2014年8月2日から東京で上映されたカンボジア映画『おばあちゃんが伝えたかったこと~カンボジア・トゥノル・ロ村の物語 We Want(U)to Know』のトークイベント(主催: コミュニティシネマセンター/国際交流基金アジアセンター/ユーロスペース)に、小会会員のフィルム技術者・鈴木伸和が参加しました。鈴木は2014年9月現在、研修生としてプノンペンのボパナ視聴覚リソースセンターで働いています。以下はトークの採録です。
『おばあちゃんが伝えたかったこと~カンボジア・トゥノル・ロ村の物語』のあらすじ:
カンボジアでは、1975~79年のクメール・ルージュの支配下で200万人もの人が亡くなったと言われる。2008年、プノンペンで旧ポル・ポト政権の虐殺を裁く特別法廷が開かれるなか、監督らは”キリング・フィールド”近くのトゥノル・ロ村へカメラや機材を持ち込み、ポル・ポト時代を生き延びた人々の記憶を掘り起し、若い世代に伝えていくため、ワークショップを行う。村人たちは、監督たちの思いを越えて、辛い記憶を再現する映画をつくりはじめる。(「ユーロスペース」HPより)
こんにちは。鈴木伸和です。よろしくお願い致します。
今日は、カンボジアの視聴覚資料保存について話をさせていただきます。
最初に自己紹介をさせてください。私はこれまで約10年間、視聴覚資料の保存に関わる仕事をしてきました。その仕事の関係で2014年9月から1年間、文化庁による派遣でプノンペンにあるボパナ視聴覚リソースセンター(Bophana Audiovisual Resource Center)、通称ボパナセンターで研修する予定です。
研修内容は、主に2点あります。
一つは視聴覚資料、特にカンボジア国内に残存している映画フィルムの収集、検査、保全活動を行い、映画フィルムを取り扱えるカリキュラムを作成し、人材を養成します。もう一つはボパナセンターの運営に携わり、途上国で視聴覚アーカイブを維持・発展させるノウハウを学びます。この2点が私の研修内容ですが、まだ研修が始まっていませんので、今日は私が今までに調査した情報だけで話をさせていただきます。また、最初にお断りしなければならないのですが、私は視聴覚資料の保存が専門であって、カンボジアの地域や文化を専門としている訳ではありません。間違いなどがあるかもしれませんが、その際はご指摘をいただけると助かります。よろしくお願い致します。
今日話す内容は、2点あります。
一つはカンボジアの映画史について。もう一つはカンボジアにある視聴覚資料がどのように保存されているのか、その現状についてです。
今日上映する『おばあちゃんが伝えたかったこと~カンボジア・トゥノル・ロ村の物語』と視聴覚資料保存との関わりについてですが、実際のところ、それほど深い接点はありません。今日上映する映画は、カンボジアの農村で行われたクメール・ルージュについて考えるワークショップを記録した、参加型のドキュメンタリー映画です。敢えて接点を挙げると、この台詞になります。
“私たちに必要なのは当時の記録だ
みんなで作った映画が博物館に保管されたらいいと思うね”
この台詞は、映画の後半に、あるカンボジア人が言った言葉で、ワークショップに参加した人が自分たちで撮影したビデオ素材を保存して欲しいという願望が表れています。私が驚いたのは、こんな言い方は失礼かもしれませんが、カンボジアの農村の人が「映画保存」について言及した、ということです。日本の映画関係者でも映画保存について言及する人は少数ですので、カンボジアでこのような意識を持った人がいるということに感動しました。今日は、その人のためにもカンボジアの視聴覚資料について話したいと思います。
カンボジアの映画史について、知っておかなければならないことは、カンボジア映画史は文献自体が非常に少ないということです。さらに、インターネットの情報や刊行されていている本でも、それぞれ細かい差異や曖昧な表現が多く、私自身、何をどこまで信用していいのか、難しく感じています。今日は、以下の3点の文献を中心に引用して話をします。
『Cultures of Independence』
『Film Production in Cambodia』
『Film in South East Asia』
