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NFC岡田秀則研究員に聞く「フィルムアーキビストの仕事」

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NFC岡田秀則研究員に聞く「フィルムアーキビストの仕事」

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国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)に加盟している日本の公共フィルムアーカイブは現在のところ、東京の国立近代美術館フィルムセンターのみで(後記:2004年には福岡市総合図書館フィルムアーカイブが加盟)、マニアックな作品が比較的安い料金で鑑賞できる上映機関として、都内近郊には足繁く通いつめている映画ファンも多いことと思います。しかし公共フィルムアーカイブの役割は「上映」や「展示」だけではなく、収集・保存・復元と多岐に渡ります。フィルムセンター研究員のお一人である岡田秀則氏に、フィルムアーキビストという職業について、また映画保存についてお聞きしました。

1. フィルムアーキビストになるまで

今日は「フィルムアーキビスト」という職業について岡田さんにお伺いしたいと思っています。

僕はフィルムセンター(以下FC)に入るとき、「フィルムアーキビストになろう」と思っていたわけでは全然ないんです。

そうなんですか?

そもそもフィルムアーキビストという仕事を知らなかったし、なろうと思ってもなれる場所は日本にはないじゃないですか。もともと僕は、強いていえばまず映画の上映企画をやりたかったので、FCに入って初めてフィルムアーキビストという仕事の重要性に気付きました。日本では今でも映画というのは「観ること」と「評論」に始まって終わるわけで、「物理的にフィルムをどうするか」に気付くのは技術者とかごく一部の人々に限られているでしょう。

FC以外の職場で映画の仕事をしたいとお考えになったことはないですか? 例えば学生時代に……。

岡田秀則研究員あったとすればものを書く仕事でしょうか。でも僕にはそんな才能はないので、せめて企画に少しでも関われるかと思って国際交流基金というところに入ったんです。そこには5年8か月いて、最後の2年近くは日本映画を海外に紹介する仕事をしたのだけど、どこか煮え切らないと感じて、もっと深入りしたいと思うようになりました。それなりに楽しくて意義ある仕事ではあったし、その職場では「映画に詳しい人」といわれたけれど、それでは満足できなくて。

そこまで映画にのめりこむきっかけはいったい何だったのでしょう?

大学に入っていろんな「芸術」にバランスよく触れたいと思っていたけれど、気付いたら映画ばかり観ていたので、だからまあ、体がそういうことになっていたんでしょう。

でも、僕と同世代かそれより少し上の人には凄く多いと思うけど、蓮實重彦さん(映画評論家・元東京大学総長)の批評に大きなショックを受けたことは確かです。大学でも担当教官でした。彼は当時既に有名だったけれど普通の教授という立場だったから、まだ授業で直接やりとりができるような時代でした。学生と蓮實さんとの間に対抗関係のようなものがあって面白かったんですよ。彼の知らない凄い映画について言及すると、ムッとして「その映画はどこで観たのですか!?」なんてこともありました。

卒論はジャン・ルノワールで書かれたとか。

恥ずかしい過去ですが。仏語の学科だったのでフランスのことで書かなければいけないのです。もともとフランス映画は好きだったし、こだわりをもって観ていましたが、中でもジャン・ルノワールはさすがに圧倒的だと思ったからテーマにしました。でも就職するときは、もうこれで映画は趣味なのだと割り切ったつもりだったんです。趣味の範囲でものを書くことがあっても、それを職業にすることは一生ないし、できないだろうと。ところがどういうわけかFCに入って結局書くことになった。

「フィルムアーキビスト」としての自分を意識し始めて何か変化はありましたか?

意識してるのかなあ。まず日本にフィルムアーカイブの思想やその面白さを紹介してきたのは唯一人、岡島さん(FCの主任研究官である岡島尚志さん)なんです。岡島さんが一人で学んで日本の映画業界に一つの思想を植え付けようと文章を書いていらっしゃる。その闘いは、結局どちらから見ても不可欠なのです。「守ればいいと思っている」などという誤解もあるけれど、「守ったから、今映画が観られる」ということが人々の中で具体的な像を結んでいないからでしょう。個人的な視点だけでは済まない問題もたくさんあるわけですから。

2. フィルムアーキビストとは

このサイトを読んでいる方にとってはまずフィルムアーキビストって何? というレベルの疑問があると思うのですが。

まず、映画は「モノ」だということでしょう。いかなる芸術も物質的なものに依存しているわけで、映画もそうであるということに気付いたときに考えが変わってきますよね。誰しも映画が好きだ、というところからスタートするけれど、その後興味が「映画の図書館学」や「映画の保存科学」といったマテリアリスティックなものに向かうこともあるでしょう。ただその為に要求される作業の地道さとか技能というものは今の日本で普通に映画を観ている人からは敬遠されがちで、それは不幸なことだと思います。その面白さを伝えてくれる人も少ないですしね。

ではフィルムアーキビストってどんな人を指すのでしょう?

