『黒手組助六[マーヴェルグラフ版]』の復元

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『黒手組助六[マーヴェルグラフ版]』の復元

 2009年1月朝、『黒手組助六[マーヴェルグラフ版]』(以下『黒手組助六』)の試写が、都内の映画館で行われました。復元に携わった人々が一堂に会し、主演の林長二郎/長谷川一夫の生誕百年からひと月遅れで、80年昔の若き日の大スターの魅力を、復元されたフィルムで堪能したのでした。映画保存のイロハもまともに知らなかった自分にとって、『黒手組助六』の復元プロジェクトは、失敗と学習の連続でした。ようやく試写にたどり着くまでに、一体何人の人に出会い、助けられ、お世話になったか、どんなに感謝してもしきれません。この報告で、少しでも感謝を伝えられればと思います。

1. 始まり

 この復元のもとになった16mmのフィルムと出会ったのは2007年の春でした。当時の筆者の仕事の関係で知ったある個人のお宅に、ホームムービーの16ミリフィルムと一緒に『黒手組助六』のフィルムがあることを知り、このフィルムの持ち主の方を訪ね、お話を聞きにいったことが始まりでした。

 お話を伺うと、持ち主の女性のお父様が、その昔趣味で16mmカメラや映写機を持っており、家族を撮影したり、近所の子供たちを集めて上映会をしたりしていたそうです。『黒手組助六』もそのうちの一本で、このほかにチャップリンやニュース映画のフィルムなども一緒に保管してありました。運良く戦火を逃れたそれらのフィルムは、持ち主の女性がお嫁に行くときに嫁入り道具と一緒に預かったそうで、16mmのホームムービーの思い出と共に大切に保管してありました。《映画の里親》プロジェクトで復元したいという主旨もよく理解してくださり、快くフィルムを貸して下さいました。「おまえ生き返るんだって、よかったね」と言いながらフィルムと私とを送り出してくださり、その後も長くかかってしまったプロジェクトの間も度々電話で励まし続けてくださいました。

 さっそく小会に持ち帰り、元育映社の現像職人である今田長一さんの助言をいただきながら、フィルムのインスペクションをしました。

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【黒手組助六の16mmフィルム】

 フィルムのインスペクションの結果、以下のことがわかりました。

『黒手組助六[マーヴェルグラフ版]』
(16mmプリント(アグファ)・アセテート・白黒・396フィート)
監督/古野英治・16ミリ編輯/内藤友弥
黒手組助六/林長二郎・傳次/高田浩吉・紀伊国屋文左ェ門/中根龍太郎・揚巻太夫/若水絹子
トップタイトルが欠けているが、エンドに「黒手組助六」というタイトルあり
スタッフ・配役クレジットあり
エンドタイトル後のロゴマークより、[マーヴェルグラフ]版である
フィルムはアグファ、スプライシング箇所は複数あるが、状態は良好

 配役・タイトル情報がフィルムにあったため、作品はすぐに特定できました。当時のキネマ旬報によるこの作品の劇場公開時のデータは次の通り。

『黒手組助六』(松竹下加茂作品) 
原作・脚色 前田弧泉/監督 冬島泰三・古野英治/撮影 杉山公平/
出演者 林長二郎、高田浩吉、坪井哲、中根龍太郎、若水絹子/
公開 昭和4年1月5日 浅草観音劇場 無声5巻966メートル

966メートルという記述から、35mmの3169フィートが16fpsで映写されていたと考えて、元は一時間弱の上映作品だと推測できます。このフィルムは16mmにして約396フィートですから、約16分の再編集された短縮バージョンということがわかりました。

 フィルムの状態は良好だったので、復元前の素材として使用するため、ヨコシネD.I.Aにテレシネを依頼しました。復元後と比較するために、クリーニングなどは行わずにそのままの状態でテレシネをしました。戻ってきたテレシネ素材を使って、映画の里親プロジェクトの説明と助六の復元を呼びかけるPR映像を作成しました。併せて里親募集を呼びかけるポストカードを作り、映画館などに置かせてもらう他、無声映画関係の上映会やイベントで配布していただくようにしました。