映画フィルムを使用してカンボジア国内を最初に撮影したのは1899年です。今から105年前、フランスのリュミエール社が撮影しました。その複製したデジタルデータはボパナセンターで閲覧可能です。当時のノロドム王のダンスやアンコールワットなどが撮影されたことが分かっています。その10年後、1909年にカンボジアで初めて映画が上映されました。それから1940年代までは、主にフランスとアメリカの映画が映画館で上映されていました。1940年代にはシハヌーク前国王が映画フィルムを使用して実験的に短編映画を撮影し始めました。そのため、彼がカンボジアで最初の映画監督と言う人もいます。1950年代からはインドや中国、タイ映画等が上映され始めます。
カンボジア初の国産商業映画は1958年に製作された『Blossoming Flower, Withering Flower』という題名のSom Sam Al監督の作品です。この作品は白黒映画でサウンドがない無声映画だったため、上映の際には男女のナレーターがライブで登場人物の台詞を喋っていました。音楽は生演奏ではなく、監督がレコードショップにいっていろいろな音楽をつなぎ合わせて上映していたようです。この上映形態は非常に興味深いので、いつか復元できたらと思っています。
1960年代から70年代前半までの十数年の間に、劇映画だけで約400作品の映画が製作されたと言われています。作品リストが無いので正確な本数は分かりませんが、この時代がカンボジア映画史の黄金期と言われています。
黄金期はクメール・ルージュによって終わります。クメール・ルージュが過去の映画フィルムのほとんどを燃やしたと言う人もいますが、実際に映画フィルムを燃やしたのを目撃したという情報がありませんので、断定することは出来ないように私は思います。現在、黄金期の劇映画で現存しているのは約40作品と言われています。しかし、それらがどこにどのような状態で、何が何本保存されているのか、正確な情報が無いのが実状です。亡命以外でクメール・ルージュの時代を生き延びた映画人は75名の内6名と言われています。
民主カンプチアの時代が終わった1979年、プノンペンでは映画館が比較的すぐに再開されました。しかし、ポル・ポト政権後のカンプチア人民共和国の時代では、上映される映画は社会主義国のベトナム、キューバ、旧ソ連、チェコスロバキア等のプロパガンダ映画ばかりでした。クメール・ルージュの時代が終わったにもかかわらず、またしてもプロパガンダ映画ばかりが上映されることに市民は辟易していたと言います。民主カンプチアの後に初めて国産映画が撮影されたのは1987年で、イヴォン・ハエムの『Shadow of Darkness』という映画です。イヴォン・ハエム以外のその頃の映画監督たちは、既にビデオテープで映画を作り始めていました。この時代が黄金時代の第二期です。
1985年にカンボジアの国営放送(TVK)がテレビ放送を再開し、1993年にカンボジア王国となって市場経済へ移行したことで、VCDやVHSが急速に普及し始めました。その影響で国産映画が作られなくなり、1996年には国内の映画館がすべて閉館します。2003年にタイ人女優の発言が国際問題となり、タイの作品が放送禁止になると、国産のドラマや映画が必要となりました。その頃の経済発展も手伝って2006年頃までホラー映画が国内で多く製作されます。黄金時代の第三期です。
2011年にはカンボジアで初めてシネマコンプレックスが開業しました。世界的な傾向ですが、小さな映画館が閉館し始め、現在、プノンペンでは1館(1スクリーン)しか残っていません。シネマコンプレックスは現在3館(13スクリーン)あります。
2014年は様々な映画のイベントがあり、その中でも興味深いのが先月行われたクメール・マラソンという名の上映会です。カンボジア映画の黄金期である、第一期の60年代、第二期の80年年代後半から90年代初頭、第三期の2000年代中頃、それぞれの黄金期の映画が一つにまとめられた、非常に優れた上映プログラムになっています。このプログラム、日本でどうでしょうか?といった所で、カンボジア映画史の話は終わります。
次に、カンボジアにおける視聴覚資料保存の現状を紹介します。
