第一章 フィルムアーカイブ小史

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第一章 フィルムアーカイブ小史

去る2008年4月、第64回国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)パリ会議は、360名あまりのフィルムアーカイブ関係者たちが集まる中で開催された。しかし70年前、ここパリで初めて開かれたFIAF会議に参席したフィルムアーカイブは、たった4つの機関だけであった。

1.最初のフィルムアーカイブ ビッグ4

 第64回国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)会議が、去る2008年4月末、パリのシネマテークフランセーズで開かれた。正会員及び準会員の承認に続き、「フィルムアーカイブと著作権法」を主題としたシンポジウム、アフリカ地域の現況を議論するワークショップが開かれた今回の会議には、360余名のフィルムアーカイブ関係者が参席した。本当に多くのフィルムアーカイブが集まったものだ。

 しかし70年前、ここパリで第1回目の会議が開かれた際に参席したフィルムアーカイブは「Original Big Four」と呼ばれる4つの機関であった。正確には、1938年6月17日、ニューヨーク近代美術館(MoMA)傘下のフィルムライブラリーのアイリス・バリーとジョン・アボット、ライヒスフィルムアルヒーフ(ベルリン)のフランク・ヘンゼル、シネマテークフランセーズのアンリ・ラングロワ、そして英国の国立フィルムライブラリーのオルウェン・ボーンが集まり、第1回となるFIAF会議を開いたのだ。

 この4つのフィルムアーカイブは映画文化が発展した国家の大都市に設立され、非営利目的で映画フィルムを収集し、上映するという点において類似していたが、各々が独特な性質を有していた。まず1935年2月、ドイツのベルリンで設立されたライヒスフィルムアルヒーフは、国家が運営するフィルムアーカイブであった。1933年、権力を掌握したナチスは、レニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』(1935)、『オリンピア』(1938)をはじめとする多くの映画を党の宣伝用に普及し、自身らの永遠の「帝国の勝利」に関する記録を残すために、適正な条件下でこの資料を保管しなければならなかった。政府の手厚い財政支援を受けながら成長したこの機関は、1940年、第3回FIAF会議の準備もしていたが、第二次世界大戦時に破壊されるという、不運な運命に耐えなければならなかった。戦後、この場所に所蔵されていた映画フィルム資料の一部だけが、東ドイツへと移送された。

 同年、ニューヨークに拠点を置く私設機関であるMoMAは、ロックフェラー財団を後援としてフィルムライブラリーを運営することとなる。このフィルムライブラリーは、フィルムの保存よりも活用を通じた映画研究に焦点を合わせた。近隣の大学と小規模なシネクラブ(フィルムソサエティ)に、小額の費用をもらい映画フィルムを貸し出し、映画上映と討論を活性化させ、その結果、米国の大学の映画教育が発展したと言ってもあながち間違いではない。この全ての活動を主導した人物こそがアイリス・バリーであった。MoMAでライブラリアンとして働き始めた彼女は、ハリウッドの大手映画会社を説得し、フィルム資料を彼女のフィルムライブラリーへ移しただけでなく、ナチスのライヒスフィルムアルヒーフを説得し、ドイツ国内でポルノ映画として扱われた<嘆きの天使>を除いて、多数のフィルムを持ち帰った。

 それから一年後の1936年9月、フランスのパリでシネマテークフランセーズが公式に扉を開ける。当時21歳だった映画狂、アンリ・ラングロワが、1949年に『獣の血』というドキュメンタリーで監督デビューした23歳のジョルジュ・フランジュと共に、自分たちだけのシネクラブをフィルムアーカイブへと昇格させたのだ。しかし、ラングロワは伝説的なシネフィルらしく、収集した映画や所蔵した資料をどう目録化するのか、そしてどう保存するのか、悩む時間も無かった。彼は情熱的に映画フィルムを集め、より多くの人にみせることを優先した。彼の1回目のプログラムはエプスタインの『アッシャー家の末裔』(1928)、ヴィーネの『カリガリ博士』(1920)、レニの『最後の警告』(1929)であったが、ラングロワはシネマテークの中での映画に対する論争を許さなかったとされる。

 ラングロワがシネマテークフランセーズで映画を上映することに全ての情熱を注ぐ一方で、その年、英国ロンドンで「フィルムの永久的な価値を保管する場所」として創立された国立フィルムライブラリーは、保存することを第一の目標とした。1933年に設立された英国映画協会(BFI)に所属するこのフィルムライブラリーは、設立以来、フィルム保存技術の開発のために努力を尽くした。この保存を最優先とする政策はある程度アーネスト・リンドグレンの影響であったが、ラングロワが巨体の映画狂であったならば、リンドグレンは痩身で端正、内向的なフィルムアーキビストであった。彼はナイトレート(可燃性)フィルムを安全なフィルムへと不燃化し、永久的な保存に全ての関心を向け、フィルムの収集もいくらか選択的に行った。

