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映画フィルムの現像職人・今田長一

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映画フィルムの現像職人・今田長一

「Nitrate Won’t Wait」というフィルム・アーキヴィストの合言葉を知ってか知らずか、「フィルムさんは待ってくれないからねえ」とおっしゃる今田長一さん。当会も日頃何かとお世話になっている東京は江古田の現像所・育映社にて、この道50年の現像職人にお話をうかがいました。

復元される前のフィルムを目にする機会でもない限り、上映プリントの完成に至るまでの苦労は容易に理解できるものではありません。現像所に持ちこまれる数々の古いフィルムを瀕死の状態から蘇らせてきた今田さんの仕事への情熱や、フィルムへの愛情の一端を、このインタビューを通してお伝えすることができればと思います。

1.現像職人の修業時代

これまでも今田さんにお話をうかがう機会はあったのですが、今回改めて詳しくお聞きしたいことがあります。まずは、現像の仕事をはじめられた頃のことを教えていただけますでしょうか。

今田長一さん(育映社にて)僕は島根の出身で、東京に出てきたのは昭和28年(1953年)、18歳の頃です。当時、田舎では働きに行くところがなかったんです。あっても米屋さんか床屋さんか、それくらいですかね。今でいう就職というのじゃなくて、小僧に出るわけです。本当は農林学校に行きたいと思って内緒で受験して、合格もしたのだけれど、家庭の事情であきらめました。当時は今のようにバイトしながら学校に行くなんてことはできなかったし、後になって奨学金制度があるとわかったれども、内緒にしていたせいで間に合わず、それで断念しました。16、7歳の頃は米俵を担いで米倉に積んだりだとか、そんな農協の仕事をしていましたね。

今の社長(※宮本和明氏)のおばあちゃんにあたる人(※育映社の創業者・宮本亀之亟夫人)が実は同じ田舎の出だったんです。ちょうどその頃、東京の嫁ぎ先で人が足りないから誰かよこしてくれないかと連絡が入ったのだけれども、最初、僕は長男だからダメだっていわれましてね。弟は父親が戦争から帰ってからの子供だから、まだ幼なかったですし。でも、映画はともかく、以前から”写真”というものには興味があったから、「やってみてえなあ」と思って頼み込んだんです。そしたら「3年だけ行って来い」ってことになりましてね。それで東京に出てきました。だから田舎の家族への仕送りはどうしても必要でした。そうしないと食べていけません。結局3年のつもりがずっといることになっちゃったんですけど。

以前、日大(※日本大学芸術学部映画学科)の講義に忍びこんで現像のことなど勉強されたとお聞きしたのですが、それはこの頃ですか。

いや。それはもう少し後ですね。実は、やっと20歳になった頃だったか、田舎で学校の先生をしていた方の息子さんと江古田で再会したんです。年は二つくらい上の先輩で、なんか似たようなのがいるなあ、ってじろじろみてたら、「あれえ長一さんかい?」って声を掛けられて、それ以来友達みたいになって。東京にいることは知っていたけれど、まさか江古田とはねえ。彼が日大の学生だったから日大に映画の学科があることを初めて教わったんですよ。

当時はうちもだんだん仕事が忙しくなってきた頃でね、早稲田や日大の学生さんたちの中には映画の撮影をしたり研究をしたりしている人たちがたくさんいらっしゃったんです。でも現像するにもヨコシネとか調布の東京現像とか……みんなでかいじゃないですか。学生さんはそんなにお金無いですからね。小さいラボはそこらじゅうにあったけれど、たまたま日大はうちから近いこともあって学生さんが顔を出すようになって、馴染みになりました。後にテレビ局に就職してえらくなっちゃった人で、中には現像をおぼえたい!なんていう人もいて随分仲良くなりましてね。「たまには俺も学校行ってみてえな」って冗談からはじまって、その内「俺と一緒なら大丈夫だから、来いや」なんて誘われて。「来いや」だからねえ。それで、こっそりもぐりこんで黙って静かに講義を聴いてました。先生方は分かっちゃいたのかもしれないけど、何も言われなかったですよ。とにかく覚えたいことだから、先生のおっしゃること全部逃さないようにしようってくらいに一生懸命聴きました。暇をみつけては仕事抜け出すような感じだったから、おやじ(※宮本亀之亟氏)には「野郎どこ行ってんだ。さぼって映画でもみに行ったのか」なんて怒られました。