ナショナル・アーカイブズ・オブ・カンボジア(通称NAC)。ここには多くの写真プリントが保管されています。ウェブサイトではフィルムアーカイブというセクションがありますが、ここで保管されているのはマイクロフィルムのみで、映画フィルムは保管されていません。VHSやDVD等の視聴覚資料は温湿度管理されて保管しています。
カンボジアン・ビンテージ・ミュージック・アーカイブは、1950年代から70年代のレコード(LP、EP)をデジタル化してFacebookで音源を公開しています。公開することは著作権に抵触しているものもあるように思いますが、もしカンボジアの著作権に詳しい方がいらっしゃいましたら後で教えてください。
私の研修の受入先であるボパナセンター。2006年に設立された施設で、ほぼフランス資本の非営利団体です。映画監督のリティ・パニュと、カンボジア最初期の映画監督であるロー・パナカーが共同設立者です。この施設の目的はカンボジアにある、またはカンボジアに関する視聴覚資料を収集、デジタル化し、カンボジア市民に無償で公開することです。
ボパナセンターの設立に合わせて、2006年から4年間、フランスの支援によって欧米に残存しているカンボジアに関する視聴覚資料を収集するというロストフィルムサーチプロジェクトが行われました。ボパナセンターで所蔵しているデータの多くはこの時に集められたものです。この点については、欧米の視点によって描かれた資料をカンボジアに押し付けているのではないかと言う人もいます。プロジェクトが終わった現在では、個人からの視聴覚資料を中心に受け入れています。受け入れた資料は、デジタル化した後にオリジナルは所有者に返却しています。しかし映画フィルムは取り扱える人がいないために、内容調査もされないまま放置されている状態です。そういったことがありまして、私のようなフィルム技術者に是非来て欲しいという要請がありました。
音声資料では、「カンボジアに現存する最古のオーラルヒストリー資料」として1960年に録音されたリアムケーのレコードがあります。このレコードは、2012年、ユネスコの協力によってボパナセンターでデジタル化されました。
最後に映画フィルムを保存している施設を紹介します。
管轄しているのは、カンボジア文化芸術省の一部門であるCinema and Cultural Diffusion Department、通称シネマデパートメントです。シネマデパートメントの仕事はいくつかありますが、基本的には映画やビデオ産業を統括し、映画の検閲や、海外プロダクションのロケーションの協力をしています。2007年時点で職員は52名いるそうですが、映画フィルムの保存担当は一人もいません。元映画撮影スタジオは、現在ほぼ廃墟ビルになっています。この中でカンボジアの文化財でもある映画フィルムが保管されています。カンボジア映画と思われるものを保管している部屋は廃墟ビルの1階にあります。正確に数えていませんが、この部屋だけで1000缶以上はあると思います。
2006年から3年間、フランスの国立視聴覚研究所(通称INA)にフィルムを送ってフィルムへの複製とデジタル化が行われました。その時はこのカンボジア映画の部屋から230缶(169タイトル)のみ複製したそうです。それ以外のフィルムは劣化が進行しているのが現状です。ここに保管されているフィルムの多くはカタロギングがされていませんので、私が来月から調査をする予定です。デジタル化まで出来るかどうか現時点では未定です。中央にいるおじいさんがこの保管庫のガードマンです。一人でこの廃墟ビルに常駐しているそうです。
この画像は廃墟ビルの2階になります。リティ・パニュの映画『消えた画 クメール・ルージュの真実』(2013)にも登場する部屋で、彼がこの中のフィルムを触っているシーンで登場します。実際、このごちゃごちゃのフィルムは、旧ソ連の映画フィルムだそうです。なぜこのような状態になったのか、不明です。映画史からみると1980年代に上映されたフィルムなのではないかと推測されます。
私の研修では、このごちゃごちゃのフィルムを整理する作業も行う予定です。是非みなさん、ご協力よろしくお願い致します。コンタクトはこちらです。suzuki(a)filmpres.org
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