 その頃、第四回《映画の里親》プロジェクトの復元作品『霧隠才蔵』のフィルム試写が、都内映画館で開かれることになり、この機会に『黒手組助六』の復元前のテレシネDVDを上映してもらい、集まった方々に助言をいただくことにしました。映画研究者の方の「長谷川一夫の見事なアップと立ち回りが素晴らしい」という言葉をいただき、滑り出しは順調、このときにいらしていた記者の方の新聞取材でも大きく取り上げていただきました。

2. 里親探し

 しかし、里親は簡単には見つかりませんでした。それでも何人かの方が、全額は負担できないけれど、カンパ制のように共同でお金を出し合うのであれば、里親になりたいと言ってくださいました。何名かで復元する…… というのもひとつの復元になるかとは思いましたが、復元できるだけの人数はとても集まりそうにはありませんでした。

 イベントのたびにPRの上映をしてもらうこと、ポストカードを配ることを続ける日々が続きました。里親は見つかりませんでしたが、この長いPR期間を通して、《映画の里親》プロジェクトを多くの人に知ってもらえたことは収穫だったと思います。SEAPAVVA(東南アジア太平洋地域視聴覚アーカイブ連合)の会議に参加した会員を通じて、海外の方が里親に興味をもってくださることもありましたが、結局英語交渉をすることができず、積極的に応えることができませんでした。

 希望が見えてきたのは、2008年の夏でした。毎年関西で開かれる「第三回映画の保存と復元に関するワークショップ」に参加したときのことです。京都文化博物館の森脇清隆さんが、『黒手組助六』の復元にも興味をもってくださり、長谷川一夫のご令嬢である、女優の長谷川稀世さんに『黒手組助六』の復元を呼びかけていることを伝えてくださったのです。長谷川稀世さんに参考に見ていただくため、DVDをお貸ししてしばらくして、《映画の里親》に興味があるというお返事をいただきました。

 そして2008年12月、浅草で初めて長谷川稀世さんとお会いしました。長谷川稀世さんは、俳優としての厳しい批評眼をもっている方で、『黒手組助六』の“林長二郎”を、父として以上に、ご自身と同じ俳優として映画をご覧になったうえで、復元して残したいと思ったとお話してくださいました。その後、長谷川稀世さんとご一緒に、長谷川一夫さんのファンクラブであるぽいんとグループの集いの会にお伺いしました。何十年もファンを続けてこられていたメンバーの方は、関係資料を収集、公開する部屋を浅草マルベル堂の上にもっており、その緻密な知識で、『黒手組助六』当時の林長二郎氏の写真や資料を見せてくださいました。

 年末の肌寒い浅草で、最高の里親さんに出会えた感動と緊張とこれで復元ができると安堵で、早速フィルムの持ち主の方に電話をかけました。

3. 現像所での復元作業

 いよいよ、復元作業が始まります。16mmのブローアップ、ウェット処理での焼付けを行う現像所として、選択肢はヨコシネD.I.AとIMAGICAウェストの二つありました。今回は里親の長谷川さんと相談し、IMAGICAウェストさんで作業をお願いすることにしました。現像所に依頼した作業は、16mmから35mmへのブローアップ(ウェット処理)、FPSロゴ、里親さんのお名前、欠けているトップタイトルの三枚のタイトルをつけてもらうこと、復元フィルムのテレシネです。冒頭につける三枚のタイトルは、第三回目の『学生三代記』復元の際につくった、タイトルデータを基に今回のタイトルを自分で作成し、そのデータから現像所で撮影し、タイトルネガをつくってもらいました。