講義の内容は、仕事にすぐに役に立ちましたか。

もちろん、もちろん。写真とはこういうもんだとか、ガンマ(※感光乳剤の階調の特性をあらわす数値)ってのはこういうもんだとかってことを随分勉強しましたね。第一あの当時は本がなかったんですよ。現像液の処方箋の本もなかった。唯一あったのは化学分析のとても手がつけられないような専門書。それは日大があったからか近所の古本屋に置いてありました。それも買ってはみましたけどね、でも、さっぱりわからない。ただ、まだ白黒の時代です。カラーのことは当時知らなかったですね。あるとこにはあったんでしょうけど、昭和30年代の半ばくらいはまだうちでは扱ってなかったです。カラーの難しさを知ったのは後に手塚治虫さんとの仕事で、テレビのアニメをカラーでも白黒でもきれいにみえるようにしたいっていうのを考えたときです。その時、カラーってのは大変だなってことがわかりました。

よく映画館にも行かれるのですか。

最近ではもうほとんどみなくなっちゃいましたけど、そうね、「江古田文化」ってのがあったから若い頃はよくみてましたね。今はパチンコ屋になってますけどね。あの映画館はいつ頃なくなったんだっけ……映画がダメになったなんていわれたのはいつ頃でしたっけね(※江古田文化は1970年代に廃館になったが、「文化通り」という名称は江古田に今も残る)。僕が技術学校を出たのが昭和31年だから……

学校にも通われたのですか。

夜学ですよ。テレビの技術学校(※現・日本電子専門学校)に2年間通わせてもらいました。あの頃、もうこれからはテレビの時代だなあと思ったんですよ。テレビの本放送がはじまったのが昭和28年だから。

実をいうと上京する前に、東京に来たら夜学に行かせてやるって聞いててさ。それを楽しみにしてたんだよ。学校行きたかったら。ところが3年たっても全然行かせてもらえない。おやじには直接言えないから田舎の親戚に手紙を書いて、怒られたりしたね。でもきっとおばあちゃんがおやじに「なんとかしてやりなよ」と言ってくれたんだろうね。ただ、高等学校の夜間部はとても無理だろうと思って……っていうのは、上京してすぐに早稲田の通信教育をはじめたんだよ。そりゃもう、やる気で上京したからね。でも一番仕事の忙しい頃だから時間がないの。深夜12時くらいまで仕事して、朝は6時に起きなきゃいけないし、ほとんど寝ないで勉強するわけだから、昼間眠くてね。おやじには怒られるし、結局辞めてしまったんです。それでも半年位は続けたかな。辞めてからずっと我慢してたんだけれど、どうしても学校のことは諦めきれなくて、それで技術学校に決めました。

今田さんは、機械の改造なんかはお手のものですものね。

元々好きだったからね。でも、いちおう卒業したけど、もう、ぎりぎりね。池袋に学校があったから、終わって9時半頃江古田に帰ってくると会社では皆まだ仕事してるんだよ。だから僕もまた仕事してさ。そんなことで翌日の予習なんてできないからね。追試を重ねて、酷かったね。テストも全部暗記よ。あと、先生の家に押しかけてってどんな問題が出るか聞き出したりね。先生もあきれてました。

日大の教授にも質問されたりとか?

しないしない。だってばれたら大変じゃない。今は偉くなっちゃったみたいだけど、八木先生(※八木信忠教授。現日本大学総合学術情報センター長で、今田さんが平成8年日本映画テレビ技術協会第28回増谷賞を受賞されたときのプレゼンターでもある)の講義を一番よく聴いてたね。でも直接話しをしたのはそれから随分あとになってからですよ。頼まれて修理とかで日大に出入りするようになってから、「八木先生の顔はとっくに知ってるよ」なんてことになったけどね。今では日大の映画学科は仲間みないなもんです。現像場に行ったり、機材や薬品を貸し借りしたり。先生たちとも顔なじみで、気軽に声を交わすようになりましたね。だから今はもう平気。「ちょっと借物よ」「あ、そう」なんて塩梅で。試験期間でもない限り顔パスだから、昔に較べたらラクなもんです。

2.映画館で学んだこと

もう一度、映画館の話にもどりますけれど、当時どういった映画をご覧になっていたのですか。

若い頃、一番魅了されたのはディズニーの「ファンタジア」ね。あのコマ使い。コマ割りの仕方とかどうなってるんだろうと思ってね。何回みたかなあ、随分みましたね。あの頃は入替制がなかったから1日中映画館にいたね。しずくが落ちてくるところなんか本物以上に自然で、どうやってやるのかなあ、なんて思って何度もみたけれどわからなかった。技術的にはもっとも学ぶべきことが多かった作品ですね。今でもそう思います。日本映画はそれほど強く感じたものはないなあ。全然ないね。

洋画が技術的に先をいっていたからでしょうか。

それもあるけど、あの頃はセットにしても何にしても洋画はスケールが大きかったからね。大画面でみても日本映画は小さくみえるじゃない。物語でいえば印象に残っているのは「麦秋」とかかな。笠智衆が好きだったから小津安二郎の映画はみてましたね。あとは数年前に東映の映画をみて、題名は忘れちゃったけど、技術が随分進んだんだなあなんて思いましたけどね。それくらいかな。