映画研究者の中でも、例えば精密なフィルモグラフィーをガチガチと作っちゃう人っているじゃないですか。そういう人はやっぱりアーキビストとしての素質があるんだなと思います。僕なんかよりずっと。

職業としてのフィルムアーキビストって日本では成立するのでしょうか?

FCでやっと成立するかどうか、というところでしょう。でも、例えば京都文化博物館 の「伊藤大輔文庫」のような重要なコレクションが出現して、それをカタログ化する必要性に気付いたときに、あるいはフィルム・コレクターのお宅に積んである膨大なフィルムを目にして「これはどうにかしなくては!」と思ったら、その瞬間にその人はもうフィルムアーキビストなんですよ。

フィルムアーキビストとして海外のフィルムアーカイブを訪れてどのような印象を受けられましたか?

まだまだ僕の海外経験は少ないのだけれど、昨年はベルギーとオランダに行きました。その中で思うことは、どの国も楽じゃないけど、辛うじてある程度の分業体制はできているんですよね。FCは1970年のオープン当時はかなり純粋な「上映施設」だったんですよ。それが国民の要求でもあったわけです。しかし上映すればフィルムは傷む、何とかしなくてはいけない、それをやるのは結局FC以外にない。上映も保存もカタログ化もしなくてはいけないと、いろんな要素を後から付け足した結果として、同じ人間が全部の仕事をするようになってしまったということです。だから現在僕は、映画祭屋さんであり、研究者であり、フィルムアーキビストであり、結局どれも中途半端にならざるを得ない・・・。そういう意味での難しさというのは確かにあって、どんなにゴチャゴチャした状況でも楽しめる人間でないとやっていけないだろうと思います。

ではFCに足りない人材となると……。

すべてということになります。企画は企画担当者、カタロギングはカタロガー、復元のことは専門の技術者といったように、職能の分離と専門化を進めることでしょうね。それは日本では近い話ではないけれど、当然行うべきことだと思います。

一般の人に映画保存の重要性を広く知ってもらう何か良いアイディアはありますでしょうか?

そういえばベルギー王立シネマテーク(Cinematheque Royale de Belgique)も国に予算を削られようとしていて(詳しくはFCニューズレター37号 2001年6-7月号 「特集:60年代の日本映画 (1) /連載:フィルム・アーカイヴの諸問題 第36回特別レポート ベルギー王立シネマテークの現在」参照)、ロッセリーニの『イタリア旅行』の劣化プリントを館長自らがビリビリ剥ぐなんていうパフォーマンスもありました。演出家としてのフィルムアーキビストですね。それはともかくとしても、オーストラリアのような何らかのアピールやキャンペーン(詳しくは FCニューズレター別冊「フィルム・アーカイヴの仕事:再定義」より「アーカイヴの成長と達成:オーストラリアの転機」参照)は必要だと思います。ただ FCにそれだけの体力がないことは現段階では認めざるを得ない。でも遠くない将来に、日本映画の保存に関する危機を訴えるのが筋なんでしょうね。そういうことに専念できるスタッフを抱えられればいいですね。

海外で出会ったフィルムアーキビストで印象に残っている人はいらっしゃいますか?

僕はあまり知ってる人は多くないんです。でもアルフォンソ・デラーモ(Alfonso del Amo Garcia)さん、あの人は強烈でした。スペインのフィルモテカ・エスパニョーラ(Filmoteca Espanola)のフィルムアーキビストで、フランコ時代には投獄もされたような活動家なんだけれど、その後90年代に入ってスペイン内乱に関する全映画カタログという本を出したんです。1000ページくらいの本。これをマドリッドの映画本専門店で目にしたときは失神しそうになりました。映画そのものへの愛も当然あるんだろうけど、それ以上に歴史との対決を目論んでいるというか、そこまで至っているのか、と思いましたね。なぜ彼と知り合うことができたかというと、マドリッドの FIAF総会でデラーモさんが世界の生フィルム製造に関するワークショップを主宰して(詳しくはFCニューズレター26号 1999年7-8月号「特集:栄光の’50年代(2) /連載:フィルム・アーカイヴの諸問題 第26回 FIAFマドリード会議報告 ワークショップ “生フィルム製造の歴史” を中心に」)、それに右も左も分からない僕が日本から参加したんです。あのときはイタリアからヨーロッパでも一流のフィルムアーキビスト、ジャン=ルカ・ファリネリがフェラニア社の歴史を発表する一方、フランスからは僕と同世代のエリック・ロネがフランスの初期のフィルム製造について発表したり、面白い集まりでした。全体の世話役であったデラーモさんは痩せこけた地味な人物なんだけれど、目がふつふつと光っている人でね。フィルムアーカイブの仕事が歴史との対決に繋がるということを、彼は教えてくれたと思います。

FIAF総会といえば今年(2002年)はソウルで、さらに2004年はハノイで開催されますが、日本のフィルムアーカイブとしては何か考えていらっしゃるのでしょうか?

