなため息が漏れました。岡譲二はイタリアでも観客のハートを盗んだようです。

復元に話を移すと、東京国立近代美術館フィルムセンターの素晴らしい業績はもちろんのこと、ほかにも注目に値するものがありました。

一つはエルンスト・ルビッチのお世辞にも傑作とは呼べない作品『ファラオの恋』(1921)のドイツにおける共同復元作業です。最高傑作ではないにしても、この作品には特筆すべき群衆シーンが含まれますし、さらに役者の並びも豪華で、エミール・ヤニングス、ハリー・リートケ、そして(信じられないような髪型で登場する)ポール・ヴェゲナーと、ドイツの三大スターが競演しています。このフィルムの再構成作業を担当したミュニッヒのアドラムとアルファオメガが好むのは、いわゆる「ビデオ・ルック」、つまりフラットで過度にクリーンかつ画面がまったく揺れない仕上がりです。DVD化すればおそらく見栄えがよくなるでしょう。

二つ目に気になったのは、染色や調色の復元にデジタル技術を使用するという試みです。従来の写真化学技術に比べてあまり良い結果が出ないと言われますが、この版は私の記憶にあるナイトレートのオリジナル・プリントにかなり近く、高い再現性が確認できました。『巨巌の彼方』に関しては、この映画祭が選んだ版がストレッチング(コマ伸ばし)の技術を使用した版であったこと、さらにヘンニ・ヴリエンテンによる音楽(生演奏ではなくて、録音)と共に上映されたことを記すに留めます。より幅広い観客を意識しているのであれば、この版は妥当な選択であるかと思います(90年代のハリウッドのサントラ盤のようなものです)。この作品の発掘と復元に関してはあらゆる考察が既になされているので、私からこれ以上何かを付け加える必要はないでしょう。

上映プログラム以外にも、この映画祭は若き情熱溢れる研究者のためのコレギウムを用意しています。映画祭のテーマに関して、専門家を集めてのディスカッションが一般の観客にも公開されているのですが、日本映画を扱ったものが二つありました。私はどうにかその一つに潜り込みました。常石史子、デイヴィッド・ボードウェル、デイヴィッド・ロビンソン(そして遅れて加わったらしいアレクサンダー・ジャコビー)が日本の無声映画の紹介をするというもので、パネリストらは「初心者」が日本映画に期待すべき事柄について解説を試みていました。ボードウェルは日本的要素と対立するものとして、衣服やジャズに見受けられる西欧からの影響の強まりについて言及しました。

私が面白いと思ったのは、弁士の組合の力が強かったことが日本の無声映画の歴史を他国より伸ばした一つの要因であるという事実です。これは後のドナルド・リチーの講義でも裏付けられました。リチーによると、日本で最初に成功を収めたトーキー映画はジョセフ・フォン・スタンバーグの『モロッコ』だったそうです。また常石史子は、今回のプログラミングについても解説を加えました。近年新しく復元された作品、有名監督の作品と同時にあまり知られていない監督の作品についても、松竹の110周年を記念する作品や成瀬の生誕百年と同様に取り上げられました。

今年のジョナサン・デニス・メモリアル・レクチャーを担当したのはドナルド・リチーでした。期待通り、リチーは自身のキャリアを手短に語りつつも日本の映画監督に重点を置いて話を進めました。相似と相違を巡るとても感動的な講義であったと思います。1947年、オハイオ州から東京に移り住んだリチーによると、同じ世界でも二つの離れた土地での映画体験はまったく異なるものであったといいます。オハイオではスクリーンの中にいる人々と観客とに似ているところなどなかったのに、日本ではそれほどの違いを感じず、むしろ類似点のほうが顕著だったということです。

英国映画協会(BFI)のブライオニー・ディクソンのプレゼンテーションも、とても興味深いものでした。テーマは「ジョーイ・コレクション」というかなり特異なもので、これは1900年から1919年の間にジェシー・アベ・ジョセフ・ジョーイによって純粋に教育目的から構築されたコレクションのことです。1976年にBFI傘下の国立フィルム&TVアーカイヴ(NFTVA)の手に渡り、今日では1910年代のもっとも密度の濃いコレクションといわれています。ほとんどの作品が既に復元されていますが、残念なことに白黒のみの復元だったようです。多くのフィルムにステンシル・カラー、染色、調色あるいはその混合技術が施されているため、現在、色を復元するためのあらゆる努力がなされています。複数のフィルムアーカイブ(例えばアメリカのジョージ・イーストマン・ハウスやイタリアのチネテカ・デル・フリウリなど)に収蔵されているダヴィデ・トゥルコーニのフィルム・フレーム・コレクションの復元とからめてデジタル化し、CD-Romにまとめる計画のようです。トゥルコーニといえば、ポルデノーネ無声映画祭の元ディレクターですが、彼はもっとも早い時期にジョーイ・コレクションへのアクセスを許された一人で、彼のフレームの多くはここから抜き取られたものです。双方のコレクションを照合することで、コレクションがより克明に解析されるだけでなく、個々の題名の判別にもつながると考えられます。

ジャン・ミトリ賞はアンリ・ブスケとユーリ・ツヴィアンに贈られました。彼らの仕事ぶりを知っていれば、この受賞は当然の結果といえるでしょう。

今年は音楽的にとても充実したポルデノーネ無声映画祭であったので、個人的にはそのことにとても満足しています。すべての演奏を堪能しましたし、それぞれ上映された映画ともぴったり合っていました。総括してみると、この映画祭には1920-30年代のフランスと日本という二つのまったく異なる世界の見方を教わりました。いつものことながら、近い将来、両国の文化や伝統をもっと深く理解したいという思いが私の中に沸きがっています。

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