映画館でも映画を仕事の目でみてしまうことはありませんか。

粗ばっかりみえちゃうよね。本当は3回くらいみるといいかなと思います。まあ、最近はそういう見方をしないようにしてますけどね。娯楽は娯楽としてみるべきだと思っているから、詮索はしません。けど若い頃、30から40代くらいのことは粗ばっかりひろっていました。変に勘ぐってみたりね。

ところで、今田さんのお弟子さんというか、今田さんの指導のもとで働いている若いスタッフの方はいらっしゃるのですか。

そんなに多くはいないですけど、映写がちゃんとできる人たちで、こういう現像所の仕事も学んでみたいっていう人が数人います。1日中ぴったりついて歩いてもらって教えることもあります。そうしないとわからないんですよね。

うちの場合は大手みたいに分業じゃないから、色んな仕事を一人でやらないといけない。すべての仕事を短時間でおぼえるには、ぴったりくっついてもらうしかないんです。人様のフィルムを預かっていますから失敗は許されないですよね。ですから昔ながらの考え方で徹底的に教えこもうと思っています。機械に関しては、何か途中で問題が起きたときにどうやってフィルムを助けるか、メンテはどうするのか、ということ。それと一番難しいのは補修ですね。目(※フィルムの脇に一定間隔であけられてる穴のことで、パーフォレーションともいう)の壊れたもの、とくに古いものなんかはやっかいなんじゃないですか。どうやって機械通るようにするかってことが一番問題。その手作業には時間がかかるんでね。ものによって、本当にボロボロのフィルムは1フィートだって(補修に)何時間もかかりますでしょ。それに若い人たちが耐えられるかどうか。僕でも1時間ずっと続けてやっていたら嫌になってくる。そういう意味では他にも色んな仕事があるのは気が紛れていいですね。大手の現像所みたいに、1日中暗いところで現像とか、私はあれは耐えられない。うちは色んな仕事ができるので、いいですね。

3.フィルム復元へ

お仕事の中で「復元」ということが出てきたのはいつ頃からですか。

はじまりとしては昭和天皇の皇太子時代の渡欧をおさめたフィルムの不燃化ですね(※1992年「FC89発掘された映画たち小宮登美次郎コレクション」P121宮本勝博氏による技術レポートに詳しい)。ステップ・プリンターをつかって一枚一枚手動で送ってね。眠くて眠くて大変だったですよ。それ以前にも古いフィルムが入ってくることはないわけではなかったけど、あれが一番印象が強いです。新しいものだけじゃなくて古いものも「なんとかしよう」っていう気持ちは、その当時からありました。あと、ここにもってくればなんとかなるっていうのは、あったみたいね。「ややこしいのは育映社にもっていけばなんとかしてくれる」ってね。

それは今でも変わらず続いていますね。そういった、どうにもならないような古いフィルムを仕上げるのに、なかなか納期までの時間が十分ではないということはありませんか。

どうしてもはやく見たいっていう人が多いんです。それが僕らの一番辛いところだなあと思います。最初は「時間はいいです」っていっても結局は「まだですか?」って催促されたりする。そうすると妥協とまでは言わなくても、とにかく仕上げなきゃいけないから、もっと研究したりテストしたりしたくてもね、続けられないでしょう。でもうちにくるフィルムは、その時点ですでに時間がないことが多いんだから、仕方ないですよね。1日でもはやく、っていうのは。そうしなきゃいけないんだと思います。そうして次に進んでくしかないからね。

あと、特に難しいのはカラーですね。カラーは、その人の好みもあるし映写条件によっても見え方は変わるから、大変ですよ。今でも一番難しい仕事は昔の白黒の染色版ね。あれはオリジナルとまったく同じ色にするなんて無理なんですよ。限りなく近づけることはできてもね。苦労して一生懸命近づけても、みる人によっては全然ダメだという人もいるだろうし。他に、例えば初期のカラーだとバランスが悪かったりするから、それを補正したほうがいいのか、あるいはありのままの色でいいのか、とかね。依頼主との間のコミュニケーション不足だったなと思うこともあります。じっくり研究するような時間があればいいのですけれど。ただ、モノクロだったらうちはいい色出しますから、俄然自信があります。

他の現像所から仕事の依頼を受けることもありますか。

ありますね。それは本当に状態の酷いものばかりだけれど。例えば10巻もののうち、特に状態の酷い部分だけがうちに持ち込まれたりする。全部じゃなくて。それは大した儲けにもならないし、何の手柄にもならないことだけど、でもうちがやらないと、もうどこでもできないってわかっている以上はね。後で依頼元の現像所の人に会ったときに「今田さん、あれどうやってやったの?」なんて聞かれるから「こうですよ」って答えると、「そんなの無理だ。うちではどうやっても(機械に)通らなかったのに」ってね。「そんな簡単にできたら僕困っちゃうよ」って笑ってるんだけどさ。だってそれを通すのがうちの技術なんだから。