私の立場で言えることはあまりないのですが、もちろん日本も協力することになるでしょう。一旦開催が決まってからの韓国のエネルギーの注ぎ方、組織力、国家的バックアップというのは凄いですね。

初のアジアでの開催というのは、国内でフィルムアーカイブの重要性を訴える良いチャンスですよね。

最近では韓国、中国、台湾、香港、そして日本で東アジアのグルーピングをはじめようとしていますよ。

それはレイ・エドモンドソンさん(Ray Edmondson, ScreenSound Australia , the National Screen and Sound Archive, Canberra)のSEAPAVAA (South East Asia-Pacific Audio Visual Archive Association)とは……。

SEAPAVAAは東南アジアとオセアニアのグループだからちょっと違います。オーストラリアとしてはむしろ国家レベルでの東南アジアとの友好というのも根っこにありますから。

以前、もし日本からFIAFにもう一つくらい加盟するフィルムアーカイブが出たら面白いとおっしゃっていましたが。

まず、上映することの雰囲気や意味が変わってくると思うんですよ。市民の為である日々の上映が実は国際的な運動と繋がっていると気付くこと、そして映像遺産を守るという意識が生まれることはやっぱり刺激的ですよ。それに加盟資格を満たさなければ除名されるわけですから、 FIAFのメンバーであり続ける為に何かをしなくちゃいけないというのは一つのプレッシャーでもあるし、加盟フィルムアーカイブが複数あれば良い競争関係ができると思います。ローマ、ボローニャ、フリウリ、トリノ、ミラノと多数のフィルムアーカイブが加盟しているイタリアの例を観ると、なるほどなあという気がします。思うに、すべてをFCにまかせるという発想自体が時代遅れなんじゃないでしょうか。どこも予算的には厳しいと思うけれども、資料にしても何にしても、とにかく国に収めれば良いのだという傾向は必ずしも望ましいものではないし、信頼できる場所が他にもあるならそれで良いではないですか。コレクションを持つことがそれぞれの場所の誇りになるでしょうし、今の曖昧な中央集権を考え直すことがむしろ重要なんだと思います。

3.FCでの仕事

FCという場で働くことによって他ではできないようなことが可能になる一方で、逆にできないことというか、制約のようなものはありますか?

今やっていることは意義のあることだと思いますが、日本ではフィルムアーキビストの仕事が分化していない。フィルムを集めるには各映画会社との関係作りは不可欠だし、一方で厳密なフィルムアーキビストの態度も必要であるし、異なる顔を三つも四つも持たなければならない。それは不幸なことでもありますよ。

うまく言えないのですが、プロとしての仕事上の選択に(例えばプログラムを組むときなど)自分の趣味を持ち込まないよう気を配ることはありますか?

それはないです。趣味は出します。自分が上映すべきと思う映画をキュレーターとしての存在を賭けて支持するわけで、それは悪いことではないと思います。

FCは独立行政法人になったそうですが具体的に変わったことがあれば教えてください。

国の予算から切り離されたので、支出と収入がリンクするようになりました。以前だったら入場料金は国庫に入って、予算は予算で別にもらっていた。でも今後は受益者負担という発想が出てくるべきだと思うんです。つまり利用者の方から何かのお金を受け取るなら、「かくかくしかじかの映画保存事業にこのお金を使います」というように、意味を付ける必要があります。

もし復元を目的とした資金が得られるとしたら、どのようなプロジェクトを立ち上げるおつもりですか?

お金の出所はさっぱり思いつかないですが、僕は日本の文化映画やドキュメンタリーの総合的な復元をやりたいですね。ネガがないものまるごとネガを作るとか、ウエット(注 ウエットゲート・プリンティング・プロセス:傷となっているフィルム上の「窪み」をフィルムと同じ屈折率の液剤によって埋め、新しいプリント上では傷を見えなくするという技術)を使ったり、16mmからのブローアップとかもやりたいですね。

あとどんな作品でもいいですが、海外の復元専門現像所に依頼して、サイレント映画の本格的な復元プリントを作ってみたいですね。

全てを復元するのは無理となるとプライオリティーの問題もあると思うのですが……。

例えば、戦後の産業映画・教育映画といったものですね。ドキュメンタリー界の人たちとも話をして復元すべきものを選んでゆきたいです。スポンサーとなっている企業とも話を進めてゆく必要があるでしょう。あるいは古いものから片っ端にという手もありなんじゃないでしょうか。となると本当に古いものはFCにしかないので、予算を取って自家複製ということになりますが。絶対面白いと思います。