 1930年代末に設立された上記のフィルムアーカイブの歴史を見ると、フィルムアーカイブの形態と争点が如実に現れる。フィルムアーカイブはライヒスフィルムアルヒーフのように国家の財政で運営される国立のフィルムアーカイブと、MoMAのフィルムライブラリーのように、私設機関が寄贈と基金を受けて運営する私立のフィルムアーカイブの二種類に大別され、この後、市が運営する市立フィルムアーカイブ(ミュンヘン)、大学が運営する大学附属フィルムアーカイブ(UCLAのフィルムアーカイブ、パシフィック・フィルムアーカイブ)など、多様なフィルムアーカイブが設立された。財政がどこから支出されるかによって、収集の方向性が変わり、運営原則にも差異が生ずる。さらに、資料の発掘、収集、復元、保存、活用のうち、どれに重点を置くのかに関する選択の問題、財政と人手の限界という是非もない状況で、どの作品から収集し復元するのかといった、また違った問題が現れる。この問題は70年が経過した現在でも、未だに「大きな」問題であり、この問題の答えを探すのも容易ではない。


画像(上):第64回FIAFパリ会議シンポジウム
画像(下):BFIサウスバンク

2.国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)

FIAF70周年マニフェスト「映画フィルムを捨てないで」
 2008年のパリ会議でFIAFは70周年を迎え、マニフェスト「映画フィルムを捨てないで」を作成し、各会員国に発送した。1938年、4カ国のフィルムアーカイブからスタートして、2009年には77カ国、正会員84、準会員65の総計149のフィルムアーカイブで構成されたことを鑑みれば、長足の進歩を遂げたのだ。時代が変わる間、FIAF加盟フィルムアーカイブが200万点を超える映画フィルムを復元したが、未だに特定の時期や地域の映画フィルムの保存率は10%にも及ばない。韓国だけを見ると、1910年代、1920年代の映画フィルム保存率は0%で、1930年代の映画フィルムの保存率は6.8%に留まっている。しかし、特定時期の映画フィルムの保存率が低くても、デジタル作業によって映画フィルムの復元技術は持続的に発展し、最近では復元映画を主題とした映画祭が流行している。(2009年、FIAF加盟フィルムアーカイブであるリュミエール・インスティテュートが始めたリヨン映画祭にしても、復元映画だけを上映する映画祭である。)

 しかしデジタル技術の発展がフィルムアーカイブに肯定的にのみ作用するわけではない。当初アナログ媒体で誕生した映画フィルムであるから、デジタルファイルに変換され保存されたとしても、本来の媒体であるフィルムは「そのままの状態」で保存されなければならない。デジタル媒体は急激に変化する技術であるから、媒体だけでなく、運営体制を持続的にアップグレードする必要があるが、アナログ媒体であるフィルムは湿度・温度管理をしっかり行えば、長期間安全保存できる。よってFIAFは、フィルムがデジタル媒体に変換・保存されたとしても、その「本来のフィルム資料を廃棄してはいけない」と宣言した。これこそ本然の任務をもう一度確認しようとする、熱望の表出といえるだろう。

FIAFの組織構造及び活動内訳
 現在、ベルギーのブリュッセルで事務局を運営するFIAFは、年に一度、全加盟国が集まって会議を開き、当面の主要課題を議論するシンポジウムとワークショップを同時進行させる。傘下には技術委員会、目録/ドキュメンテーション委員会、プログラミング/資料活用委員会を置いているが、1960年代に設置された技術委員会の場合、フィルム保存マニュアル及びフィルムアーカイブにおけるフィルム取り扱い時の留意すべき事項に関する資料集を発刊した。目録/ドキュメンテーション委員会の場合、1968年にスタートし、FIAF国際フィルムアーカイブ・データベースを運営している。プログラミング/資料活用委員会は1991年開始、シネマテーク活動に関連する事項、つまり著作権問題、観客の発掘などについても、深く議論している。また各地域別に会議を開き、アジアの場合、韓国映像資料院、東京国立近代美術館フィルムセンター、中国電影資料館、香港電影資料館、国家電影資料館(台湾)、ベトナムの国立フィルムアーカイブ、シンガポールのエイジアン・フィルムアーカイブ等が参加するFAFA(Forum of Asian Film Archives)会議などを開催している。『Journal of Film Preservation』は5名の編集委員会が年に2度発刊しているジャーナルである。このジャーナルはPDFフォーマットで、FIAFのウェブサイトからダウンロードして閲覧できる。また、教育プログラムとして、フィルムアーキビストを養成するための、FIAFサマースクールを1973年から運営している。

 長い間、ヨーロッパと北米地域のフィルムアーカイブが主導してきたFIAFが、2009年東京会議で東京国立近代美術館フィルムセンターの主幹、岡島尚志氏を会長として選出したことは、おそらく、この間、アジア地域におけるフィルムアーカイブの旺盛な活動とアジア映画の驚くべき成長に支えられたからであろう。FAFA会議と、オーストラリアを含む東南アジア太平洋地域視聴覚アーカイブ連合 SEAPAVAA(South East Asia-Pacific Audio-Visual Association)の旺盛な活動に期待しよう。

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