フィルムでの復元はビデオに較べたらケタ違いにお金がかかるし、修復なんて、一般の人にとっては普通なかなかできることじゃない。ましてや状態のすごく悪いものだと、依頼主も、そんなにお金がかかるなら復元しない、となってしまうでしょう。せっかく救うことのできるフィルムなのに、それではしのびないじゃないですか。なんとか助けてあげないと。先代の社長も「今回に限りギリギリの予算でやってみようよ」って引き受けたりね。結局「今回に限り」が何度も続いているんだけどさ。

でもこれからは外国に持っていったり、それでデジタル化とかね。フィルムの持っている味はどうなんだろうなあと思ってみてますけど。

デジタル復元に関しては、未だ実験段階のようなものですし、海外のラボの作業でも、今田さんのような方が仕上りをどう見極めていらっしゃるのかは興味のあるところですが……

本当のシャシンの持っている良さを出すのに、デジタルのお世話になるってことは、どうしたって無理なんだね。写真の粒子っていうのは、やっぱり違うから。フィルムを映写しているのに、濃淡に深みがなくて、ビデオみてるのとかわらない。立体感がなくて、画面が完全にぴたっと固定されちゃっているものね。これなら画面がガタガタ揺れてるくらいがまだいいねえ、って思ってしまいます。でもね、どうせそこまでやるなら、キズを消してほしいとは思いますけどね。キズを消すってことはフィルムからフィルムへの複製ではとても難しいですし、それがきれいになるなら、いいですよね。僕はビデオやDVDでキズのないきれいな映像をみて、フィルムはキズのあるままとっておけばいいと思いますね。テレシネのときにキズを消すことだってできるんですから、みるのはビデオでいいんじゃないかと思いますけど。デジタルで復元した後にまたフィルムにおこす必要があるなら、僕だったら茶色がかった黒じゃなくて、青味がかった黒にしますね。そこの部分の技術はまた別の問題ですから、フィルムの仕上がりが悪かったらどうしようもないです。でも善し悪しは復元する人、つまりお金を出す人が決めることだから、僕は何か言えるような立場ではないです。ただ、何年かしたら必ず不満が出てくるんじゃないですかね。写真本来の良さがきっとわかってきますよ。僕はそう思います。今また8ミリの人気が出たり、若い人が8ミリを面白がったり、CMなんかも8ミリで撮ってからビデオにおこしたほうが、どういうわけか立体感が出るとかね、そういうことを言い出してるくらいだから。

逆にビデオの画質しか知らない若い人にはフィルムが新鮮にうつるかもしれませんね。

「オッ」と思うんじゃないの。同じものを撮ってくらべてみればもっとよくわかるんだろうけど、でも人間の記憶力ってすごいですからね。なんとなく、のっぺりして、やだなあっていうか、面白くねえなあ、って気になっちゃう。テレビでも全然違いますね。例えば「水戸黄門」なんかみていると、前はフィルム制作だったのを今はビデオ制作でやってるでしょう。安っぽくて、すぐわかりますよね。何か工夫できないのかなと思うけどね。ただ、どう違うのかちゃんと説明するのは難しいね。

まったく気にしない人もいますよね。むしろビデオ撮りの画のほうがきれいだって言う人も……

いるいる。ていうか、気にしない人の方がむしろ絶対的に多いんじゃないですか。それは当然ですよ。キズも埃もなくて、こりゃいいや、なんてね。

最後に、近頃は復元の仕事には何か取り組まれていますか。また、新しいアイディアはおありですか。

最近はあまり古いフィルムは扱ってないですね。それより8ミリが中心です。まあ、8ミリ人気もいつまで続くのかはわからないですけどね。復元については随分研究していますし、さらに良いものができるよう常に準備はしていますよ。それはもう日常的なことですね。もっと別のやり方があるんじゃないか、何か工夫できるんじゃないかって、いつも考えてます。これまで様々なケースをみてきたから、だんだんわかってきたことも多いし、機械も整備した。次やるならこうしよう、もっと良い結果を出そうと思ってね。まあ、何かアイディアがあっても大手みたいに膨大な資金を投入するわけにはいかないから、悔しいなあと思うこともありますが、これまでの経験の中から、常に最善の方法を尽くすということだけはね、心掛けていますよ。

本日はお忙しいところをありがとうございました。

こんな話でいいなら、またいつでもどうぞ。私にわかることであれば、何でもお答えしますよ。

(2003年10月20日、育映社にて 聞き手:石原香絵)

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