ニュース映画も含まれるんですよね。

もちろん。ニュース映画の世界は面白いのですが、ひどいもので、戦後のフィルムでもかなり失われているのですよ。ある会社からは「うちのニュースリールがいかに酢っぱいか」(注 ビネガー・シンドローム:フィルム劣化が進行し酢酸臭が出ること)なんて話を聞かされていますし。

フィルムアーキビストというお立場になってから今までで、最も印象に残っているお仕事についてお聞かせください。

横須賀で満鉄の『秘境熱河』の一部を見つけたとか、フィルム発見の話も当然印象深いのですが、FCへの外部の方のアクセスの話もあります。NHKのドキュメンタリー『日本映像の20世紀』への協力は印象に残っています。これは全国47都道府県の歴史を貴重な映像でつづって各45分番組にしたものなんですが、かなりFCの映像を使っているんです。ある時期はほとんどつきっきりでフィルムの検索につきあったりしました。あれはとても貴重な経験でしたね。フィルムが残っているからこそできる番組だということをそのときに強く感じて・・・。だから、収集・保存する意義とは別にアクセス者に対してこんなことができるのか、という面白さを初めて知りました。

それから、FCには現像所はないのでIMAGICAさんとか育映社さんとか、外部の業者さんと現像や復元の仕事をするわけで、そういう現像所の方とのコミュニケーションも勉強になりますね。

あと、FCの活動を新たな形で理解していただいたという意味で印象深い仕事は、日本のドキュメンタリーの上映企画「フィルムは記録する」です。途中の98年から参加して2001年にもやったんですが(詳しくはFCニューズレター35号 2001年1-2-3月号「特集1:フィルムは記録する2001」) 、普通の映画ファンだけでなく、記録映画会社の人や日本のドキュメンタリーを支えてきた多くのスタッフに観に来ていただいて、それがきっかけで業界とFC との信頼関係が徐々に生まれてきたように感じています。

これまで各会社の原版は現像所が無料で預かっていたのですが、最近は有料化せざるを得なくなっています。ニュープリントを焼くこともなかなかないのに、捨てるわけにはゆかないし、民間の倉庫に預けるのもお金がかかる。著作権者であればフィルムの一時出し入れもできる、ということなら、いっそFCに寄贈したらどうかという新しい動きが出てきたんです。これは理性的というか、FCを積極的に活用する一つの手段だと僕は思います。モノをあげちゃうわけだから、かなりの不安も伴うのは分かるけれど、お互いの利害を一致させてフィルムの散逸を防ぐという意味では、ワンステップ踏み込んだという感じがします。

業界と国の関係って、その国ごとに事情はまったく違っているんです。ヨーロッパのいくつかの国では国家がどんどん援助して映画を作り、フィルムの保存もそのシステムに組み込まれたりする。ところが、日本の戦後映画は徹底的な自由市場で、国の出る幕はなかったわけです。それが、こんなに建設的に話し合えるようになったかと思うと、この仕事は印象深いものの一つですね。

まだまだ興味深いお話が出てきそうですが、今日はこの辺で終わりたいと思います。貴重なお話を沢山ありがとうございました。

インタビューを終えて

米国の事例を見ると、例えばGEH映画部門ではシニア・キュレーター、アシスタント・キュレーター、フィルム・テクニシャン、プリザベーション・オフィサー、ボルト・マネージャー、カタロガー、プログラマー、シッパー、映写技師、シアター・マネージャー等の総称として「フィルムアーキビスト」という言葉が使われています。しかしFCでは映写技師こそ独立した肩書きを持つものの、残りのスタッフはほぼ「キュレーター=アーキビスト」。岡田さんのお話にもあるように、純粋にキュレーター的な仕事のみに没頭できないのが現状のようです。GEHが「収集と保存」を中心に据えたフィルムアーカイブであるのに対してFCは「上映」主体ということもできるかもしれません。映画研究及び現像所の技術は非常に高い日本ではありますが、両者のリエゾンとなるべきポジションが確立されるのはまだまだ先のことになりそうです。しかし資金・人員不足にもかかわらずFC研究員の方々は一人何役もの大役をこなして日々ご尽力なさっていることが今回はよく理解することができました。

最後に、超多忙スケジュールの中、インタビューを快く引き受けてくださった岡田さんに感謝いたします。また、こちらの不手際であれこれお手を煩わせましたことをお許しください。

(2002年1月16日午後9時より 銀座コージーコーナーにて 聞き手:石原香絵、岡村あゆの)

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