 今回原版となるフィルムに数コマしか残っていなかった、監督クレジットのタイトルは、一番きれいなコマをもとに、フローズンタイトルで尺を伸ばしてもらいました。ループさせるにはコマ数も足りなかったこともありますが、ポルデノーネ無声映画祭や復元映画祭などで見る、同じようにタイトルが一部しか残存しないケースや9.5mmのノッジつきのタイトル部などの復元が、ほとんどがフローズンタイトルで上映されており、あまり気にならなかったこともあったと思います。

 年明けには仕上がることになりましたが、ひとつ問題がありました。ただしこの時点では東京では適正映写スピードでの試写ができなかったので、大阪まで行く必要がありました。いたしかたないことですが、こうした小さなことが、我々のような非営利の活動団体にとっては大変なことでもあります。

 試写は、IMAGICAウェストの試写室で行われました。映画の復元にとって、現像所の方との信頼関係と連携は、映画制作におけるそれと同じくらい要だと思います。復元作業に責任をもつことが初めてな上、知識や経験も頼りない自分ひとりで行った中で、ウェストで作業を担当された方々が、ワークショップの実習などでお世話になった顔の知った方々だったことは救いでした。

 試写の結果、作成したタイトル・フローズンタイトル部分と本編のタイトル部分に行く際の黒の切り替えが目立つ部分は、タイミング作業で和らげてもらうことにしました。また、シーンの移り変わりの街のシーンも、少し明るくしてもらうことにしました。逆にこのシーンの間にある、助六と揚巻のシーンでの顔の明るさは難しく、顔が白く飛び過ぎない程度にバランスをとってもらうことにしました。ウェット焼きをしたことで、もやもやした汚れや、細かいキズは目立たなくなりました。最後のシーンの近くに現れる白い、だっせん跡のようなキズは、デジタル処理以外では消すことはできないものでした。フィルムを見ると、どうやらこの16mm自体のものでなく、そこに至るまでのフィルムについていたものらしいことがわかります。こうしたところからも、フィルムひとつからわかる情報がいかに大きいということが実感できます。というわけで、ここのフィルムの経歴はそのまま残されることになりました。そう何度も試写に伺える距離ではなかったので、次の試写は、実質的に関係者すべてを集めてのお披露目試写です。技術者の皆さまに託し、仕上がりを期待しながら、東京にもどりました。

4. 試写

 戻ってからは、東京でのお披露目試写のため、せわしなくその準備が始まります。今回も第4回目の試写と同じく、御子柴和郎さんのご厚意によって、都内の映画館で16fpsの映写スピードでの試写が叶いました。完成に不可欠の試写が、こうして実現できることに感謝をしつつ、この問題はいつか解決できるといいと心から思います。

 試写へは、思いつく限りの関係者、お世話になった方に声をかけました。このときほど忙しい時はありませんでしたが、復元の完成を伝えられるという喜びで、これ以上嬉しいことはありませんでした。

 試写には、復元の元になったフィルムの持ち主の女性とそのご兄弟、復元の資金提供者でありこの映画の里親である長谷川稀世さん、技術者としては最初から最後まで助言をくださって見守ってくださった今田長一さん、実際の復元作業に関わったIMAGICAウェストの柴田幹太さん、映画保存協会の会員、映画研究者、マスコミの方、すべては書ききれませんが、この15分の映画の復元に関わった人々があつまりました。試写の前に、それぞれの立場から短くお話をいただきました。フィルムの持ち主の方は、このフィルムを近所の子達と楽しみに見ていた子供時代、この映画をみてチャンバラごっこをしたことなどの思い出を生き生きと語ってくださりました。長谷川稀世さんはお父様の思い出と、この当時の俳優・製作者への賛辞を、柴田幹太さんには実際のフィルムの復元作業について、冬樹薫さんには映画史家の立場からその映画の魅力をいただき、復元されたフィルムは最高の思いで迎えられることとなりました。

 初号試写も兼ねていたので、関係者のみの上映となりましたが、持ち主の方、里親の長谷川さん、フィルム復元の技術者の方が一堂に会すこの機会こそ、《映画の里親》の伝えていきたい意義そのもののようにも思えます。内容が見られれば形は何でもいいと漠然と思ってしまう映画好きにはフィルムで残すことの意義と技術の重要さを、映画保存に関心をもつ者にはそれを実行するためのプロセスと努力を伝えること、そしてフィルムの持ち主や里親さんの心ある理解と協力がなければ復元はできないからです。

5. お披露目上映、ポルデノーネ無声映画祭への出品

 試写が終わり、全国紙に取り上げられたこともあって、『黒手組助六』の上映についての問い合わせが沢山ありました。しかし、無声映画の映写スピードの問題は、乗り越えられない壁でした。いまや無声映画の上映スピードで上映ができる映画館は、とても少なくなっているからです。ひとつ都内の映画館から上映したいとのお申し出があり、映写スピードは24fpsになるという条件付で話が進みかけましたが、すぐにはかなわず、東京でのお披露目はお預けになってしまいました。月日がたつのは早いもので、公の場でのお披露目上映は、2009年の「映画の保存と復元に関するワークショップ」、京都文化博物館に決まりました。この映画が撮影された下加茂撮影所も近く、復元のきっかけをくださった京都文化博物館で、その上映写の担当は『黒手組助六』の復元作業をされたお一人である、この年から京都文化博物館に移られた元IMAGICAウェストの技術者である足立広治さんと、作品にとっても、感慨深いお披露目になりました。当日はワークショップに参加されていた、無声映画伴奏者の柳下美恵さんが素晴らしい伴奏をつけてくださり、満員御礼の上映となりました。

 そんな中、『黒手組助六』は、世界中の復元フィルムにとって無声映画にとって、最高の舞台であるポルデノーネ無声映画祭への出品が決まっていました。3月ごろに会員の石原よりこの話を知らされたときは、あまりある光栄さに舞い上がったものの、引き継いだ後の英語での交渉は苦労しました。映画祭は10月ですが、カタログの解説の校正など4月からやりとりは続きました。投影字幕は、日本語と対応できるように字幕のコマヌキ画像を印刷し、こちらで用意した英語訳を対応させたものを送り、準備してもらいました。やりとりの中には、活動写真弁士さんと伴奏をつけて上映できないかという交渉もありました。日本の無声映画を、説明と伴奏つきで上映されていた当時の上映方式も併せて紹介したいという思いは、映画祭の方も十分わかってくださっていましたが、残念ながら予算の都合でかないませんでした。そんな中で柳下美恵さんが、この年のポルデノーネ無声映画祭の映画伴奏マスタークラスに参加されるという話を聞き、柳下さんの了承を得て、映画祭に『黒手組助六』の伴奏者として推薦させていただきました。ポルデノーネでは、すべての映画に必ず伴奏がつき、伴奏も映画祭参加者の楽しみのひとつとなっています。伴奏者を教育し啓蒙するためのマスタークラスは公開レッスンとなっており、無声映画の伴奏を大切なものと考えていることがうかがえました。無声映画の上映自体が少ない日本の中で、無声映画の伴奏者にこだわって活動をつづける柳下さんの演奏と共に、少しながら映画保存協会と映画の里親プロジェクトについて紹介ができたことは、この上ない喜びでした。映画の上映自体も海外の観客には大好評で、派手な立ち回りとカメラワークは特に目をひいたようでした。

 実現にあたって対応してくださった映画祭の方を始め、この映画の出品を推してくださったパオロ・ケルキ・ウザイさんに心から感謝します。

poster09.jpg【ポルデノーネ無声映画祭2009】

6. 終わりに

 復元した『黒手組助六』のネガとプリントは、この映画が撮影された下加茂撮影所のある京都府京都文化博物館に寄贈先が決まり、大切に保存されています。

 80年の時に耐え、蘇ったフィルムは、これからさらに沢山の人を楽しませてくれることでしょう。お名前をすべて挙げられませんが、この映画の復元を一緒に支えてくださったすべての方に、心からお礼を申し上げます。

郷田真理子(映画保存協会)

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